「こんな夜更けに……どこかへ行くつもりだったのか?」揶揄うように問いかけると、あやめが潤んだ瞳で冬弥を睨んだ。怒っている。そう思いたいのに、その瞳にあるのは怒りよりも、押し込め続けてきた感情だった。「こんな姿で……どこへ行け、と……あっ」冬弥が腰を揺らす。あやめの唇から艶めいた声が零れた。夜会用のドレスは乱れ、肩を覆っていたチュールは滑り落ちている。結い上げていた髪はほどけ、涙で化粧も崩れていた。その乱れた姿が、かえって冬弥の視線を離させない。「……そうだな」低く笑い、冬弥はチュールを指先で退かす。露わになった肌へ唇を寄せ、強く吸う。「あっ……」小さな声が漏れる。同時に細い腰を抱き寄せる。より深く繋がる。湿った音が静かな四阿へ響いた。あやめは唇を噛み、必死に声を堪える。揺れる影が常夜灯に映り込み、夜の静けさだけが二人を包んでいた。 ◇◇◇(あ……)冬弥の唇に残るわずかな紅。何度も重ねた口づけの名残だと気づき、あやめの頬が熱を帯びる。(……恥ずかしい)壁もない。窓もない。四方へ開かれた四阿。ほとんど野外と言っていい場所で、冬弥に抱かれている。乱れた自分を。逃げることも隠れることもできず、冬弥だけに見られている。「……逃げるな」「……逃げて、いません」「嘘だ」腰を引こうとした僅かな動きを、冬弥は見逃さない。腕だけで引き寄せられる。身体が震える。「隠すな」静かな声だった。「思い切り乱れろ」ここが寝室ではない。その事実だけが、あやめの最後の抵抗だった。冬弥の思い通りになりたくない。そんな意地もあった。それを知っているかのように、冬弥は優しく、それでいて逃がさないように抱き寄せる。次第に、あやめの身体から力が抜けた。気力も。張り詰めていたものも。「冬弥さんだけ……」その言葉とともに、涙が零れる。生理的な涙ではない。心の奥から溢れた涙だった。「……あやめ」あやめは冬弥の胸を叩く。弱い拳。それでも、その一つ一つに想いが込められていた。「誰もいらない……代わりなんて、いらない……」震える声。冬弥が息を飲む気配が伝わる。「……すまない」その一言しか返ってこない。(それだけ……?)胸が締めつけられる。あやめはもう一度、冬弥の胸を叩いた。 ◇◇◇弱い拳だった。
Última actualización : 2026-04-17 Leer más