All Chapters of CARDINAL(カーディナル) ― 裏切られた前世を返上し、今生は私が主役 ―: Chapter 31 - Chapter 40

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第31話 フジ、自分の感情に気づき始める

夕暮れの訓練場には、乾いた土の匂いが残っていた。日が傾き、空が茜色に染まり始める頃。フジは一人、剣を振っていた。規則正しく。迷いなく。何百回と繰り返してきた型を、今日もなぞる。それはいつものことだった。何かを考えたくない時ほど、剣を振る。身体を動かせば、余計な思考を押し流せる。そう思っていた。だが今日は違った。振るたびに浮かぶ。ルピナスの顔が。昨日の中庭で見せた、あの揺れる瞳。「変わったって信じたら、また傷つくかもしれない」あの言葉が、まだ耳に残っていた。フジは剣を止める。呼吸が少し乱れていた。身体ではない。心の方が。昔から、ルピナスを見てきた。彼女が笑う時も。怒る時も。泣きそうな時も。強がる時も。ずっと見てきた。それはただ、守るためだと思っていた。侯爵家に仕える者として。幼い頃から知る相手として。当然のことだと。だが、最近は違う。ローゼンが近づくたび、胸の奥がざわつく。ルピナスが王子を気にするたび、妙に落ち着かない。そして昨日。彼女が王子のことを口にした時。あの震えた声を聞いた時。胸のどこかが締めつけられた。それがなぜなのか、ずっと考えていた。「……面倒だな」ぽつりと零れた声は、風に流れた。フジは昔から感情に鈍かった。怒りも、喜びも、必要な時にだけ表に出す。それで十分だった。そう思っていた。だが。ルピナスのことになると、それが崩れる。ケーキを食べれば安心する。体調が悪ければ気になる。笑えば嬉しい。落ち込めば苦しい。それが当たり前になっていた。当たり前すぎて、気づかなかった。いや。気づかないふりをしていたのかもしれない。「好きなのか」その言葉を、初めて口にした。驚くほど静かだった。けれど、口にした瞬間。胸の奥にあった違和感が、ぴたりと形を持った。そうか。これがそうなのか。理解した瞬間、妙に納得した。同時に、少しだけ苦かった。ルピナスの視線は、今ローゼンに向いている。完全ではなくても。少しずつ。気になり始めている。それを見てしまった。気づいてしまった。遅かったのかもしれない。ローゼンは失って気づいた。自分は、気づいた時にはもう遅いのかもしれない。フジは剣を地面に突き立て、深く息を吐いた。夕陽が刃に赤く映る。その赤はどこか
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第32話 ルピナス、フジの異変に気づく

第32話 ルピナス、フジの異変に気づく 夕陽が訓練場の土を赤く染めていた。 乾いた風が吹き抜けるたび、砂が舞い上がり、その向こうに立つフジの影が揺れる。 ルピナスは少し息を整えながら、その姿を見つめた。 こんな場所まで来るのは珍しい。 けれど今日は、どうしても気になってしまった。 昼間、ローゼンが来なかったこと。 あの空白が妙に胸に残ったこと。 そして、その後ずっとフジのことを考えていたこと。 理由は分からない。 ただ、会いたいと思った。 その気持ちのまま足を運んでいた。 「こんなところにいたのね」 声をかけると、フジがゆっくり振り返った。 その顔を見た瞬間、ルピナスは違和感を覚えた。 何かが違う。 いつもと同じようで、どこか違う。 目の奥に熱がある。 それなのに、それを必死に押し込めているような、不自然な静けさだった。 「どうしたの?」 ルピナスが近づく。 フジは視線を逸らした。 「別に」 その返事が妙に硬い。 ルピナスは眉をひそめる。 「嘘よ。そんな顔してる」 フジは答えない。 沈黙が落ちる。 風だけが二人の間を抜けていった。 その静けさが、かえってルピナスの胸をざわつかせる。 「何かあった?」 真っ直ぐ見上げると、フジの喉が小さく動いた。 近い。 思った以上に。 その距離だけで、胸の奥が落ち着かない。 フジは気づいていた。 さっき自覚したばかりの感情が、目の前の彼女によって簡単に揺さぶられていることを。 好きだ。 その言葉を知った瞬間から、ルピナスの仕草ひとつひとつが痛いほど鮮明だった。 「……何でもない」 絞り出すような声だった。 ルピナスは納得しない。 そっと手を伸ばし、フジの額に触れた。 熱を測るような自然な仕草。 だが、その瞬間だった。 フジの身体がわずかに強張った。 ルピナスは目を見開く。 こんな反応、初めてだった。 今までなら動じなかった。 触れても、近づいても、いつだって静かだったのに。 今日は違う。 まるで、その指先に触れられるだけで何かが壊れてしまいそうな顔をしていた。 フジはゆっくりと、その手首を掴んだ。 力は強くない。 けれど、その熱が直接伝わってくる。 「……ルピナス」 低い声だった。 少し掠れていて、どこか苦しそうだった。
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第33話 ルピナス、眠れない夜

