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離婚後、捨てられた私は人生の頂点に立つ
離婚後、捨てられた私は人生の頂点に立つ
Author: 風待 栞

第1話

Author: 風待 栞
「サインを」

頭上から、冷たく低い声が響いた。目の前に突きつけられたのは、一枚の離婚届。静沢水琴(しずさわ みこと)はわずかに目を見張り、黙って鷹司臣(たかつかさ じん)を見上げると、乾いた笑みを浮かべた。

ああ、そういうことだったのね。

どうりで今朝、珍しく電話をかけてきたわけだ。今夜は帰る、話がある、と。

一日中、胸を躍らせていたというのに、彼が伝えたかったこととは、これだったなんて……

三年に及んだ結婚生活も、これで終わり。

水琴は無言で離婚届を受け取ると、その紙を握る手にぐっと力が入る。しばし黙り込んだ後、掠れた声で尋ねた。「……どうしても、離婚しなきゃだめ?」

臣はわずかに眉をひそめ、目の前に立つ女を値踏みするように見た。三年間、「鷹司夫人」であった女を。

部屋の片付けを終えたばかりなのだろう。白い額には汗が滲み、目には隠しきれない疲労と戸惑いの色が浮かんでいる。化粧気のない素顔には、分厚い眼鏡。

優しくて素朴だが、退屈な女。

そんな、どこにでもいるような冴えない女が、三年間も鷹司夫人の座にいたのだ。

臣はゆっくりと視線を外し、手にしていた煙草を灰皿に押し付けた。その声は淡々としていたが、有無を言わせぬ響きを帯びている。「サインしろ。彼女が帰ってきたんだ。勘違いされたくない」

水琴は息を飲む。舌の奥が、きゅっと苦くなった。臣の言う『彼女』が誰なのか、水琴にはすぐに分かった。

月城紗夜(つきしろ さや)。臣にとっての初恋の相手であり、忘れられない唯一の女性。

彼女の存在が、二人の結婚を名ばかりのものにしていた。この三年間、臣は紗夜のために、水琴に一度も触れようとはしなかったのだから。

水琴が同意をためらっているとでも思ったのか、臣は彼女を見つめたまま、淡々とした声で言葉を続けた。「協議離婚だ。君の学歴では、この先の生活も心許ないだろう。慰謝料として、この屋敷とは別に所有する都内のマンション数件と車を君に譲る。加えて、現金で十六億円を支払おう」

もともとこの結婚は、臣の祖父である鷹司家当主を納得させるためだけのものだった。そのため、婚前契約も交わしている。臣が提示した条件は、本来彼女が受け取るべき額を遥かに上回っていた。

臣は水琴を好いてはいなかったが、この三年間、彼女が妻としての務めを完璧にこなしてきたことは認めている。上乗せした分は、その労苦への対価のつもりだった。それに、高卒の女が一人で生きていくには、金がいるだろうという考えもあった。

水琴は彼の言わんとすることを理解し、離婚届にさっと目を通す。そして、ゆっくりと頷いた。「……わかったわ。それで合意します」

彼女はペンを手に取ると、一切の迷いなく、流れるような筆致で自らの名を書き記した。そして臣を見上げる。分厚いレンズの奥の瞳は、どこか遠くを見つめているようで、その眼差しに浮かぶのが苦さなのか、それとも諦めなのかは判然としなかった。

「安心して。二、三日のうちには出ていくから。あなたたちの邪魔はしないわ」

臣は頷く。「この三年間、ご苦労だった」

どれほど退屈で、面白みのない、平凡な女であったとしても、水琴が『合格点の妻』であったことは、彼も認めざるを得ない。

この数年、彼女は鷹司家の人間すべてに、献身的に尽くしてきた。彼女が家庭を完璧に守ってくれていたからこそ、自分は何の憂いもなく仕事に邁進できたのだ。

だが、愛情だけは、どうにもならなかった。

水琴は、彼の言葉がおかしくてたまらなかった。臣のために尽くし、三年間という貴重な時間を捧げた結果、返ってきたのは、たった一言「ご苦労だった」だけ。

臣は彼女の瞳の奥に宿った嘲りを気にも留めず、サイン済みの離婚届を受け取った。その時、アシスタントから電話が入る。彼は水琴に一瞥をくれると、事務的に言い放った。「会社で急用だ。何か手伝いが必要なら、中村さんに頼んでくれ」

水琴は、こくりと頷いた。

臣が書斎から出てくると、リビングで待っていた母の鷹司佳乃(たかつかさ よしの)が、緊張した面持ちで彼に歩み寄った。

「どうだったの、あの子、サインはしたの?」

臣はわずかに眉をひそめたものの、静かに頷いた。

佳乃は心底ほっとしたように息をつくと、嬉しそうに何度も頷いた。「そう、よかったわ。本当によかった。あの子が嫁に来てからこの三年、母さんはずっと気が気じゃなかったのよ。他のことはともかく、三年も経つのに子ども一人産まないし、いつも俯いて黙り込んで、何を考えているのかわからないんだもの。裏で何を企んでいることやら」

臣は何も言わなかった。

佳乃はため息をつき、言葉を続ける。「そもそも、お祖父様が無理にあなたとあの子を結婚させようとした時から、母さんは反対だったの。両親もいない、小林家に居候させてもらっていたような孤児の、どこがいいっていうのかしら。でも、もう大丈夫。あなたが離婚して、紗夜さんと再婚してくれれば、母さんもやっと肩の荷が下りるわ。あなたには、紗夜さんのような素晴らしいお嫁さんこそが相応しいのよ」

そばにいた妹の鷹司雅(たかつかさ みやび)も、ぱっと顔を輝かせて頷いた。「本当にそうよ、お兄様。あんな人がお義姉様だなんて、恥ずかしくて仕方なかったわ。でも、これからは大丈夫。紗夜さんがお義姉様になってくれたら、周りからどれだけ羨ましがられるか……想像するだけでワクワクしちゃう」

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