All Chapters of 入籍しないなら…兄嫁になります!~冷徹社長に溺愛される日々~: Chapter 381 - Chapter 390

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第381話

雪枝はぎょっとして声を荒らげた。「……私を脅すの?私はあなたの母親よ」「母親?」裕也は唇を歪め、鼻で笑った。「母さんのやってきたことは、俺が息子だって前提で考えた形跡がない。俺と絵里の結婚を公にさせないために、裏で何をしたか?まさか、俺が言ってやらないと分からないのか」低い声。怒りを押し殺している。それでも全身から立ちのぼる気配は、ぞっとするほど凄みがあった。雪枝は真っ青になり、身体がふらつく。知っていたのか。そういえば前にS市で、彼は自分の目論見を見事に叩き潰していた。そこまで思い至った雪枝は、取り繕うのをやめた。冷笑を幾つも転がす。「人を責めるなら郁江を責めなさいよ。郁江は、あなたと絵里を絶対に幸せにしない……それでも絵里と別れないなら……」雪枝は両手を机に突き、にたりと歪んだ笑みを浮かべた。「絵里に死んでほしい、ってことよ」「安心しろ。絵里は死なせない」裕也は冷然と言い捨てる。「それより、あの可愛い息子の心配でもしてろ」雪枝は怒りで目を真っ赤にし、ここでは通じないと悟ると、吐き捨てるように部屋を出ていった。裕也は苛立ち、ネクタイを乱暴に緩める。そして健を呼びつけた。「警察に資料を持っていけ……あいつらを出すな」健は目を見開き、思わず固まった。動かない彼に、裕也の冷たい視線が刺さる。「辞めたいのか?」「い、いえっ。すぐ行きます!」健は慌てて出ていく。雪枝様がさっき怒鳴り込んできたのは……やっぱり和也様の件か。社長、容赦なさすぎだろ…………絵里が眠れたのは四時間にも満たなかった。午後四時過ぎに起き、梨乃と一緒に病院へ向かう。治夫のそばには吉田が付き添っていた。絵里を見るなり、吉田は沈んだ顔で言う。「治夫様は……まだ、お目覚めになりません」吉田は何十年も治夫に仕えてきた。情が深い分、胸の痛みも大きいのだろう。「じいちゃんは、絶対に目を覚ますよ。だから、心配しないで」絵里はそう口にしながら、同じ言葉を自分にも言い聞かせた。吉田は彼女のやつれた頬を見て、深くため息をつくと、そっと病室を出ていった。梨乃は、いつも穏やかな治夫がベッドに横たわる姿を見て、胸が締めつけられる。いつ目を覚ますかも分からないなんて、考え
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第382話

「お爺さんとご飯、ずいぶん久しぶりだね。目を覚ましたらさ、これからは私、もっとちょくちょくお茶に付き合う……いい?」「……」その光景を見つめながら、絵里は胸のつかえがほんの少しだけ下りるのを感じていた。自分にはまだ、じいちゃんがいる。梨乃がいる。あの人は結局、ただの通りすがりにすぎなかったのだ。そう割り切るしかない。人生とは、一本の列車の旅みたいなもの。途中の駅で立ち止まりながら、誰かが乗ってきて、誰かが降りていく。二人が帰ったのは、すっかり日が暮れてからだった。帰宅するなり梨乃がデリバリーを頼み、二人がシャワーを済ませて少しもしないうちに、チャイムが鳴った。絵里は肌触りのいい大きめのTシャツを着て、髪をざっくりまとめてクリップで留めている。気負いがなくて、清潔感のある姿。湯上がりの石けんの香りがふわりと漂い、彼女自身まで透きとおるみたいにさっぱりして、甘い。梨乃は隣に座ると、首を傾けて絵里の肩にこてんと寄りかかり、腰に腕を回した。「絵里がそばにいてくれるだけで、私、すっごく幸せ」吐息が首筋をくすぐって、絵里はくすっと笑いながら梨乃の頭を軽く押しのけた。「はいはい、お芝居はそこまで。ほら、冷めちゃうよ」梨乃は狙いを容赦なく見抜かれて、むっとした顔を作りつつ、テーブルに並べた容器のふたを次々に開けていく。頼んだ品数は多い。どれも学生の頃、二人でよく食べていたものだった。もともと絵里はこういうのを好んで食べるタイプじゃなかったのに、梨乃に付き合っているうちに、いつの間にか自分も好んで食べるようになっていた。二人は食べながら、取りとめもない話をした。ふいに梨乃が、急に背筋を伸ばして言う。「私ね、これからもずっと絵里のそばにいたい……友だちって、最高。友情万歳」絵里の胸がきゅっとして、頷いた。「うん。友情万歳」梨乃の前では、裏切られる心配をしなくていい。感情を押し殺す必要もない。泣きたいときは泣いて、笑いたいときは笑えばいい。梨乃が目をくるりと動かす。「……でも、なんか足りない」絵里は眉を上げた。「お酒?」梨乃はぱんっと手を叩いた。「正解!やっぱり私のこと、一番わかってるのは絵里だ」床に崩していた体勢を戻して立ち上がると、梨乃はキッチンへ駆けていって冷
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第383話

