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第2章:007

last update Petsa ng paglalathala: 2026-07-31 14:02:30

 ※

 駅近くにある、オーガニック野菜と果物カクテルが人気の居酒屋の一角で、渚は高校時代からの友人たちとテーブルを囲んでいた。木目調の落ち着いた店内は女性客がその大半を占めており、どの席からも華やかで賑やかな笑い声が聞こえてくる。

 左手の薬指に輝く指輪を恥ずかしそうに見せる綾乃を、全員が満面の笑顔で祝福した。

「本当におめでとう、綾乃」

 渚が心からの祝意を伝えると、綾乃は嬉しそうに目を細めたが、ふと渚の髪に目を留めた。

「ありがと。……あ、渚、髪切った? すごい似合ってる。お洒落なカット」

「えっ、あ、うん。ちょっと出張の時にね……」

 少し照れくさそうに整った毛先を触る渚を見て、友人たちの一人が身を乗り出した。

「このあと、二次会行かない? 近くに可愛いカフェあるんだよね」

「行くー!」

 みんなが口々に賛成するなか、渚だけが少し申し訳なさそうに手を振った。

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  • 壊したいほど好きだから、   第2章:009

     ※ ※ ※ 渚は綾乃たちと居酒屋でどんな会話をしたか、玲に楽しそうに教えてくれた。 綾乃の婚約者は大学のサークルで知り合った二つ上の先輩だったということ、彼氏から振られて合コン三昧の友人のこと、それから仕事に生きると宣言した友人のこと――渚は、高校時代の思い出をなぞるように、懐かしむように語ってくれた。 ただ、出張先での詳しい話が渚から語られることはなかった。出張先で購入したお土産を彼女から受け取った時に「出張どうだった?」と訊くタイミングはあったのに、玲が訊くことを躊躇ったからだ。渚が仕事に生きがいを感じることは、悪くはないことなのに。渚が楽しそうに仕事の話を語ることだって、何も悪くない。暗く沈んでいた高校時代の渚を知ってるからこそ、本気でそう思える。渚が笑顔で喋っている姿を眺めるだけの時間は、至福の時だった。 しかし、その奥底に存在するもう一人の自分が叫んでいるのも事実だった。『俺以外を見るな』『俺以外と楽しく過ごすな』『俺の見ていないところで、幸せにならないでくれ』 その感情を押し殺し、幸せそうに微笑んでいる渚に向けて、玲もまた微笑んでいた。 見えない血の涙を流して。 その翌週の金曜日――昼休憩。 玲は社内の階段の踊り場へ向かうと、ジャケットの内ポケットから携帯を取り出し、迷わず渚の番号をタップした。『もしもし、玲?』 携帯越しに聞こえる渚の柔らかい声。それだけで、午前中の仕事の疲れが吹き飛ぶようだった。今日は金曜日。夜になれば渚が自分の家に来てくれる。そして、土曜日は渚とカーテンを買いに行くのだ。彼女が選んでくれたカーテンで窓を覆う――二人だけの空間が生まれる。「今、大丈夫? ご飯ちゃんと食べた?」『うん、食べたよ。玲は? 今夜、カウンセリング終わってから玲の家に行くから……』 そこまで言った時だった。 渚の背後から男の声が紛れ込んできた。『相良ちゃーん、休憩中にごめん! この資料チェックを至急頼んでいい?』『はーい、すぐ行きます!』 渚がごく自然に、明るい声で返答する。『ごめんね玲、ちょっと仕事頼まれちゃった。また夜ね』「あ……うん。待ってる――」 プチッ、と通話が切れる。 静まり返った階段の踊り場で、玲は手に持った携帯を握り締めたまま、呆然と固まっていた。(相良ちゃん……? なんでそんなに親しそうなん

