Mag-log in離婚するほど不幸なわけじゃない—— そう思って飲み込んだ言葉に、薔薇を一本。 九十九本目までは、あなたの物語。 百本目からは、私たちの出番。 ようこそ、離婚互助会カウントダウンクラブへ。
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離婚するほど不幸なわけじゃない——
そう思って飲み込んだ言葉に、薔薇を一本。
九十九本目までは、あなたの物語。
百本目からは、私たちの出番。
ようこそ、離婚互助会カウントダウンクラブへ。
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沙月に“カウントダウンクラブ”のことを教えてくれたのは、離婚経験のある女友達だった。
「これ、知ってる? 離婚互助会って呼ばれてるんだけど」
そんな言葉と共に手の中に押し込まれたのは、一枚の小さなカード。
沙月はそれを押し返そうとした。
「でもね、別に私、離婚したいわけじゃないのよ」
それでも友人は、小さなカードを引っ込めようとはしない。
「わかってる、離婚しろっていってるんじゃないの。でも、ここ、結婚生活の愚痴を聞くだけとかもやってるから、ね」
沙月は結局、カードを押し返すことができず、それを受け取ってハンドバッグの底に押し込んだ。
それが三ヶ月前――
捨てたつもりだった。
だけど三ヶ月たったいまも、カードはハンドバッグの底に残っていた。
書かれている住所を頼りに訪ねてみれば、そこにあったのは、小さくて古いビルだった。
元は雑居ビルだったのか、壁には破れた看板がいくつか張り付いている。
沙月は握りしめたカードに目を落とす。
「ちょっと、詐欺っぽい……」
だが友人は「ここで世話になった」と言っていた。
彼女を信じて、せめて中に入るくらいは……
そう思って、恐る恐る中に足を踏み入れた沙月は、驚きの声を上げる。
「内装には力を入れているのね」
一階のエントランスは真新しい真っ白なタイルが貼られて、明るく清潔感に溢れる空間にリフォームされていた。
特徴的なのは、エントランスの真ん中に置かれた大きな花瓶のオブジェ。そこには色とりどりのバラが生けられて、無機質なほど真っ白な空間に彩りを添えている。
奥にあるエレベーターも、眩しいほど磨き上げられた銀色の扉に傷ひとつない、新しいもの。
つまりボロボロなのは仮の姿、中身はすっかり最新式の建物なのがこのビル。
「なぜこんな手間を? 一度取り壊して建て替えた方が安く済むでしょうに」
壁をまじまじと眺めながらつぶやく沙月の背後で、突如、声がした。
「それはね、ここが秘密基地だからよ」
「だれっ?」
振り向くとそこには、細身のレディススーツに軽いカーディガンを羽織った初老の女性が立っていた。
丁寧に手入れされた白髪をぴっちりとセットした上品な居住まいには、思わず“マダム”と呼びたくなる風格がある。
彼女はまず、優しそうな微笑みを口元に浮かべて言った。
「女にも秘密基地は必要でしょ、夫の目の届かない、秘密の場所が、ね」
沙月はわずかに足を引いて尻込みする。
「あの、離婚するつもりは、ないんですよ、私」
マダムこと福重遥子は、沙月の言葉を聞いて楽しそうに笑い声を上げた。
「ああ、もしかしてウチが“離婚互助会”なんて呼ばれているから、誤解してる?」
「誤解なんですか?」
「ええ、誤解。まあ実際に離婚ですよってなったら、いろんなサポートはするし、そのための人材も揃っているし、実績もあるしで、周りが勝手に呼び始めたのよね、離婚互助会って」
「じゃあ、本当はここ、何をするところなんですか?」
「そうね、簡単にいうと、結婚生活の愚痴を聞いてあげようっていう、お節介おばさんによる癒しのサロン、かしら?」
「それって、運営費はどこから出ているんですか?」
沙月の返しに、遥子は楽しげに目を細める。
「あら、あらあら、面白いことを言うわね」
「面白くありません、職業柄、収支の見えない組織は警戒して然るべき、だと思うんです」
「なんのお仕事をなさっているの?」
「会計事務所で働いています」
「つまり、会計士さん?」
「いえ、税理士補助です」
「だからお金の話になるのね」