「でも……私、つらい……もう死んじゃいそう……」絵里は声を殺して泣いていた。しゃくり上げる喉は擦れて、途切れ途切れの嗚咽が言葉になる。「……何も悪いことしてないのに……なんでみんな、あんなふうにするの……なんで……?」胸の奥が、生きたまま引き裂かれたみたいだった。さっきまでの痺れが引いていく。代わりに痛みが牙を剥き、獣みたいに絵里を食い荒らす。梨乃は胸が潰れそうだった。同時に怖い。絵里が、もう踏ん張れなくなるのが。「あいつらに見る目がないだけだよ。でも、それは絵里のせいじゃない……」梨乃は必死に宥める。言葉を繋ぎ、絵里を現実に引き戻すみたいに。「私たち、どうやって知り合ったか覚えてる?うちが貧乏だって馬鹿にされて、いじめられて……挙げ句、あいつらチンピラ呼んで、私を壊そうとした」息を吸って、涙をこぼしながら続ける。「そのとき助けてくれたの、絵里だよ。あんなに細いのに、迷いもしないで。私だけじゃない……いじめられてた子のことも、ちゃんと助けてた」梨乃は絵里の肩を抱く腕に力を込めた。「絵里は……私の中では、太陽みたいな人だよ。ほんとに、いい子なんだ。すごく、すっごく……」言えば言うほど、絵里が受けてきた理不尽が蘇って、梨乃の目から涙が止まらない。絵里は梨乃にしがみつき、長い、長い時間泣いた。やがてアルコールが回り、泣き疲れた身体が梨乃にもたれ、そのまま重く眠りに落ちた。その夜、梨乃は眠れなかった。ベランダに出て、煙草を吸い続ける。一本、また一本。灰皿がいっぱいになっても、火を消す気になれない。眠れないのは、梨乃だけじゃない。裕也は苛立ちを抱えたまま、隆を飲みに誘った。だが隆は切り捨てる。「絵里にちゃんと説明しないなら、もう俺を飲みに誘うな」「……どう説明しろというんだ」裕也がこれほどまでにやりきれない口調になったのは、初めてだった。隆とて、分かってはいる。先日、病院で事情を聞かされて以来、裕也の辛い立場は痛いほど理解していた。それでも、どうしても釈然としない。「お前さ、絵里のことナメすぎなんだよ……もしかしたら、もう大人になってて、お前が思うほど脆くないかもしれないだろ」「もういい。飲みたくないならそれでいい」裕也は苛立ったまま通話を切った。これ以上、言い合う気にもな
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第384話