  • 壊したいほど好きだから、   第2章:008

      お会計を済ませ、居酒屋の外へ出た。 女性客で賑わう店を後にし、玲が車を取りに駐車場へ向かっている間に、一人になった渚の手を綾乃はぎゅっと強く握り締めた。その瞳には、明らかな危惧の色が浮かんでいる。「何かあったらすぐ連絡するんだよ。絶対に、一人で抱え込まないでね」「なにもないよ!」 渚は満面の笑顔でそう答えて、玲の車に乗り込んだ。 玲は綾乃たちに運転席から頭を下げて、車を車道へ進めた。 遠ざかって行く二人を乗せた車を、綾乃は複雑な表情で見送ることしかできなかった。 ※ 渚を助手席に乗せ、玲は居酒屋の駐車場を出た。 車内には控えめに暖房が効いており、静かなエンジン音だけが夜の街に溶けていく。 新しく整えてもらった髪を、渚が褒めてほしそうにしているのが分かった。彼女は自分の髪を撫でながら、チラチラと見てくるのだから――。 ハンドルを握る手に力がこもった。渚の言葉を待っていたけれど、彼女はなかなか切り出せないでいるようだった。「いつ引っ越す?」 玲は髪のことに触れるつもりが、違う言葉を投げかけていた。 「えっ?」 唐突な問いかけに、渚は目を瞬かせた。「えっと……まだ自分の部屋の荷物もまとめてないし、新居の家具もこれから決めなきゃだし――」「家具は買った」「え……」「食器も二人分、もう揃えてある」 渚の言葉を遮るように告げると、彼女の瞼が微かに痙攣し、渚は目を伏せた。 「一緒に、選びたかったな……」 渚が、ぽつりと呟いた。 すると、玲は慌てたような口調で言った。「ごめん! 俺、先走って勝手に買っちゃった。渚と早く一緒に暮らしたくて……本当にごめんね」「ううん、どうして謝るの? 私がのろのろしてるから、玲が気を利かせて買ってくれたんでしょ? ……

  • 壊したいほど好きだから、   第2章:007

     ※  駅近くにある、オーガニック野菜と果物カクテルが人気の居酒屋の一角で、渚は高校時代からの友人たちとテーブルを囲んでいた。木目調の落ち着いた店内は女性客がその大半を占めており、どの席からも華やかで賑やかな笑い声が聞こえてくる。 左手の薬指に輝く指輪を恥ずかしそうに見せる綾乃を、全員が満面の笑顔で祝福した。「本当におめでとう、綾乃」 渚が心からの祝意を伝えると、綾乃は嬉しそうに目を細めたが、ふと渚の髪に目を留めた。「ありがと。……あ、渚、髪切った? すごい似合ってる。お洒落なカット」「えっ、あ、うん。ちょっと出張の時にね……」 少し照れくさそうに整った毛先を触る渚を見て、友人たちの一人が身を乗り出した。「このあと、二次会行かない? 近くに可愛いカフェあるんだよね」「行くー!」 みんなが口々に賛成するなか、渚だけが少し申し訳なさそうに手を振った。「あ。私はパスで……ごめんね」「えー、なんでよ渚」「玲が二十二時に迎えに来てくれることになってるの」「はあ? 高校生の門限じゃあるまいし!」 呆れたように声を上げた友人に、渚は困ったように、けれどどこか嬉しそうに微笑む。「玲が心配性なだけなの。それに……新しくセットしてもらったこの髪、早く玲に見せたいし」 ノロケ混じりの渚の言葉に、綾乃が少し真面目な顔をしてグラスを置いた。「渚は、最近彼氏とどう?」「相変わらずなの?」 他の子も乗っかるように訊ねてくる。そのトーンには、単なる恋バナとは違う、どこか探るような響きがあった。「相変わらず、って?」 首を傾げる渚に、友人が声を潜めた。「……高校の時みたいに、会社の前で待ち伏せしてたりしない?」「いつの話してるの」 渚はおかしくなったように笑った。

  • 壊したいほど好きだから、   第2章:006

     ※ その頃、渚は出張先のホテルのラウンジで、少し冷めたハーブティーのカップを両手で包み込んでいた。 視線の先では、ガラス窓の向こうの夜景を背にして、橘が楽しげに甘い声で携帯に囁いている。「そう、無事に帰るわよ。……ええ、愛してるわ」  屈強な男が、恋する乙女のような顔で囁くのを見て、渚は少しだけ微笑んだ。 自分も玲に、今の充実を伝えたい。 ただ純粋に、一日の終わりに声を聴き合いたいから電話をしている――そんな関係が、渚にはとても眩しく、そして少しだけ羨ましく思えた。(私も、玲に今の気持ちを伝えたいな) 苦手だった美容院に行けたこと。知らない土地で、新しい仕事に挑戦できていること。 この充実感を分かち合いたくて、渚は携帯を開いた。『今日も頑張ったよ。展示会、すごく勉強になった』 文字を入力し、送信する。 すぐに既読が付いた。 『ホテルのご飯美味しかった。写真撮ったから送るね』  メッセージと共に写真を送信。 画面の「既読」マークは一瞬でつき、弾かれたように矢継ぎ早の返信が画面を埋め尽くした。『どこにいるの?』『誰と食べたの?』『一人?』「……、」 渚は胸の奥に、小さな違和感——微かな圧迫感を覚えた。 けれど、渚はすぐに小さく頭を振って、その不穏な感覚を脳内から打ち消した。 (私のことが、心配なんだ)  渚は「橘さんと食べたよ」とは打たず、「上司と食べて、今はもう部屋だよ」とだけ返した。 事実を送り、渚はそっと画面を伏せた。 ※ ※ ※ 土曜日の夕方、無事に二泊三日の出張を終えた渚は、安心できる自宅に戻ってきて、小さく深く息を吐き出した。身体には心地よい疲労感が残っている。 今回の出張は、渚にとって挑戦の連続だっ

