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All Chapters of Asymmetry: Chapter 71 - Chapter 80

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71話

「恐怖で黙らせるのは簡単だけど、失声症になれば誰だって心配する。医者に行けばストレスが原因だと診断されるだろうしね。最初は本田くんも隠すだろうね。けど、親はしつこく聞くはずだ。そうなったらいつ話すか分からない。だから口封じで殺した」「証拠はあるんですか?」 ここまで言われても、将馬の余裕は消えない。むしろ、楽しんでいるようにさえ見える。「あるよ」 再びパソコンを操作し、動画を再生する。今度は倉田書店で正孝をいじめている映像だ。動画の正孝をバカにする言葉に腹を立てるのと同時に、もう将馬の逃げ場はないと、少しホッとする。「……確かに、僕は正孝をいじめてました。けど、殺してません」「あなたねぇ!」 尚も言い逃れをしようとする将馬に義憤を感じ、千夏が声を荒らげると、成也は振り返ってにっこり笑う。「先生、大丈夫だから」「何が大丈夫なんですか」「いいからいいから」 成也がなだめるように言いながら手を握ると、少し落ち着いた。(感情的になってはいけない。正孝くんの無念を晴らすために、我慢、我慢) 心の中で言い聞かせて息を整えると、千夏は頷いた。成也は頷き返すと、再び将馬と向き合った。「痴話喧嘩は終わりましたか?」「そんなに仲睦まじく見えるなら嬉しいなぁ。さて、話を戻そうか」 成也の軽口に、千夏は彼の背中を小突いた。だが効果はイマイチだったらしく、彼は微動だにしない。「そうそう、本田くんの遺体を調べたら、爪に皮膚片が残ってたって。きっと自分を縛り付けて放置しようとした犯人を、どうにかして止めようとしたんだね」(え?) 成也の言葉に、千夏は愕然とし、思わず声を上げそうになった。弘泰から遺体の解剖結果を聞いたが、足に圧迫痕があったことと、プールに沈んでいた縄跳びと一致することしか聞いていない。 つまり、ハッタリだ。「そのシャツ、新品だよね。なんでそんなにブカブカなの着てるわけ? 君みたいな完璧主義者の優等生が、ダボダボファッションを好むとは思えないんだけど」「それは……っ、そんなことより、どうして犯人は正孝の足を縛って、その場に放置したんですか? それじゃあプールに落ちない可能性だってあったじゃないですか。それに、僕は正孝が死んだショックで、うっかり万引きをしてしまったんですよ? そんな僕が、正孝を殺すなんて……」 平静を装うとする将馬だが
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72話

「万引きはただのお芝居に過ぎなかった。ほら、これを見てよ」 成也は万引きをして捕まる将馬の映像を見せた。ふらふらしながら書店を出ると、映像の中心まで歩いて立ち止まる。そのわずか数秒後に、店主の栄作が出てきて将馬を捕まえた。「僕が万引きをしてしまった時の映像が、なんだっていうんですか?」「なんでお店から出て、立ち止まったわけ?」「え……?」 将馬は目を丸くして成也をまじまじと見る。どうやら、成也の言いたいことが理解できていないようだ。 成也は映像を途中から再生すると、将馬が倉田書店から出てくる前で一時停止をする。「普通、君の言うようにショックでそのまま出ていったとしたら、そのまままっすぐ出ていくはずなんだよ。なのに君は店から出て数歩歩いたら、立ち止まった。それも、画面のちょうど真ん中で。カメラの位置と、どこで止まれば映るのか、計算してたでしょ」 そう言って映像を再生させる。書店から出た将馬はやはり画面の中心で立ち止まり、その数秒後に店主に捕まった。「勉強では優等生でも、お芝居では落第生だね。こんな芝居じゃ、警察は騙せないよ。そうだ、次はどうして直接手を下さなかったのか話そうか」 額に脂汗を滲ませる将馬を見ながら、成也は楽しそうに話を続ける。「あぁ、その前に君はもう自供したようなものなんだけどさ。どうする? 話を続ける?」「自供? 僕はそんなこと、してません」 言葉では強がってはいるものの、やはりまだ未熟な高校生。言葉も身体も、可哀想なくらい震えている。「君はさっき、こう言ったんだ。「どうして犯人は正孝の足を縛って、その場に放置したんですか?」って。どうして本田くんが足を縛られてたって知ってたの?」「それは、警察の人達が話しているのを聞いたんです」「だってさ、先生。どう思う?」 成也は流し目で千夏を見ながら、いたずらっぽく笑う。「それはおかしいですね。本田くんがプールで溺死したということは広まってますが、足を縛られていたという情報は、広まってないんですよ」 急に話を振られて驚きはしたが、違和感を覚えていたのですんなり言うことができた。完全に逃げ道がなくなり、将馬は口をぱくぱくさせた。 これで終わる。そう思っていたが、将馬が突然腹を抱えて笑いだした。「あっははははっ! それで? 僕がウジ虫を殺したからなんだっていうんだ? あんな
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73話