絵里はほどなく本社に駆けつけた。丈裕がエレベーターホールで待っていて、彼女の姿を見つけるなり、すぐさま恭しく歩み寄る。エレベーターを降りた絵里は、足を止めずに尋ねた。「みんなどこ?」「会議室に揃っております」絵里は短くうなずくと、そのまま足早に会議室へ向かった。扉を押し開ける。視線が真っ先に捉えたのは、上座にどっかり座る従兄の水原武延(みずはら たけのぶ)だった。表面は落ち着いて温厚そうに取り繕っている。だが、目の奥にあるのは傲慢そのもの。絵里の姿を見た瞬間、驚きと侮りがあからさまに浮かんだ。「絵里?どうして来た。会社に何の用だ」重役たちの視線が、一斉に絵里へ集まる。絵里はまっすぐ武延の前まで歩み寄った。「ここで何をしているの?」眉目は涼やかで、ぱっと見は刺々しくない。それでも、その視線だけは退かせない鋭さがあった。武延は一瞬だけ目を見開いたが、すぐに余裕の笑みを貼り付ける。「爺さんが体調を崩して入院した。こんな大きなグループ、誰も舵を取らないわけにいかないだろ。俺は心配でね」くつ、と喉で笑い、武延は周囲を見渡した。「……だが、ちょうどいい。取締役のみなさんの同意も得た。俺を会長代行に……」「じいちゃんが入院したからって、あなたが仕切る筋合いはないわ」絵里が言葉を遮り、取締役たちを見回した。「じいちゃん治療期間中、私が会社を管理する。じいちゃんが回復するまで」ざわり、と空気が揺れる。この数年、絵里は水原家の令嬢として会社のことに一切口を出さなかった。父が亡くなってからは、治夫の体調も日に日に悪くなり、高額の報酬で代理人を立てるほどだったのだ。その絵里が「自分がやる」と言ったところで、冗談にしか聞こえない。武延は吹き出すように笑い、立ち上がった。絵里より頭ひとつ分、高い。「何も知らないだろ。わざわざ苦労を背負い込むなよ」にこやかで、どこまでも偽善的な笑み。「俺がきちんと爺さんの代わりを務める。回復するまで、な」絵里は、あちらの分家筋とは昔から一切関わりがなかった。かつてグループの覇権を巡り、彼らは治夫と激しく衝突した末に袂を分かち、それ以来、互いに完全に縁を切っていたからだ。そんな連中が、今このタイミングで現れる。悪意がないはずがない。絵里は冷た
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第385話

この界隈では誰もが知っている。絵里は昔、和也の尻を追いかけて、金魚のフンみたいに付きまとっていた。だから取締役会の連中も、絵里が藤原家と縁組みさえすれば、会社の先行きは盤石、そう踏んでいたのだ。ところが少し前、彼女は突然の婚約破棄。それだけじゃない。ここ二日で「裕也を誘惑した」だのという醜聞まで流れ、治夫を激怒させ、ショックで倒れて入院させてしまい、いまも意識不明……取締役たちが絵里を信用しないのも、無理はなかった。「会社経営は遊びじゃない。一週間後、お前に解決できなかったらどうする?」「我々まで巻き込まれて、会社の利益を見殺しにする気か?」「解決できなければ、損失は私が個人で負担する」絵里は顎をわずかに上げ、まっすぐに見返した。噂で言われているような、役立たず、ではない。取締役会の空気が揺らぐのを見て、武延が苛立ちを隠さず声を荒げた。「お前ら、本気でこいつを信じるのか?」丈裕が淡々と言う。「絵里様は当社の筆頭株主です。それだけで、反対は通りません」「反対する者は、辞任届を提出して去りなさい」絵里が冷えた声で言い切ると、場の空気が一気に締まった。取締役たちは顔を見合わせ、口をつぐむ。武延は腸が煮えくり返った。最初は陰で味方していた連中も、いまは下手なことを言えない。武延に十分な持ち株はない。結局、折れるしかなかった。「いいだろ。俺も、絵里がこの危機を片づけられることを願ってる。一週間後、できなければ、また来る」そう吐き捨てて、武延は出て行った。何人かを焚きつけ、会長代行の座に滑り込むつもりだったのに、絵里を計算に入れていなかった。武延が去ると、他の取締役たちもぞろぞろと立ち上がる。「言葉通り、有言実行を期待していますよ。我々を失望させないでいただきたい」全員が出ていってようやく、絵里の張り詰めた神経がぷつりと緩んだ。だが、休んでいる暇はない。彼女は治夫の執務室へ向かい、丈裕に会社の現状を詳しく説明させた。新エネルギー車の工場はトラブル続きで工期に間に合わない。それどころか、当初予定していたプロジェクトも同様に延期必至。ほかにも似たような案件が山ほどある。どれも契約解除と違約金のリスクを抱えていた。こんなに都合よく、重なるものだろうか。
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第386話