遥子は楽しそうに——本当に心底楽しそうに目をキラキラさせて沙月を見た。
「いいわ、とてもいい、あなた、うちのスタッフとして働いてくれない?」
「はい?」
「ああ、ごめんなさい、それはあまりにも唐突よね。とりあえず、あなたの話を聞かせて」
遥子はエントランスの真ん中にある花瓶から薔薇を一輪、引き抜く。
「初回特典よ、これ、どうぞ」
沙月は差し出された薔薇に視線を落とす。
それはほんのり恥じらう乙女のような、薄桃色をした一輪だった。
何気なく手をのべれば、指先にちくりと小さな痛みが触れる。
「あっ」
よく見ると棘が一つだけ――おそらくわざとだろう、一つだけ残されている。
「ごめんなさいね」
遥子がくすりと笑う。
「棘のない薔薇なんて偽物みたいでしょう、だからよ」
沙月は遥子の手の中にあるバラを見ながら、少し逡巡する。
「棘……」
「人生も同じ、棘の一つもない人生なんて嘘くさいじゃない? だけど、棘が刺さったままの人生は痛いから……棘はここに置いて行きなさい」
「棘なんて……」
「ないの? 本当に?」
“マダム”の答えは軽やかだった。
「でもここへ来た、それって、飲み込みきれずに溢れそうな言葉があるってことじゃないの?」
「……」
「聞かせてちょうだい、あなたの言葉を」
遥子は一歩進み出て、沙月の手をそっととる。
「そしてその言葉に薔薇を」
遥子が華やかに笑った。
「ようこそ、カウントダウンクラブへ」
「極端な話をすると、例えば目玉焼きにソースをかけるか、醤油をかけるか、たったそれだけのことからリコーンってなることもまあ、あるかもしれないねって話なのよ」これは美沙の言葉だ。それは水口夫妻の“面談“のためのブリーフィングの場でのことだった。水口夫妻の詳しいプロフィールが書かれた書類をめくりながら、沙月は戸惑いの言葉を返す。「この水口さんご夫妻も、目玉焼きで離婚するんですか?」「違う違う、あくまでも例え話。いや、"目玉焼きでリコーン"の調停を担当したことあるけどね」「そんなことで離婚できるんですか?」「できる。マジでできる。離婚理由として一番多いのが"性格の不一致”ってやつなんだけど、これって便利な言葉でね、目玉焼きに何をかけるかっていう些細な問題から、子どもの教育方針や夫婦生活の価値観、嫁姑問題から金銭のやり取りに至るまで、意見の相違ってのを何でもかんでもひっくるめて"性格の不一致”として扱うことができるわけよ」「はあ、なるほど?」「で、ここからが大事、離婚理由として一番ポピュラーなのが"性格の不一致"だけど、これ、裁判にまで持ち込むとまず離婚理由として認められないことが多すぎるのよ」美沙は書類の束をばさっと投げ出し、得意げに顎を上げる。「ふふん、ここで目玉焼きの例えが効いてくるわけですよ。裁判では"目玉焼きには何をかけるか、意見が合わないので離婚します"なんて絶対に認められないでしょ、そう、これも例えなんですが、別々の調味料を用意すればいいでしょうとか、そもそも目玉焼きを食卓に出さなければ争いは起きないでしょうとか、そういう流れになるわけですよ」「それはまあ、そうでしょうね」「そこで、私たちの出番ですよ! 目玉焼きに何をかけるのか、それはネットでも度々論争を起こす重要な選択問題であり、人生哲学であるってことをきっちりはっきり主張して、確実に離婚をもぎ取る、そういうお手伝いをするのが、このカウントダウンクラブ……」そこへ、ドアを押し開けて瑶子がふわりと入ってきた。「先生ったら、また言ってる」遥子は楽しそうに笑って、沙月の隣の椅子に腰を下ろした。「先生の目玉焼きの例えは、とてもわかりやすいわ、だけど私たちが目指しているのは確実な離婚ではなくて、"納得"なのよ」遥子は薔薇を一本取り出し、それをクルクルと手の中で弄んだ。「そうね、逆
