社内の空気は、落ち着いていた。柳川と細木が付き合い始めたことは、周囲もなんとなく知っている。だが、柳川は変わらず上司として接していた。距離は保たれている。だから問題はない。その日の朝、柳川は珍しく上機嫌だった。ミーティング前から、どこか落ち着かない。書類をめくる手が少しだけ速い。細木はそれに気づいていた。.....何かある。理由は分からないが、機嫌が良さそうだというだけで、少しだけ気分が軽くなる。「来週末、社内旅行を計画します」ミーティングの中で、柳川が言う。「参加希望の方は、私までお願いします」事務的な口調。だが、どこか力が入っている。細木は、何も言わずに聞いていた。これまでも社内旅行には参加してきた。今回も、おそらく同じだ。隣で、真鍋が小さく身を乗り出す。「課長、最近ちょっと気合い入ってません?」くすっと笑いながら、細木に向けて言う。「細木さん、何かしたんですか?」細木は一瞬だけ考える。心当たりはない。だが、悪い気はしない。「そうね、頑張られてるわね」そう答えながら、口元だけが少し緩む。真鍋はそれを見逃さない。「やっぱり何かあるじゃないですか」軽い調子で笑う。細木はそれ以上は答えない。「旅行かあ……」誰にも聞こえない声で、細木が呟く。「行きたいな」少しだけ間を置いて、「課長と」自分でも驚くほど、小さな声だった。一方で、柳川には明確な思惑があった。今回、自ら社内旅行の企画に入ったのは偶然ではない。行き先を決められる。その一点のためだった。限られた予算の中で、選べる場所は多くない。それでも、決めていた。行きたい場所がある。連れて行きたい場所がある。愛媛県松山市。柳川が生まれ育った場所だ。海も、街も、空気も、覚えている。その中でも、ひとつだけ。どうしても見せたい場所があった。「温泉もありますし、無難ですよね」誰かが言う。「いいですね、道後とか」話は自然にまとまっていく。道後温泉反対する者はいない。予算にも収まる。条件は揃っていた。企画は、そのまま通った。参加者のリストの中に、細木の名前がある。柳川はそれを確認して、鼻息ぐ荒くなっていた。まだ何も始まっていない。ただ、場所が決まっただけだ。それでも十分だった。
ปรับปรุงล่าสุด : 2026-07-21 อ่านเพิ่มเติม