見えない不安と闘うのは難しいものだ。 しかし相手の手口が具体的な数字として現れた以上、対処の方法はいくらでも考えられる。 小夜子の思考はすでに次のフェーズへと切り替わっていた。「見事なデータだ、翔吾。これで相手の虚言を完全に崩せる」 隼人がソファから身を乗り出して、タブレットの画面をスワイプした。「問題は、この事実をどうやって現場の従業員たちに伝えるか、ですね」 小夜子は顔を上げて、隼人と翔吾を交互に見た。「全体集会を開いて一斉に発表するのは、避けた方が良いと思います。今の疑心暗鬼に陥った空気の中で経営陣がマイクを握っても、『買収を焦った経営側の引き留め工作だ』と誤解されかねません」「僕も総支配人の意見に賛成です」 翔吾がうなずき、手元の資料をトントンと机で揃えた。「人間は自分が信じたい情報を優先する傾向があります。特に生活がかかっている今は、数字だけを見せても反発される可能性があります。実加さんでも一目でわかるような、シンプルなグラフと、実際に買収されたホテルの元従業員たちの生々しい口コミを交えたレポートをすぐに作成します」 実加の名を口にする時、翔吾はちょっとだけ笑ってみせた。 この緊張感漂うミーティングの中で、ほんのわずかの温かさが宿ったようだった。 小夜子は微笑み返す。「助かります、翔吾さん。……では、伝え方はこうしましょう。トップダウンの指示や発表ではなく、各部門のチーフやリーダーたちと少人数でのミーティングを開きます。直接彼らの不安や本音を聞きながら、会話の中でこの資料を提示するのです」 小夜子の提案に、隼人が短くうなずいた。「わかった。俺と小夜子で手分けして、各部門の責任者たちと話をしよう。翔吾、レポートの印刷を急いでくれ」「承知しました、社長」 翔吾は手早くタブレットを抱えて一礼すると、足早に社長室を後にした。 ◇ それからしばらく後の、午後1時。
Last Updated : 2026-06-17 Read more