  • 壊したいほど好きだから、   第2章:005

     ※ 残された寝室で、真央は天井を見つめながら、かつて自分が口にした言葉を思い出していた。『私、玲の性欲処理になる』 その言葉を、真央はこれまでに二度、玲に告げている。 一度目は、中学一年生の時。彼に告白して、無残に振られた直後。 そして二度目は――玲が、渚と付き合い始めてすぐ後だ。 真央は最初から確信していた。玲が抱える歪んだ破壊性を、あの相良渚が受け止めきれるはずがない、と。 渚の身に大昔に何が起きたのか、真央は知っていた。大人は子供の耳に入らないよう細心の注意を払って隠していたようだから、当然、玲はその事件の全貌を知らないままだった。けれど、真央の親は違った。家庭の歪みのなかで、その噂は真央の耳へと筒抜けになっていたのだ。 渚は壊れ物みたいだった。 玲は、そんな彼女を壊さないよう必死に息を潜めている。 でも、それで玲が満たされるはずがない。 だからこそ、二度目の『性欲処理になる』を告げたのだ。 そのとき、玲は激しい嫌悪感を露わにして真央を拒絶した。けれど、真央は動じなかった。彼の瞳の奥にある、いつか決壊するであろう暗い衝動を見つめながら、ただ静かに微笑んだ。『待ってるから』 そう言い残した真央の予言は、残酷なほど正確に的中した。 玲は戻ってきたのだ。忘れもしない、あのクリスマスの夜。 渚との甘いデートを終えたその足で、あろうことか、渚から貰ったばかりのマフラーを首に巻いたまま、光のない目で真央の前に現れた。 シャワーの音を聞きながら、真央は唇の端を僅かに吊り上げる。 玲がどんなに渚を求め、どんなに遠くへ行こうと、彼がその怪物のような本性を曝け出せる場所は、世界でただ一つ、この部屋の、自分の上だけなのだから。 もともと、二人の間の暗黙のルールは「木曜日の夜」だけだった。 それなのに、最近の玲はその境界線を自ら壊し始めていた。 最近、玲がこの部屋を訪れる頻度が明らかに増えていた。 木曜日以外に、外回りを装って、あるいは飢えた獣のような目

