All Chapters of 復讐のために彼をレンタルしたら、まさかのCEOに溺愛契約で雇われました: Chapter 431 - Chapter 440

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第431話 九龍の新当主②

 全員の視線が、一斉にこちらへ向けられる。 かつて龍一郎の威光に怯え、掌を返して湊を九龍から追い出そうとした者たちの顔には、隠しきれない狼狽と、圧倒的な権力に対する畏怖が張り付いていた。 広間の最前列。 黒の留袖を隙なく着こなした志保が、静かに居住まいを正して座っている。 その斜め後ろには、普段の軽薄な態度を完全に封印し、ダークスーツをパリッと着こなした征司の姿があった。隣に座る詩織が、時折征司の姿勢を小声で注意しているのが、微かに動く唇の形から読み取れる。 湊は、広間の最奥、床の間の前に用意された一段高い座布団へと迷いなく歩みを進めた。 袴の裾が畳を擦る重い音だけが、百人の沈黙を支配している。 湊が上座に腰を下ろし、その斜め後ろにそっと座る。 張り詰めた空気の中、湊がゆっくりと見回した視線の先で、何人もの分家の人間が息を呑み、慌てて目を伏せる衣擦れの音がさざ波のように広がった。「……これより、九龍家当主の座を、私が継承する」 マイクを通さない、生身の湊の声。 それは決して声を荒らげているわけではないのに、広間の隅の柱までビリビリと震わせるような、圧倒的な重さと密度を持っていた。「先日の騒動については、すでに皆の知るところだろう。龍一郎とその息子は法の下で裁かれ、二度とこの敷居を跨ぐことはない」 ゴクリ、と。 誰かが生唾を飲み込む音が、不自然なほど大きく響いた。「九龍は長年、血という実体のないものに縋り、内部で足を引っ張り合うことで己の首を絞めてきた。権力に群がり、保身のために他者を売る。……そのような腐敗した時代は、華枝前当主の死と共に、完全に終わった」 湊の視線が、一人ひとりの顔を射抜くようにゆっくりと動く。「血の繋がりが、家族を証明するのではない。同じ志を持ち、互いの背中を預けられる信頼こそが、新たな九龍を強固なものにする。……私のやり方についてこられない者は、今この場で席を立ち、九龍の名を捨てて出て行っても構わない」 沈黙。 誰一人として、動こう
last updateLast Updated : 2026-05-23
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第432話 九龍の新当主③

 怯みそうになる背中を、湊の熱がしっかりと支えてくれている。 最前列で、志保が深く、満足そうに頷くのが見えた。「……新当主ならびに、奥様。我々一同、全身全霊をもってお支えいたします」 最前列に座っていた長老格の男が、絞り出すような声でそう言うと、両手をついて深く頭を下げた。 それを皮切りに、広間にいる百人全員が、波が引くように一斉に畳に額を擦り付けた。 衣擦れの音と、深く息を吐く音が幾重にも重なり合う。 香炉から立ち昇る沈香の匂いが、新しい時代の始まりを告げるように、静かに、そして力強く空間を満たしていった。 ◇「……ああ、肩が凝った」 継承の儀が終わり、親族との煩わしい挨拶回りをすべて終えて、本邸の奥にある控え室に戻った瞬間。 湊は襖が閉まるのを確認するや否や、袴の腰板のあたりをトントンと拳で叩きながら、畳の上にどさりとあぐらをかいた。 先程までの大木のような威厳はどこへやら、大きく息を吐き出して首をぐるぐると回している。「お疲れ様。本当に、立派だったわよ。大広間の空気を完全に支配していたもの」 隣に座り、固く結ばれた湊の肩から首筋にかけて、両手の親指でゆっくりと揉みほぐす。 紋付の厚い生地越しでも、岩のように強張った筋肉の硬さがダイレクトに伝わってきた。「痛っ……そこ、もう少し優しく頼む」「あら、新当主様はこれくらいの力加減で悲鳴を上げるの?」「当主とて生身の人間だ。……それに、君の指圧は容赦がない」 湊が苦笑しながら目を閉じた、その時。 スパーン!と、遠慮のない勢いで控え室の襖が開け放たれた。「いやぁ、兄貴! 最高に痺れたね! あの長老連中、完全に蛇に睨まれたカエルみたいになってたぜ!」 満面の笑みで飛び込んできたのは征司だった。ネクタイをすでに半分緩め、完全にリラックスした様子で畳の上にどっかりと座り込む。 直後、その後ろから呆れたようなため息と共に詩織が入ってきた。
last updateLast Updated : 2026-05-24
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第433話 九龍の新当主④