裕也は書類に目を落としたまま処理を進めていたが、健の様子がどうにもおかしいことに気づき、顔を上げて横目に見る。「……何があった?」健は言いよどみ、口をつぐむ。「言わないなら、一生言わなくていい」裕也の声には苛立ちが滲んだ。ここ二、三日、彼の機嫌がやけに荒い。健は慌てて言葉を継ぐ。「奥様の件です。水原グループで問題が起きました。水原武延が……水原の代理権を奪おうとしています」裕也の冷ややかな顔が、すっと沈む。ペンを握った手が固まったまま、数秒。低く、短く命じた。「調べろ」「……承知しました」健は退出しかけて、もう一度だけ裕也を振り返る。深く見つめ、息を吐くように小さくため息をついてから、扉の向こうへ消えた。……午後3時。絵里は生産委託先の工場へ足を運んだ。応接室で待たされること四十分。ようやく姿を現したのは、工場責任者の舟知康成(ふなち やすなり)だった。「悪いねえ。工場のほうが立て込んでてさ、どうにも手が回らなくて……」四十代半ばの痩せた男。目つきは鋭く、顔には狡猾で抜け目なさが浮かんでいる。彼は絵里を見下していた。若い女が出てきたところで、という顔だ。絵里は淡く視線を返し、乾いた声で言う。「結構です。私に会う『たったそれだけ』のことに、これほど時間をかけるんですもの。納期を守れないのも納得ですね」康成の頬が引きつった。「……何だと?」「え?段取りも立てられないうえに、耳まで遠いんですか?」康成の顔色がさらに悪くなる。脇に立つ丈裕が、必死に笑いをこらえて肩を震わせた。絵里が指先を小さく動かす。合図を受け、丈裕はすぐに一通の書類を取り出して康成の前へ差し出した。絵里は要点だけを切り落とすように告げる。「三日以内に納車されない場合、契約に基づき提訴します。損害賠償、覚悟してください」声は温いのに、態度は一切揺れない。康成は一瞬、言葉を失った。「賠償?何でうちが賠償するんだ。そっちのシステムに不具合があって、こっちはそれで……」「言い訳は結構です」絵里は冷たく遮った。「システムの不具合による遅れは一週間です。それに対して、こちらは納期を二週間も猶予して差し上げているはずですが……それとも、じいちゃんが入院したからって、水原には
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第387話

「奇遇だな」修司は背が高く、がっしりした体格で、この集まりの中でもひときわ目立っていた。絵里が口元だけで笑う。「本当に、偶然」郁江は彼の姉だ。あのパーティーに何があったのか、修司が一番わかっているはず。周囲は、二人が顔見知りらしいことには気づいた。だが、絵里を見て誰だかわからない者もいる。「こちらは?」怪訝そうに修司を見て、それから丈裕を見る。丈裕のことは、彼らも知っていた。治夫の片腕。厄介ごとの多くは、丈裕が表に立って処理してきた。水原家では、この二日で大きな動きがあった。治夫が孫娘に怒り、吐血して入院。代理社長の悟史まで更迭された。ニュースには出ていない。だが、この界隈では公然の秘密だった。「こちらは水原絵里様です。治夫様のご令孫にあたり、今後は彼女がグループを取りまとめます」丈裕は胸を張って紹介した。その瞬間、ぷっと噴き出すような笑いが起こる。「へえ、噂は本当らしいな。倒れた途端、会社がこんな無能に渡るとは」「ふだんから色ボケばっかりでさ。聞いた?この前、裕也のパーティーでもやらかしたって」「へぇ?何を?」「裕也を誘惑したんだよ。知らないの?」無礼な嘲笑が飛び交い、絵里の顔など一切立てる気がない。修司はまぶたをわずかに上げ、面白がるように絵里を眺めた。どう出るのか、見物している。そんな目。丈裕は怒りで顔色を変える。絵里は冷えた視線を数人に走らせ、修司へ向き直った。唇をつり上げ、嘲る。「星野さんほどの人が、こんな連中とつるんでるなんて。意外ね」刺さったのだろう。男たちの顔が一斉に歪む。「口の利き方に気をつけろ。今はお爺さんが病室だ。守ってくれる奴はいないぞ」修司の目が細くなり、瞳の奥に冷たい光が走った。言い返そうとした、その前に。絵里は相手をまっすぐ見据え、鋭く言い放つ。「その程度の脅し、しまって。誰が決めたの?女性は守られる側だって」「なんだと!」怒号が飛ぶ。丈裕が反射的に彼女の前へ出る。だが絵里は丈裕を軽く引き下がらせ、真正面から彼らに向き合った。声は涼しいのに、言葉は容赦がない。「そんなに女性を見下すなんて、お母さんが気の毒ね。自分の息子に見下されるなんて」「てめぇ……!」男たちは顔を真っ赤にして言葉を
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第388話