カシュー塗りのセンターテーブルの上には白い生クリームのケーキ。添えられた紅茶はコクの強いアッサム。向かいに座るのは黙って紅茶を飲みながら話を聞いてくれるマダムと、ケーキに夢中ではあるが優秀そうな弁護士先生。沙月の口も軽くなる。「それで、私のいないところで私の体の話を、勝手に話されていたのが嫌だなって、そう思ったんだと思います」親戚の集まりでのできごとを話し終えた沙月は、冷めた紅茶を一息に飲み干した。クセの強い香りが鼻腔から抜けて、思考が冷やされる。途端に恥ずかしさと後悔が込み上げてきた。「あの、でも、私が気にしすぎてるってのもあるんです、“結婚したら赤ちゃん”って、親戚なら普通にする話題だと思うし……」ケーキを食べ終えた美沙が、ふっと口をひらく。「いや、それ、セクハラですね」沙月はますます萎縮する。「そんな大袈裟な話じゃないんです」「や、別にセクハラだから訴えろとか言ってないですよ、定義としてはセクハラにあたりますってだけで」遥子がふんわりと嗜める。「先生、言い方」「イヤ、だって、そのおじさんの言葉は性的な発言にあたるでしょ」「今は法律の話をしているんじゃないわ、そうね……あなたはどう思ったの?」急に話を向けられて、沙月は少し戸惑った。「え、わ、私……多分、嫌だった?」「おじさんの言葉が?」「違う……ような気もします」「じゃあ、旦那さん?」「それも、違うような……」沙月はしばらく考え込んだ後、静かにつぶやいた。「嫌な気持ちになったことは確かですが、だからって、“原因はこれ”って言葉にできるようなものは何もなくて……」「でも、嫌な気持ちになったのでしょう?」「こんなの、ただのわがままですよね」「そんなことはないわ、場の空気を壊さないために、その気持ちを飲み込んで穏便に済ませたのでしょう?」「そんなの、大人として当たり前のことですよ」「ええ、その通りよ、でも……」遥子が片手をあげると、美沙は部屋の隅から花瓶を引っ張り出してきた。そこには色とりどりのバラが。「飲み込んでしまった言葉の代わりに薔薇を。それがここのルール」美沙が花瓶から何本かの薔薇を引き抜いた。「何色にします〜? 私のおすすめは怒りの赤! キモいおっさんなんかぶっ飛ばせですよ!」「先生、それを決めるのは彼女自身、それもここのルールでしょ
それからしばらく、沙月は穏やかに暮らしていた。「沙月〜、ちょっときてー」陽介に呼ばれて洗い物の手を止める。リビングに行くと、陽介はソファーのクッションをどけて何かを探している様子だった。「あれさあ、テレビのリモコン、どこに置いた?」沙月は濡れた手を拭いて、テレビ台の端に置いたリモコンをとってやる。「使ったらここに戻そうって、こないだ決めたでしょ」「あー、そうだった、ごめんごめん」リモコンを受け取った陽介はソファにごろりと寝そべる。「あ、洗い物の途中だった? 手を止めさせてごめんな」そう言いながら野球中継をつける陽介を見て、沙月の中に小さな棘が生まれる。だけど、薔薇一本に値するほどの痛みはない――ある日、沙月は陽介の親族の集まりに連れてこられた。名目は“陽介の曽祖母の13回忌”。沙月にとっては一度も会ったことのない人物だし、集まるのも親戚のごく一部だけという、こじんまりとした食事会だったのだが。食事会の間中、沙月は“子供の頃から陽介を可愛がっているおじちゃん”にずっと絡まれていた。「何、陽介ちゃん、こんな美人さんのお嫁さんもらったの!」酒も入って上機嫌な“おじちゃん”は、大喜びで小さい頃の陽介がいかに可愛かったかを、沙月に延々と語って聞かせた。それ自体は不快ではない。むしろ沙月は、陽介がおねしょがなかなか治らなかったことや、初めてカエル取りに行って田んぼに落ちた話などを、微笑ましい気持ちで聞いていた。さらに酒が進んだおじちゃんは、馴れ馴れしく沙月の肩を叩いて、上機嫌で言った。「俺から見ても陽介はいいやつでさ、優しいでしょ」「まあ、そうですね」「浮気はしない、変な遊びもしない、嫁さんを大事にする男だと思うよ、俺が保証する!」親戚が集まる宴席で、しかも酔っ払い相手に小さな不満を告げ口しない程度の分別が、沙月にはある。「そうですね、大事にしてもらっています」「そうでしょうそうでしょう、どう、ちゃんと仲良くやってるの?」「ええ、まあ」「そっか、じゃあ、赤ちゃんも、もうすぐかな」ちくり。言語化する必要すらないほどの、小さな小さな棘が沙月の中に生まれる。「陽介はねー、あれはいいお父さんになるタイプだと思うよー、ほら、今時の親って子供を虐待して死なせちゃったりするじゃない、ああいうことは、うちの陽介は絶対にしないね!」