その夜、ルピナスは眠れなかった。窓の外には淡い月明かりが差し込み、静かな夜風が白いカーテンを揺らしている。普段なら、この時間にはもう夢の中にいるはずだった。けれど今夜だけは違った。何度目かの寝返りを打ちながら、ルピナスは深く息を吐く。頭の中から離れない。フジのあの顔が。あんな目をするフジを、ルピナスは知らなかった。いつだって落ち着いていて、冷静で、何があっても揺るがない人だった。自分が怒鳴っても。泣いても。笑っても。フジは変わらずそこにいた。まるで大樹みたいに。どんな風が吹いても動かない存在だった。なのに今日は違った。触れた瞬間、身体が強張った。手を掴まれた時の熱も、まだ指先に残っている気がする。あの声。あの目。あの震え。全部が知らないフジだった。「……何だったのよ」小さく呟く。答える者はいない。ルピナスは布団を頭までかぶった。けれど、それでも消えない。胸のざわめきだけが大きくなる。思い出すのは、フジだけではない。ローゼンの顔も浮かぶ。昨日、中庭の向こうで見たあの苦しそうな表情。あんな顔をする人だとは思わなかった。前世では最後まで、自分を見下ろし、自信に満ちていた男だった。揺らぐことなんてなかった。それなのに今世では違う。失う痛みを知ったみたいな顔をする。身を引こうとするような背中を見せる。それが妙に胸に残る。「もう、何なのよ……」苛立ち混じりに枕へ顔を埋める。ローゼンは嫌いなはずだった。そう決めていた。前世の痛みは消えない。裏切られた記憶も、処刑台の冷たさも、忘れられない。だから許さない。そう決めた。なのに。今のローゼンを見るたび、その決意が少しずつ揺らぐ。そしてフジ。一番安心できるはずの存在が、今日突然知らない男になった。考えたくない。でも考えてしまう。胸の奥が落ち着かない。まるで何かが静かに動き始めているみたいだった。その時、不意に窓が小さく鳴った。風かと思った。だが違う。ルピナスはゆっくり身体を起こす。窓辺に、黒い影が立っていた。月明かりの中、その輪郭が浮かび上がる。長い黒髪。仮面。冷たい気配。ブラックローズだった。ルピナスの呼吸が止まる。前世で、自分を陥れた黒幕。何度も夢に見た存在。その男が、今目の前にいる。ブラックロー
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第34話 黒幕、再来