 二人の掛け合いを見ていると、先程までの重苦しい空気が嘘のように風通しが良くなっていく。 湊も、肩を揉まれていた姿勢のまま、微かに肩を揺らして笑い声を漏らした。「詩織さんの言う通りだ。腐った根を取り除いた後の土壌改良は、一刻を争う。……書類は後で書斎に運んでおいてくれ。必ず今日中にサインする」「了解。じゃあ、私たちは本社の法務部に戻るわ。征司、行くわよ。運転手よろしく」「へいへい、女神様には逆らえませんって」 嵐のように現れ、嵐のように去っていく二人。 閉まった襖を見つめながら、湊が小さく息を吐いた。「……騒がしい連中だが、不思議と悪くない」「ええ。頼もしい家族が増えたわね」 揉みほぐしていた手を離すと、湊が振り返り、その大きな手で私の手首をそっと掴んだ。「……来週、少しだけ予定を空けておいてくれないか」 引き寄せられるままに身体が傾き、湊の広い肩口に額が触れる。 白檀の香りと、湊自身の清潔な体温が混じり合った匂いが鼻腔を満たした。「来週? 詩織があんなに書類の山を用意しているのに、休めるの?」「俺が数日不在にしたくらいで傾くような、柔な組織にはしていないさ。それに……」 湊の指先が、着物の袖口から覗く手首の脈打つ部分を、ゆっくりと円を描くようになぞる。 くすぐったいような、甘い痺れが腕を伝って登ってきた。「前に言っていただろう。……温泉に、行こうと」 その言葉に、ハッと顔を上げる。「本当? いつか行けたらいいな、くらいに思っていたのに」「俺は、君との約束を忘れたことは一度もない。……これからの長い戦いの前に、少しだけ、二人きりで息継ぎがしたいんだ」 湊の漆黒の瞳が、至近距離でこちらを覗き込んでいる。 先程まで百人の人間を震え上がらせていた冷徹な王の顔はどこにもなく、ただ真っ直ぐに体温を求めてくる、一人の不器用な青年の顔がそこにあった。
last updateLast Updated : 2026-05-24
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第434話 M&Aを捨てない①

 キーボードのプラスチックを叩く乾いた音が、少し手狭なオフィスに軽快なリズムを刻んでいる。 エスプレッソマシンから立ち昇る深く焙煎されたコーヒーの香りと、暖房の効いた少し乾燥した空気が、ガラスのパーテーションで仕切られた空間を満たしていた。 デスクの上のモニターには、麗華が新しく立ち上げたアパレルブランドの新作カタログのデータが映し出されている。シルクの光沢や刺繍の細部を確認するため、マウスのホイールを回して画像を拡大していく。 九龍本社の、音を立てることすらためらわれるような重厚な静寂とは対極にある、活気と熱を帯びた空気。 ここ、M&Aホールディングスのオフィスには、血の繋がりや古い因習といったしがらみは一切存在しない。「差し入れのお通りだ! 詩織の機嫌を直すための最高級の生贄を持ってきたぞ!」 フロアの入り口から、両手に有名ベーカリーの紙箱を掲げた征司が、満面の笑みで飛び込んできた。 ダークスーツのボタンを外し、ネクタイを緩めたその姿は、相変わらずどこか隙があるようでいて、営業先では誰もが心を許してしまう特有の愛嬌を放っている。「誰の機嫌が悪いって?」 背後から、分厚い契約書の束を抱えた詩織が音もなく近づき、征司の背中をバインダーの角で軽く小突いた。「痛っ! ……いや、九龍本社のコンプライアンス改定と、こっちの法務チェックの二足のわらじで、疲労が溜まっているんじゃないかと心配しただけで……」「なら、無駄口を叩いてないでその箱を開けなさい。糖分が切れて頭が回らないのよ」 詩織は眼鏡のブリッジを中指でクイッと押し上げながら、デスクのパイプ椅子に腰を下ろした。 箱が開けられると、アイシングがたっぷりとかかったドーナツの強烈に甘い匂いが、コーヒーの香りを瞬時に上書きしていく。「朱里も食べるだろ? ほら、一番甘そうなやつ」 征司がナプキンで包んだドーナツを差し出してくる。 受け取ろうと手を伸ばした瞬間、背後のガラス扉が静かに開く音がした。「……業務時間中に、随分と和やかな雰囲
last updateLast Updated : 2026-05-25
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第435話 M&Aを捨てない②