絵里はそのころ、反発するしかなかった。「会社なら、父さんとじいちゃんがいるもん。私の出る幕なんてない」「お父さんもおじいちゃんも、いつかはいなくなる。絵里は会社を背負う気がないのか?」「だったら……父さんとじいちゃん、ずっと元気でいて。永遠に私を置いていかないで。ね?」拓海は愛おしそうに微笑むと、彼女の鼻先を人差し指でちょんと突いた。「わかった。お父さんもおじいちゃんも、絵里を置いていかない……」父は、結局その約束を破った。発病してから、亡くなるまで三か月もなかった。絵里と治夫を残して、あっけなく逝ってしまったのだ。あまりに早い。早すぎて、絵里の心が追いつかなかった。元気だった人が、ある日突然この世から消えてしまう。そんな現実を、受け止める暇すらくれないまま。あの日から、絵里は両親もいない孤児になった。そばにいるのは、治夫だけ。胸の奥がずしりと沈み、絵里は過去を思い返すのをやめた。「……各プロジェクトの責任者たちとアポは取れた?」息を整え、窓の外へ視線を投げるようにして尋ねる。今日から、自分が水原の重みを肩に担うことになる。そんな予感がした。「しました。ただ、全員が理由をつけて断ってきました」運転席の丈裕がルームミラー越しに、絵里の表情をうかがう。丈裕は治夫の片腕だ。つまり、治夫の目でもある。こんな時期に面会を拒んだら、裏で何を考えているかなど、見え透いていた。「いいわ。会わないなら会わないで」絵里は数秒考えたあと、淡々と言った。まるで気にしていないように。丈裕は彼女が小さいころから見てきた。疲れているのだろう、と受け取る。この歳で水原を背負わされる重圧は、並大抵ではない。だが現実の残酷さは、年齢も性別も選ばない。絵里は丈裕に会社まで送らせた。持ち帰って目を通すべき書類がある。これまで会社の大小の案件を、自分はすべて把握してきたわけではない。今から穴埋めするしかなかった。じいちゃんは、自分のせいで入院し意識を失っている。これ以上、グループを揺らがせるわけにはいかない。一階ロビーに足を踏み入れた瞬間、ひとりの女が勢いよく駆け寄ってきて、絵里の鼻先を指さし、怒鳴りつけた。「あんた!和也をあんな目に遭わせておいて、まだ訴えるつもりなの?よくも
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第389話