月明かりが部屋の床を青白く照らしていた。静まり返った寝室に立つ黒い影。ブラックローズ。その存在を認識した瞬間、ルピナスの全身から血の気が引いた。喉が凍りつく。呼吸が浅くなる。忘れられるはずがなかった。前世で自分を陥れた男。ローゼンを操り、王宮を混乱させ、自分を処刑台へ送った元凶。夢では何度も見た。けれど現実で目の前に立つその姿は、想像以上に冷たく禍々しかった。「驚いた顔だな」ブラックローズは低く笑った。その声だけで背筋が粟立つ。ルピナスは震える指先を握り締めた。怖い。でも、逃げてはいけない。前世とは違う。今の自分は、ただ奪われるだけのルピナスじゃない。「どうしてここにいるの」声が震えた。それでも睨み返す。ブラックローズは窓辺に寄りかかりながら、楽しそうに目を細めた。「確認しに来た」「何を」「お前が本当に戻っているのかを」その言葉に、ルピナスの心臓が止まりかけた。知っている。この男は知っている。自分が時を巻き戻したことを。いや。もっと正確に言えば。この男もまた、何かを知っている。「何を言っているの」平静を装う。だがブラックローズは笑った。「隠さなくていい。お前は死んだ。処刑された。あの日、確かにな」その言葉が胸を抉る。ギロチンの冷たさが蘇る。落ちる刃。流れる血。民衆の歓声。あの絶望。ルピナスは無意識に胸元を押さえた。ブラックローズはその反応を見て確信したようだった。「やはり覚えているか」月明かりの下、その仮面が不気味に光る。「なぜ……あなたがそれを知っているの」ブラックローズは答えない。代わりに一歩近づいた。「運命は変わり始めた。ローゼンも、フジも、本来の道から外れている」ルピナスの瞳が揺れる。全部見ている。全部知っている。この男は最初から盤面を眺めていたのだ。「だが面白い」ブラックローズは笑う。「お前が足掻くほど、この物語は歪む」その言葉に、ルピナスの中で恐怖が怒りに変わる。「物語じゃないわ。これは私の人生よ」声が鋭く響いた。ブラックローズは少しだけ目を細めた。「そうだ。その強さが見たかった」次の瞬間だった。窓の外から鋭い音が響く。ガンッ!!何かが割れる音。同時に黒い矢が部屋へ飛び込んだ。ブラックローズは瞬時に身を翻し、それを避け
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第35話 フジ、黒幕と対峙する

夜の空気が張り詰めていた。割れた窓から吹き込む冷たい風が、カーテンを大きく揺らす。月明かりの中、フジは剣を構えたままブラックローズを睨んでいた。その瞳には、いつもの静けさがない。鋭く研ぎ澄まされた殺気だけがあった。ルピナスは息を呑む。こんなフジを見るのは初めてだった。ブラックローズは窓辺に立ったまま、愉快そうに笑っている。「随分と早いな」「最初から気配を追っていた」フジの声は低い。迷いがない。ブラックローズは肩をすくめた。「番犬としては優秀だ」その瞬間だった。フジの剣が閃く。床を蹴る音すらほとんど聞こえなかった。一瞬で距離を詰める。鋭い斬撃。ブラックローズは後ろへ飛び退き、それを避けた。壁に剣筋が走り、石が砕ける。ルピナスは思わず息を止めた。速い。速すぎる。フジは本気だった。「お前が前世の黒幕か」フジの問いに、ブラックローズは仮面越しに笑う。「そうだったとして?」「ならここで斬る」その声には一切の感情がなかった。だが、ルピナスだけは気づいた。怒っている。あの静かな男が、確かに怒っている。ブラックローズは低く笑った。「面白い。まだ何も知らないくせに」その瞬間、黒い霧が部屋中に広がった。視界が曇る。ルピナスは咳き込む。フジは瞬時にルピナスの前へ立った。庇うように。その背中が目の前にある。広くて、熱い。「下がれ」短い命令。だがその声に迷いはない。ブラックローズの笑い声が霧の中から響く。「守るのか」「当然だ」即答だった。ルピナスの胸が大きく跳ねる。ブラックローズは楽しそうに笑った。「護衛としてか?」フジの剣先が微かに揺れる。その一瞬の沈黙を、ブラックローズは見逃さなかった。「なるほど」低く笑う。「お前も堕ちたか」フジの目が鋭く細まる。次の瞬間。黒霧を裂くように剣が走った。風圧だけで霧が吹き飛ぶ。ブラックローズの頬に一本の傷が走る。血が落ちた。仮面の下から笑みが深まる。「良い剣だ」「次は首だ」冷たい声だった。ブラックローズは窓枠へ飛び乗る。逃げるつもりだ。だが去る直前、その視線はルピナスへ向いた。「思い出せ、ルピナス」その声が妙に重かった。「お前が死んだ本当の理由を」次の瞬間、闇へ溶けるように消えた。静寂が戻る。割れた窓から夜
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第36話 ローゼン、遅れて駆けつける