  • 壊したいほど好きだから、   第2章:004

     ※ 玲が乱暴に鍵を開けて玄関に踏み込むと、真央はちょうど靴を履き終えたところだった。バッグを手に、今まさに外出しようとしていた。「私、出かけ――」 最後まで言わせなかった。 玲は真央の肩を掴み、そのまま強引に壁へ押しつける。 鈍い音が響いた。 「……玲?」 見上げた真央は息を呑む。 玲の目が、どこも見ていなかった。「黙れ」 低い声だった。「俺の性欲処理になるって約束だろ。お前は黙って穴をかせ」 玲は真央の両脚の間に己の膝を強引に割り込ませた。動きを完全に封じたまま、片手で手早くベルトを外し、前を寛げていく。 頭の中で、あの男の影が浮かんでは消えた。 玲は真央のスカートを乱暴にまくし上げ、薄いストッキングを容赦なく引き破った。愛撫も、労りもない。まだ何の準備もできていない、渇いたままのそこへ、自身を無理矢理押し込んだ。「……っ!」 鋭い痛みに、真央は一瞬息を詰まらせ、顔を歪めた。 けれど、次の瞬間には、真央は拒絶する代わりに、自由な両腕を玲の広い首元へと回した。 爪が食い込むほどの力で、玲の背中にしがみつく。 手荒に扱われようと、言葉で貶められようと――真央は静かに全て受け入れるように目を閉じた。 玲は真央の身体を激しく蹂躙しながら、必死に脳裏にこびりつく渚の幻影を叩き潰そうとしていた。 だが、いくら腰を打ち付けても、いくら真央の肉を貪っても、胸の奥のどろりとした空虚が満たされることは決してなかった。  ※  事が終わり、玲は衣服も身に付けないまま、ベッドの端に腰掛けて携帯を起動した。画面の明かりが、彼の昏い瞳を照らす。 渚からメッセージが届いた。『今日も頑張ったよ。展示会、すごく勉強になった』  既読をつけた直後、続けてメッセージが届く。 『ホテルのご飯美味しかった。写真撮ったから送るね』  添付された写真を、玲は無言でタップして開く。 上品に盛り付けられたホテルの料理。画角のなかに映っているのは、確かに渚一人分の席だけだった。(本当に一人か……? カメラの後ろに、あの男が立っているんじゃないのか?) 一度歪んだ視界は、どんなに潔白な証拠を突きつけられても、それを「巧妙な隠蔽」としか捉えられなくなっていく。玲の指先が、携帯の縁を白くなるほど強く握り締めた。「ねぇ。渚ちゃんと、何かあったの

  • 壊したいほど好きだから、   第1章:006

    「どうぞ」 無害そうな笑みを浮かべ、隣りを促すと女は恐る恐る玲の隣りに座った。 Barの高い椅子も不慣れなのか何度も座り直す。その度にスカートが捲れそうになり、慌てて手で押さえていた。 ようやく、思ったように座った彼女はマスターに「同じのを下さい」と伝えた。度が強いウイスキーだということを玲は教えなかった。 ――案の定、二杯で酔ってしまっていた。 「わたし、今日が二十歳のたんじょうび、なんれす」 「おめでとう」 心のこもらない言葉を、グラスで隠す。 女は愚痴を喋り続けている。 玲はそれを聞き流しながら、別のことを思い出していた。 (あの時) ――怖かった、と震える声で

  • 壊したいほど好きだから、   第1章:005

    ※ ※ ※ 別に渚を疑っている訳じゃない。 社会人にでもなれば、残業は増えるものだ。 ここ最近になって、残業が増えたのは事業部長が変わったから、と言うのも納得は出来る。 だが――相手は海外から赴任してきた人物だ。 そんな人間が日本の悪しき風習である残業を部下にさせるだろうか。しかも、決まって毎週金曜日。金曜は渚に手料理を振る舞って、その後は配信ドラマや映画を観て、ベッドに入るという流れが今では夕食の時間が遅れ、ドラマと映画を見る時間が削られてしまっていた。 「橘部長がね、アメリカ本社のパーティで」 (橘) 「橘部長が、アメリカのカフェで」 (橘) 「橘部長が、今日の会議

  • 壊したいほど好きだから、   第1章:004

    「してないよ」 すぐに返ってきた。でも一瞬の間があった。 渚は何も言わなかった。 「……何か、あった?」 不安そうに訊ねた玲に、「なんでもない」と答えて首を振る。そして、玲の胸に顔を埋めた。 髪を撫でる手が、また動き始める。 (してる) 渚には分かった。 玲が渚のペースに合わせていること。怖がらせないように、壊さないように、触れていること。 それが嬉しくないわけじゃない。 でも。 (玲に、ずっと我慢させてる) 渚のせいで。渚が怖がるから。渚が、普通じゃないから。 玲は優しい。 怖がれば止まってくれる。 無理をさせない。 急かさない。 渚が泣きそうになれば、

  • 壊したいほど好きだから、   第1章:003

    「……え?」 顔を上げる。 思考が止まる。 「パートナーいるし、女性に何かする気はないから安心して」 あっさりと言われた。 あまりにも自然で、冗談にすら聞こえない。 暫くして、橘が携帯を取り出した。何かを操作して、それを渚の方に向けた。 画面には、二人の男性が並んで笑っている写真があった。 (二人とも、幸せそう……) いい写真だった。 「俺のパートナー。十年になる」 渚は、その写真をじっと見た。 「だから」と橘は言った。「怖がらなくていい」 渚はまだ写真を見ていた。 胸の中で何かがゆっくりと解けていくのを、渚は感じていた。 「それと」と橘が小声で、教

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