愛して、離れて、もう振り返らない
人工妊娠中絶の手術室の前で、医師が白川詩乃(しらかわ しの)に諭すように言った。
「中絶は体への負担が大きいです。産める状況なのであれば、できれば出産することも考えてみてください。もう一度、ご家族と相談されますか?」
詩乃はスマホを手に取り、鷹宮蓮司(たかみや れんじ)にメッセージを送った。
【病院にいる。子どもをおろすつもり】
返事はすぐに届いた。
【うん】
彼女がスマホの画面を医師に見せると、医師はそれ以上何も言わず、手術の準備に入った。
詩乃はその短い返事を見つめながら、ふと、自分がひどく哀れに思えた。
彼女はずっと、蓮司はただ淡々とした性格で、余計なことを言わない人なのだと思っていた。
けれど結婚して五年が経ち、ようやく気づいた。彼は感情に乏しい人間なのではない。ただ、持っている熱のすべてを、幼なじみの常盤安奈(ときわ あんな)に注いでいただけだった。
当然のように、詩乃に向けるものなど、淡々とした態度くらいしか残っていなかったのだ。
詩乃だって、何も言わずに我慢してきたわけではない。けれど蓮司はこう言った。
「俺と安奈は子どもの頃からの友達で、今は同僚でもある。彼女とは仕事で必要なやり取りをしているだけだ。それに、結婚生活なんてこういうものだろ。穏やかに、淡々と続いていくのが本物なんだ。腰を据えて暮らしていけば、それでいいじゃないか」
彼女は言い返せなかった。だから、彼のその淡々とした態度を受け入れようとした。