“相談室”の奥にある扉を開けると、そこは相変わらず、バラで埋め尽くされていた。誰かの激しい怒りを吸い上げたような真紅の薔薇。恋を弔う祭壇に似た白い薔薇。深い悲しみを抱え込んだみたいに俯く黄色の薔薇。この深い感情の中に、曖昧で不確かなピンクのバラを、果たして置いてもいいものなのか——手の中のバラをくるりと捻りながら佇む沙月に、遥子は静かな声で聞いた。「どうしたの?」「私なんかが、バラを置く資格があるのかなって……」「どうして?」「冷静に考えてみると、夫は別に悪いことなんか一つもしていないんです、私が勝手に苛立っただけで……」「そう、あなたはそう思ったのね」沙月は、ふと目についた花瓶をじっと見つめた。そこには赤いバラがこぼれ落ちそうなほどにいけられている。「……私の結婚は……恵まれている方だと思うんです、だから……」遥子は少しだけ首を傾げる。「それ、誰に言われたの?」「何を……ですか?」「恵まれた結婚生活だって、誰かに言われたんでしょ」「……母に、私の母の方です」「なるほどね、それに、あなた、旦那さんの愚痴を誰かに聞いてもらうと『惚気ですか』って嫌味言われることが多いんじゃなくて?」「なんでわかるんですか」「ふふふ、経験則よ」遥子は、茶目っ気たっぷりにパチンとウインクする。「ねえ、気づいてる? あなた、“不幸じゃない”っていうけれど、“幸せだ”って一回も言っていないのよ」沙月は答えを返すことができなかった。ただ喉の奥で「あっ」と驚きの声をあげるのが精一杯。「それに、不幸じゃないからって痛みがないわけじゃないでしょ?」バラを握る手がわずかに震える。「そうですね……」「じゃあ、バラを置く資格はあるわ、さあ」遥子は空の花瓶の前に、沙月を押しやった。沙月は手の中のバラをキュッと握りしめる。小さな——だが確かな痛みが手のひらの中にあった。「なあに? その痛み、まだ無視するつもり?」言われて沙月は、バラを握りしめていた手をそっと開いた。中指の付け根近く、手のひらの端に小さな傷がついている。「無視しちゃ、ダメですか、やっぱり」「いいえ、そんなことはないわ、それを選ぶのはあなた。自分がしんどくないのならば、無視し続けるのも一つの選択よ」沙月は、ぽろりと涙を一つこぼした。「しんどい……しんどいです。喧嘩をせず
沙月が案内されたのはビルの二階、『相談室』と呼ばれる応接室だった。壁は落ち着きのあるアイボリー、窓は広くて部屋の中は明るい。座り心地を重視した座面の広い応接ソファと、それに揃いの小さなテーブル。観葉植物もいくつか置かれて癒しを意識した空間だ。だがソファに座った沙月は、少しも癒されることなどなかった。手にした薄桃色のバラを所在なく撫で回しながら、ポツリと呟く。「これ、生花ではないんですね」手触りでわかる。その薔薇は防腐処理をされたプリザーブドフラワーだ。沙月の対面に座る遥子は、相変わらず落ち着きのある笑みを浮かべて答える。「そうね、誰にも言えずに飲み込んだ言葉は枯れるわけじゃ
………………………………離婚するほど不幸なわけじゃない——そう思って飲み込んだ言葉に、薔薇を一本。九十九本目までは、あなたの物語。百本目からは、私たちの出番。ようこそ、離婚互助会カウントダウンクラブへ。………………………………沙月に“カウントダウンクラブ”のことを教えてくれたのは、離婚経験のある女友達だった。「これ、知ってる? 離婚互助会って呼ばれてるんだけど」そんな言葉と共に手の中に押し込まれたのは、一枚の小さなカード。沙月はそれを押し返そうとした。「でもね、別に私、離婚したいわけじゃないのよ」それでも友人は、小さなカードを引っ込めようとはしない。「わかってる、離婚
沙月は、持ち帰った薔薇を100円均一で買ったそっけない一輪挿しにいけて、出窓に飾った。夫である陽介は、「へえ、珍しいことをするね」と笑った。悪意からではない。単なる夫婦のコミュニケーションとしての、さりげない会話のつもりだろう。それは沙月もわかっているのだが……「君もようやく女性らしい情緒というものを理解したんだね」「大袈裟ね、花を一輪飾っただけじゃない?」「いやいや、君さあ、花なんて食べられるわけでもないし、資産価値があるわけでもないし、買うだけ無駄だって言ってたじゃない」「ああ、言ったこと、あったかも……」沙月はそっと薔薇に触れる。たった一本残された、あの棘を指先で探す