「……三日前の何気ない一言を覚えてて、わざわざ激務の合間に買いに行かせる九龍の当主。重い、重すぎるよ、愛が」「うるさいぞ、征司。君が持ってきたその砂糖の塊は、詩織さんにすべて献上しろ」「ええっ、俺の分は!?」 詩織が「ごちそうさま」と一言だけ告げて、箱ごとドーナツを自分のデスクへと引き寄せる。 湊はそのままデスクの横に立ち、手にした紙袋をそっと置いてから、モニターの画面を覗き込んできた。 肩が触れそうな距離。 冷たい冬の外気を吸い込んだ上質なウールの匂いと、湊自身の清潔な体温が混ざり合った香りが、ふわりと鼻腔をくすぐる。「……麗華の新作か。相変わらず、妥協のない仕事をしているな」「ええ。生地の仕入れから縫製まで、すべて彼女が工場に張り付いて確認しているの。前の彼女からは想像もつかないくらい、泥臭く働いているわ」 湊のネクタイが、身を乗り出した拍子にデスクの縁に触れ、微かな摩擦音を立てる。「無理しないで。来週の温泉旅行のために、スケジュールを極限まで詰め込んでいるんでしょう?」 見上げると、深い色の瞳が至近距離でこちらを見つめ返してきた。「……君との約束は、九龍のどんな決裁よりも最優先事項だ。それに、君の顔を見ないと、会議中の殺伐とした空気に当てられて窒息しそうになる」 大真面目な顔で発せられる甘い言葉に、心臓の奥がトクンと大きく跳ねる。「はいはい、ごちそうさま。そこ、神聖なオフィスで九龍家の秘事を繰り広げないでちょうだい」 詩織が、ドーナツを齧りながら冷ややかな視線を送ってくる。 湊は咳払いを一つして姿勢を正すと、持っていた革製のブリーフケースから一部のクリアファイルを取り出し、詩織のデスクへと差し出した。「本題に入ろう。今日の役員会議で出た、このM&Aホールディングスの吸収合併案だ」 その言葉に、オフィスの空気が微かに張り詰める。 征司が、ドーナツの粉を払う手を止めた。「……やっぱり、出たのか。老害連中か
last updateLast Updated : 2026-05-25
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第436話 M&Aを捨てない③

 冷酷なCEOとしての顔が微かに覗く。 だが、組まれた腕が解かれ、その視線が真っ直ぐにこちらへと向けられた時、湊の瞳の奥にあったのは、計算でも合理性でもない、どこまでも純粋な熱だった。「……ここは、俺たちがゼロから立ち上げた場所だ。『Minato & Akari』。この名前を、九龍の巨大な影の中に塗り潰したくはない」 湊の声が、胸の奥を静かに、けれど強く震わせる。 あの古くて狭いアパートの一室。 九龍の権力も、財産も、すべてを失った湊が、小さなちゃぶ台の上でノートパソコンを開き、夜通し語り合った日々。 何もないところから、互いへの信頼だけを武器に立ち上げた、たった一つの会社。「それに、この会社は血の繋がりではなく、実力と信頼だけで結ばれた人間が集まる場所だ。九龍の古い因習とは、明確に切り離しておきたい」「ちょっと! M&Aがなくなるなんて最悪の噂、本気にして損したじゃないの!」 突然、オフィスの扉が荒々しく開かれ、大量の生地のサンプルを抱えた麗華がズカズカと足音を立てて入ってきた。 髪は無造作に束ねられ、指先にはミシンの針で刺したのか、いくつもの小さな絆創膏が貼られている。かつてのブランド志向の塊だった令嬢の姿はそこにはなく、服作りへの執念に燃える職人の顔があった。「私がせっかくアパレル部門のチーフデザイナーとして、寝る間も惜しんでこのブランドを軌道に乗せてきたのに。九龍の古臭い親父どもの傘下に入るなんて、絶対にごめんよ。私の美学に反するわ!」 山ほどの生地を空いているデスクにドサッと降ろし、両手を腰に当てて湊を睨みつける。 ツンケンした態度の裏側に透けて見える、この場所への強い愛着。「麗華さん、大丈夫よ。湊が、この会社をそのまま残すって決めてくれたから」 微笑みかけると、麗華はフンと鼻を鳴らし、少しだけバツの悪そうな顔をして視線を逸らした。「……当然ね。私という天才デザイナーを手放すなんて、経営者として愚の骨頂よ。せいぜい、私に高い給料を払い続けるために、身を粉にして働きなさい」「相変わ
last updateLast Updated : 2026-05-26
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第437話 M&Aを捨てない④