絵里は冷笑した。「じゃあ、この話はいったん置いとくとして……和也は私に薬を盛った。寧々は人を使って私に車をぶつけさせた。ひとつひとつ、全部まとめて、必ず刑務所に送る。冤罪なんかじゃないわね。最後に言っておくけど、自分の立場を忘れないで。私に指図するような口はきかないでくれる?」絵里の表情は冷え切っていた。これ以上、言葉を交わす気すらない。雪枝は腹の底から煮えくり返ったように肩を震わせ、指を突きつけて嘲った。「……あんたみたいな人、性根が腐ってて、あそこまで陰険なら、和也が愛さないのも当然よ。だから、あの夜、裕也に認められなかったのも、自業自得じゃない!」「裕也に認められなかった」という言葉が、絵里の胸に穴を穿つ。割り切ったつもりでも、鋭い痛みが一瞬で走った。どうして今日になっても、彼女は何もかも私のせいにするのか。愛されないのは、私のせい?認められないのも、私のせい?もう、うんざりだ。絵里は感情を凍らせたまま雪枝を見据えた。「だから、あなたにも……藤原家の誰にも、私は好意なんて一欠片も持てないよ」絵里は背を向け、丈裕に命じる。「この人をつまみ出して。それから、写真や動画を撮った奴がいるなら全部削除させて。漏らしたら即刻グループから追放、通報もする」言い捨てると、絵里はヒールを鳴らしてエレベーターへ向かった。背後で雪枝が焦った声を張り上げる。縋るようで、取り乱していて、無様だった。それでも絵里は振り返らず、淡々と上階へ上がる。雪枝は、絵里の背中に絶望をぶつけた。「もう身の破滅はしたじゃない!それでもまだ足りないっていうの……?」その言葉に、絵里は唇の端だけを冷たく吊り上げた。身の破滅だけで終わるわけがない。これまで私にしたことの代償をきっちり払わせる。絵里が執務室へ戻ると、寿樹から電話が入った。「会社の件、聞いたよ。手が必要なら言って」こちらから連絡しようと思っていた矢先だ。絵里は要点だけを告げる。「今日から正式に会社を引き継いだ。工場のほうでトラブルがあって、内通者がいる気がする。戻ってきて、手伝ってくれない?」寿樹が小さく笑った。「二日待って。こっちの段取りを片づけてから帰る」「助かるわ。ちょうど二日後に新エネルギーのシンポジウムがあるの
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第390話

再び裕也の姿を目にした瞬間、絵里の胸を、避けようのない痛みが鋭く刺した。けれど彼女は表情を崩さない。冷えた顔のまま、その場から一歩も動かなかった。裕也はダークカラーのスーツに身を包み、夜の闇に溶け込むように立っている。どこにいようと、彼の身にまとった品のよさは隠しようがない。息をのむほど整った顔立ちに、嫌でも視線が吸い寄せられる。けれど、その顔を見ても、今の絵里には苦しさしか残らなかった。「何の用?」絵里は突き放すように言い、冷たい目で彼を見た。裕也は大股で近づき、瞳にははっきりと焦りが浮かんでいた。「母さんが会社に行ったのか?お前、無事だったか?母さんが何か……」「藤原さん」絵里は一歩退いて距離を取り、淡々と遮った。「私のことは私で片づけます。余計なことはしないで」まるで彼に愛想を尽かしたかのような、よそよそしさ。裕也の目の色が一瞬きつくなる。それでも何事もないふりをして言った。「困らせてないか心配だった。今、和也と寧々が拘束されてる。助けるためなら、母さんは何でもやる」「藤原家の人間が何でもやるのは、知ってるわ」絵里の態度は最初から最後まで変わらない。視線を外し、氷のように言い捨てた。「今後、離婚の話以外で私に近づかないで」丈裕の胸が、ひゅっと縮む。彼は治夫の厚い信頼を受け、絵里と裕也が極秘で入籍していることも知っていた。もともと裕也は結婚を公にすると言っていたのに、一昨日の夜、突然それを翻した。そのせいで治夫は怒りのあまり吐血し、病院へ運ばれた。丈裕がそれを知ったのは吉田からだ。おそらく、その一件が絵里様を揺さぶり、彼女を変えてしまった。数年前とは、まるで別人だ。「絵里……」追いかけようとする裕也を、丈裕が片手を上げて制した。「藤原さん、それ以上はご遠慮ください」「どけ」裕也の眼差しは鋭く、拒む余地を与えない。普通なら、それだけで足がすくむ。それでも丈裕は一歩も退かなかった。「あなたは絵里様を、どれだけ傷つければ気が済むんですか?あなたのせいで、治夫様はいまも入院しています。水原グループは今、内外に無数の敵を抱えており、絵里様には、もうあなたに構っている暇などありません」口にするだけで胸が痛んだ。裕也の喉仏が小さく上下
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