夜の王宮は異様な静けさに包まれていた。 その静寂を破るように、ローゼンは廊下を駆けていた。 胸騒ぎがしていた。 理由は分からない。 だが嫌な予感だけが、ずっと胸の奥を締めつけていた。 執務室で書類を見ていた時だった。 窓の外から鋭い殺気が走った。 それは一瞬だった。 だが確かに感じた。 嫌でも分かった。 あれは尋常な気配ではない。 そして、その方向はルピナスの部屋だった。 考えるより先に身体が動いていた。 息が乱れる。 こんなに必死に走るのはいつ以来だろう。 頭の中には最悪の光景ばかり浮かぶ。 前世。 処刑台に立つルピナス。 血に染まる白い首筋。 冷たい目。 泣きそうな顔。 あの日の光景が離れない。 もしまた失ったら。 今度こそ、本当に取り返しがつかない。 ようやく辿り着いた時。 部屋の窓は割れていた。 冷たい風が吹き込んでいる。 床には石の破片が散らばり、空気の中にはまだ戦闘の残り香があった。 ローゼンは息を呑む。 部屋の中央に立っていたのは、フジだった。 剣を握ったまま。 その前に、ルピナスがいた。 無事だった。 その姿を見た瞬間、全身の力が抜けそうになる。 安堵が胸に広がる。 だが次の瞬間。 ローゼンの目に映ったのは、ルピナスの肩に置かれたフジの手だった。 近い。 あまりにも。 二人の距離が。 その空気が。 一瞬、息が止まる。 自分が知らない場所で、自分の知らない時間が流れていた。 それがはっきりと見えた。 「……何があった」 声が低く落ちる。 フジが振り返る。 その目にはまだ戦闘の熱が残っていた。 「襲撃だ」 短い答えだった。 ルピナスが顔を上げる。 「ブラックローズよ」 その名前に、ローゼンの瞳が大きく揺れた。 忘れるはずがない。 前世でも暗躍していた男。 すべての裏にいた存在。 「なぜ今……」 ローゼンが呟く。 ルピナスは唇を噛んだ。 あの言葉が頭を離れない。 ――お前が死んだ本当の理由を。 本当の理由。 それは何だ。 前世の死には、自分の知らない何かがある。 その考えが恐怖を呼ぶ。 ローゼンはそんなルピナスの顔を見て、胸が締めつけられた。 怯えている。 震えている。 こんな顔をさせたくなかった。 今世では絶対に。
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第37話 ルピナス、前世の記憶を辿る

夜明け前の空は、まだ薄暗かった。窓辺に座ったまま、ルピナスは一睡もできずにいた。ブラックローズの言葉が、何度も頭の中で響いている。――思い出せ。お前が死んだ本当の理由を。本当の理由。あれは何を意味していたのか。前世で自分は、ローゼンに裏切られた。そう思っていた。王妃候補として国のために尽くし、婚約者として彼を支え続けた。けれど最後に待っていたのは冷たい拒絶だった。「俺の言うことを聞かないなら、お前は要らない」その一言で、すべてが終わった。処刑台の上で、自分はそう信じて死んだ。それが真実だと。けれど。もし違ったら。ルピナスは震える指先を膝の上で握り締めた。思い返す。あの日。処刑前夜のことを。暗い牢の中。誰かが来た。足音が聞こえた気がする。でも顔が思い出せない。記憶がぼやけている。あれはローゼンだったのか。それとも別の誰か。思い出そうとすると、胸の奥が重く痛む。「どうして……」声が漏れる。あんなに鮮明だったはずの記憶が、肝心なところだけ抜け落ちている。不自然だった。まるで誰かに塗り潰されたみたいに。その時だった。コンコン、と控えめなノックが響く。ルピナスは顔を上げた。「誰?」「私ですわ」ダリアだった。朝早くから珍しい。扉を開けると、ダリアはいつもより少し真剣な顔をしていた。「顔色が悪いですわよ」ルピナスは苦笑する。「眠れなかっただけ」ダリアはすぐに察したようだった。昨夜の襲撃はすでに屋敷中に知れ渡っていた。当然、隠しきれる話ではない。「怖かったでしょう」その言葉に、ルピナスは少しだけ目を伏せた。怖かった。でも、それ以上に怖いのは。自分の知らない真実がまだあることだった。「ダリア」「なんですの」「もし、自分の信じてた過去が間違ってたら……どうする?」ダリアは少し驚いた顔をした。だがすぐに静かに答える。「確かめますわ」その答えはあまりにも真っ直ぐだった。「痛くても?」「痛いからこそですわ。知らないままの方が、ずっと怖い」ルピナスは息を呑んだ。その言葉が胸に落ちる。知らないままの方が怖い。確かにそうだ。前世の真実を知るのは怖い。でも逃げ続ければ、また同じ場所へ戻るかもしれない。ブラックローズはそれを知っている。なら自分も知らなければならない
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第38話 ローゼン、封じていた真実を語る