 デスクの上のスタンドライトだけが、二人の手元を柔らかく照らし出していた。 残務処理を終え、パソコンをシャットダウンしようとマウスに手を伸ばした時。 背後から、上質なウールの感触と、大きな温もりが体をすっぽりと包み込んだ。 湊の腕が腰に回され、広い肩に背中を預ける形になる。 首筋に顔を埋められ、深く息を吸い込む音が聞こえた。「……少し、休みたくなった」 普段の隙のない姿からは想像もつかない、甘えるような弱音。「お疲れ様。本当に、よく頑張ってるわ」 回された腕に自分の手を重ね、その手の甲を親指でゆっくりと撫でる。 硬く強張っていた湊の筋肉が、少しずつ解れていくのがわかる。「……来週の温泉宿の手配、完璧に済んでいるぞ。誰の邪魔も入らない、露天風呂付きの離れだ」 首筋に唇が触れ、くすぐったい感覚が全身の毛穴を逆立てる。「ふふっ。九龍の当主様が、温泉の予約に全力を注いでいるなんて、役員たちが知ったら卒倒するわね」「構うものか。俺にとっての真の玉座は、君の隣にしかない」 湊の腕の力が強くなり、身体ごと反転させられる。 至近距離で交わる視線。 スタンドライトのオレンジ色の光が、湊の瞳の奥で小さく燃えているように見えた。「あの狭いアパートで、二人きりでこの会社を作った夜を、今でも鮮明に覚えている。……俺は、あの夜、君にすべてを救われたんだ」 湊の指先が、頬の輪郭をそっと、確かめるようになぞる。「九龍の当主になっても、俺の帰る場所はここだ。君と作り上げた、この『M&A』だ」「……私もよ、湊」 そっと背伸びをして、その温かい唇に自分の唇を重ねる。 ほんの一瞬の触れ合い。 しかし、離れようとした身体を引き寄せるように、湊の大きな手が後頭部をしっかりとホールドした。「……逃がさない」 低く掠れた声と共に、今度は深く、息を奪うような熱いキスが降
last updateLast Updated : 2026-05-26
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第438話 彼女はただの婚約者ではない①

 新調したばかりのチャコールグレーのジャケットに腕を通し、姿見の前で襟元を整える。 指先を滑らせるウールの生地は、驚くほど滑らかで、それでいて両肩に確かな重みを感じさせた。 九龍グループ本社ビルの最上階へと向かう専用エレベーター。密閉された箱の中は、微かな機械油の匂いと、無臭の消臭剤の香りが混ざり合っている。 液晶画面で明滅し、刻一刻と増えていく赤い数字を見つめながら、肺の奥までゆっくりと空気を吸い込み、細く長く吐き出す。 隣に立つ湊の、ぴしりと折り目のついたスラックスの裾が、視界の端で揺れた。 エレベーター特有の、わずかに内臓が浮き上がるような重力変化が収まり、ピン、という短い電子音が静寂を破る。「……準備はいいか」 低い、落ち着いた声。 視線を上げると、深い色の瞳がこちらを真っ直ぐに射抜いていた。「ええ。昨夜、麗華さんや詩織さんと何度もシミュレーションしたわ。頭の中には、現場のスタッフや顧客一人ひとりの顔が鮮明に浮かんでいるもの」 口角をわずかに上げると、湊の強張っていた頬の筋肉がふっと緩む。 重厚な金属の扉が左右に開くと、そこにはリノリウムの床を磨き上げた清掃用洗剤の匂いと、耳鳴りがするほどの張り詰めた沈黙が待ち構えていた。 ◇ 大会議室の中央に鎮座する、巨大なU字型のマホガニーのテーブル。 そこには、九龍グループの屋台骨を支える各部門のトップや、新体制で生き残った役員たちが、一分の隙もなく並んでいた。 扉を開け、一歩足を踏み入れた瞬間、数十対の視線が一斉にこちらへと突き刺さる。 その多くには、隠しきれない困惑と、冷ややかな値踏みの色が混じっていた。 湊の婚約者。 世間を騒がせている逮捕劇の、いわば「おまけ」としてこの場に招かれただけの、ただの若い娘。 彼らの視線の温度と、椅子のきしむ音から、その本音が痛いほど伝わってくる。 湊は迷いのない足取りで上座へと向かい、用意された重厚な革張りの椅子を引くこともなく、立ったまま室内をゆっくりと見渡した。「…&hell
last updateLast Updated : 2026-05-27
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第439話 彼女はただの婚約者ではない②

「お言葉ですが、西崎常務。現場の温度を軽んじている今の九龍こそが、顧客から見放されようとしている最大の原因です」 自分の声が、驚くほど冷静に、そして真っ直ぐに響いた。 役員たちの眉がピクリと跳ね上がり、薄笑いが一瞬にして消える。「現在、グループ全体のホテル稼働率は、龍一郎氏の逮捕報道以降、急激に落ち込んでいます。特に関東圏のフラッグシップホテルでは、ウェディングのキャンセルが相次いでいる。……皆さんは、そのキャンセル理由の文面を、ただの一文字でも精査しましたか?」 西崎常務が、脂汗の浮かんだ額を指先で拭いながら、苛立たしげに視線を逸らした。「……それは、ブランドイメージの一時的な失墜によるものだろう。時が経てば回復する」「違います。顧客が恐れているのは、イメージの低下ではなく、『誠実さの欠如』です。九龍のホテルで式を挙げることに憧れていた花嫁たちが、今、何に傷ついているか。……それは、自分たちが一生に一度の舞台を預ける場所が、内部抗争に明け暮れ、嘘で固められた人間たちによって運営されていたという事実そのものです」 手元のタブレットを操作し、背後の巨大なスクリーンへ映像を転送する。 そこには、昨夜までに独自に集計した、過去三ヶ月の顧客満足度の推移と、キャンセル後の流出先データ、そして顧客からの生々しいクレームの文面が分析図として表示されていた。「提案します。ホテルサービス、ブライダル事業、そして麗華さんが立ち上げたアパレル部門の三位一体となった『再生プロジェクト』です」 会議室の空気が、わずかに、しかし確実に動いた。「ホテルの宴会場をただ貸し出し、既存のプランを当てはめるだけの営業はもう古い。M&Aホールディングスが持つアパレル部門の独自ラインを、九龍の宿泊客限定のオーダーメイドサービスとして組み込みます。さらに、私が現場で培ってきたブライダルのノウハウを活かし、挙式前から後まで、顧客のライフスタイルに長期的に寄り添う『コンシェルジュ・サブスクリプション』を開始すべきです」「そんな手間のかかることを……。現場の
last updateLast Updated : 2026-05-27
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第440話 彼女はただの婚約者ではない③

 その確かな熱を感じながら、真っ直ぐに役員たちの顔を一人ひとり睨み据える。「……これが、九龍という名を再び誇り高いものにし、顧客の信頼を取り戻すための、唯一の道です」 数秒の、永遠にも感じられる濃密な沈黙。 やがて湊が、ゆっくりと革張りの椅子に腰を下ろした。 革が擦れる鈍い音が、静寂に終止符を打つ。「……今の提案、実現可能性の精査を各事業部に命じる。一週間以内に具体的な予算案と人員配置の草案を出せ。……反論がある者は、彼女以上の論理的かつ具体的な代案を持ってこい。なければ、この場で決議する」 湊の声は、地鳴りのような重みを持って広間に響き渡った。 役員たちが次々に頭を下げ、手元の資料に慌てて目を落とす衣擦れの音が、ざわざわと波のように広がっていく。 ◇「……ふう」 重厚な扉を抜け、会議室を出た瞬間、背筋を伝う冷たい汗の感触にようやく気づいた。 一気に全身から力が抜け、膝がわずかに震える。 廊下の大きな窓から差し込む冬の午後の光が、眩しすぎて思わず目を細めた。「見事だったな」 背後から、湊の大きな手が私の肩にそっと添えられる。 上質なシャツ越しに伝わってくるその手のひらの重みと体温が、空っぽになりかけていた心を満たしていく。「……怖かった。心臓が口から飛び出しそうだったわ。声、震えていなかったかしら」「そうは見えなかった。君が言葉を発し、具体的なデータを示すたびに、あの老害たちの顔から血の気が失われていくのは、見ていて非常に痛快だったよ」 湊は私の隣に並び立ち、共に窓の外を見つめた。 眼下には、ビル群の谷間を流れる車の列が、太陽の光を反射して銀色の川のように続いている。「九龍湊の婚約者としてではなく、茅野朱里という一人の経営パートナーとして、彼らは君の実力を認めた。……それは、僕にとっても最大の誇りだ」 湊の指が、肩から腕を伝い、私の指の間に
last updateLast Updated : 2026-05-28
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