朝の光が庭を柔らかく照らしていた。露に濡れた花々が静かに揺れ、その美しさとは裏腹に、ルピナスの胸の内はひどくざわついていた。昨夜から眠れないまま迎えた朝。ブラックローズの言葉。前世の断片。抜け落ちた記憶。すべてが胸の奥で絡まり合っていた。そして今、その答えに最も近いかもしれない男が目の前にいる。ローゼン。庭の中央に立つ彼は、珍しく視線を逸らしていた。いつもの自信も余裕もない。ただ苦しそうだった。ルピナスは静かに近づく。風が二人の間を抜ける。「話があるの」先に口を開いたのはルピナスだった。ローゼンは少しだけ目を伏せる。「……だろうな」彼も分かっていた。もう逃げられないと。ルピナスはまっすぐ見つめた。「前世の最後、あなたは何を知っていたの?」その問いに、ローゼンの指先がぴくりと震える。図星だった。ルピナスの心臓が速くなる。やっぱり知っている。「答えて」声が少しだけ強くなる。ローゼンは深く息を吐いた。その顔はひどく苦しそうだった。「……俺は、お前を裏切ったわけじゃない」その言葉に、ルピナスの瞳が揺れる。聞きたかった言葉。でも、簡単に信じられない言葉。「なら、どうして」ローゼンの喉が詰まる。言いたくなかった。封じていたかった。あの日の真実は、自分にとっても地獄だったから。「お前の処刑命令は……俺が出したものじゃない」空気が止まる。ルピナスは息を忘れた。「……え?」ローゼンは拳を握る。爪が皮膚に食い込むほど強く。「俺は止めた。必死で止めた」声が震えていた。「だが王命だった」王命。その言葉が重く落ちる。ルピナスの頭が真っ白になる。そんな話、知らない。処刑の日、ローゼンは何も言わなかった。ただ冷たい顔で立っていた。だから自分は信じた。見捨てられたのだと。「嘘よ」思わず声が漏れる。信じたくなかった。今まで抱えてきた怒りも悲しみも、全部崩れてしまうから。ローゼンは目を閉じる。「嘘じゃない」そしてゆっくりと続けた。「あの日、お前に会いに行った」ルピナスの呼吸が止まる。牢の前。あの足音。ぼやけた記憶。「あれは……」「俺だ」ローゼンの声は苦しかった。「あの時、お前を逃がそうとした」世界が揺れる。逃がそうとした?そんな記憶はない。ないはずなの
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第39話 フジ、決意する

柱の陰に立ったまま、フジは動けずにいた。風が庭を抜けていく。朝の光が石畳を照らし、その中央で向き合う二人の姿を静かに浮かび上がらせていた。ルピナス。ローゼン。そして、その間に流れる空気。フジはすべて聞いてしまった。前世の真実。ローゼンが彼女を裏切ったわけではなかったこと。逃がそうとしていたこと。そして今もなお、彼女を失いたくないと願っていること。胸の奥が重く沈む。知らなければよかったと思った。だが知ってしまった以上、もう戻れない。ルピナスの涙が落ちるのを見た瞬間、フジの胸が強く締めつけられた。あの涙は、怒りではない。憎しみでもない。揺れている涙だ。心が動き始めている証だった。「……そうか」小さく呟く。ローゼンの想いは本物だった。少なくとも今は。それが分かるからこそ苦しい。もし真実を知れば、ルピナスはローゼンを許すかもしれない。そうなれば。自分の居場所はどうなる。その問いが初めて胸を刺した。今まで考えたこともなかった。守れればいいと思っていた。傍にいられればそれで十分だと。だが違った。昨夜、ブラックローズから彼女を庇った時。肩に触れた時。あの温度を失いたくないと思った。あれは護衛としての感情ではない。もう、分かっている。フジはゆっくり目を閉じた。認めたくなかった。だが認めるしかない。自分は。ルピナスを愛している。その言葉が胸の中で形になった瞬間、苦しさと同時に奇妙な静けさが訪れた。ようやく、自分の感情に名前がついた。だが遅い。あまりにも遅い。ルピナスの心にはまだローゼンがいる。たとえ憎しみでも。たとえ誤解でも。それほど深く刻まれている。簡単に消えるものじゃない。「……それでも」フジは目を開ける。黒い瞳に静かな熱が宿る。それでも諦める理由にはならない。想うことをやめる理由にもならない。自分は番犬ではない。ただ守るだけの存在でもない。欲しいと思ってしまった。彼女の隣を。笑顔を。未来を。その時だった。ルピナスがこちらに気づいた。涙を拭いながら、少し驚いた顔をする。「フジ?」ローゼンも振り向く。二人の視線がぶつかった。一瞬だけ空気が張る。ローゼンはすぐに理解した。聞かれていたのだと。フジはゆっくり歩み寄る。その表情はいつも通り静かだ
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第40話 ルピナス、揺れる心

庭に落ちた朝露が、光を受けて小さく揺れていた。けれどルピナスの胸の内は、それどころではなかった。心が落ち着かない。ローゼンから聞かされた真実。逃がそうとしていたこと。王命だったこと。そして、自分の記憶が誰かに弄られているかもしれないという事実。何もかもが今まで信じていたものを壊していく。「ルピナス」ローゼンの声が、低く落ちる。その声を聞くだけで胸が痛む。今までなら怒りが先に来た。顔を見るだけで苛立っていた。けれど今は違う。怒りの中に、別の感情が混ざっている。それが何なのか、自分でも分からない。ルピナスは唇を噛んだ。「どうして……言わなかったの」震える声だった。ローゼンは目を伏せる。「言えば、お前をもっと苦しめると思った」「苦しんでたわよ」思わず声が強くなる。「私はずっと、あなたに捨てられたと思って生きてきた」その言葉に、ローゼンの顔が歪んだ。傷ついた顔だった。その顔を見ると、なぜか自分まで痛くなる。「悪かった」たった一言。でもその一言が、前世の何年分もの後悔を背負っているように聞こえた。ルピナスは目を逸らす。許せるわけじゃない。すぐに全部を受け入れられるわけでもない。でも。憎しみだけではなくなってしまった。それが苦しい。その時だった。フジが静かに一歩前へ出る。その動きに、ルピナスの視線が向く。フジは真っ直ぐローゼンを見ていた。冷たいくらい静かな目だった。「過去がどうであれ」低い声が空気を切る。「今のルピナスを傷つけるなら、俺は容赦しない」その言葉に、ルピナスの胸が大きく跳ねた。フジの声はいつもより少し強かった。迷いがない。まるで宣言みたいだった。ローゼンもそれを感じ取る。目を細める。「護衛としてか」フジは答えない。沈黙だけが落ちる。だが、その沈黙こそ答えだった。ローゼンの胸に熱が走る。分かった。こいつも同じだ。ルピナスを想っている。その事実が、妙に腹立たしかった。「なら」ローゼンが静かに言う。「俺も譲らない」空気が張る。二人の視線がぶつかる。火花は見えない。けれど確かに散っていた。ルピナスは息を呑む。何これ。どうしてこうなるの。つい昨日まで、こんな空気じゃなかった。なのに今は違う。ローゼンも。フジも。二人とも、自分を見て
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