「あぁ、なんてことを!」「黙れ無能女! お前の役割は俺を書類送検にすることだったのに、余計なことしやがって! しかもさっきから聞いてりゃ、ほとんどそこの無資格野郎が考えたことじゃねえか!」 息を荒げた将馬はポケットから折りたたみ式ナイフを取り出し、千夏に突進してくる。(逃げなくちゃ!) 頭では分かっていても、身体が言うことをきかない。 痛みを覚悟して目をつぶるとあたたかい何かに包まれ、将馬の悲鳴が聞こえた。「え……?」 恐る恐る目を開けると、深緑のネクタイが見えた。「もう大丈夫だよ、先生」 柔らかな声に顔を上げると、成也が柔和な笑みを浮かべている。「離せぇ! 俺は神だ! お前らが触っていいわけないだろうがぁ! テメェらも選別して捨ててやる!」「何言ってんだよ、バカ! 観念しろ!」 声のする方を見れば、弘泰が暴れる将馬に馬乗りになり、手錠をかけようとしている。 将馬の厨二的発言に、怒りを通り越して呆れ返る。「先生はここで待っててね」 成也は子供に言い聞かせるように言いながら千夏の頭を撫でると、暴れ回る将馬の前でしゃがんだ。「危ないですよ!」 千夏の声などまるで聞こえていないように、将馬をじっと見つめる成也。「そんな目で俺を見るなぁ!」「暴れんなっつってんだろぉ! うおぉっ!?」 小柄な弘泰はついに突き飛ばされ、将馬は素早く起き上がると成也の胸ぐらを掴んだ。 将馬の拳が、成也めがけて振り上げられる。「危ない!」「ひとつ、いいことを教えてあげる」「は?」 完璧な笑顔で言われ、将馬の動きが止まる。「本田正孝の爪に皮膚片があったっていうのは、嘘。君があんな服を着てるから、引っかかれたんだろうなって思ってハッタリをかけただけ」 成也が言い終わると、将馬の腕はだらりと落ちた。先程までの怒りは微塵もなく、その顔には生気すらない。「ったく、手間かけさせやがって!」 弘泰は大人しくなった将馬に後ろ手で手錠をかけると、電話で仲間を呼んだ。 5分もしないうちにパトカーが来て、将馬を連行していった。「おいお前! なに考えてんだよ! ハッタリに引っかからなかったらどうしてたんだ!? てか、千夏が危なかったろーが!」「ハッタリに引っかかるって自信がありましたからね。1日で犯人捕まえたんですから、感謝される覚えはあっても、怒鳴られる
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74話

「うーん、末安さんはこういう人ですから……」「なんだよ、甘々だな……。てかなんで敬語なんだよ」「仕事中ですから」「いいから普通に話してくれ。お前に敬語使われると気持ち悪い」「なんですって?」 千夏の睨みを遮るように、成也はふたりの間に立った。「鮫島さんは精神年齢小学生のままだから、ああいう方法でしか構ってもらうきっかけが作れないんだよ。そんなことより事務所に戻って報告しよーよ。もしかしたらごはんおごってくれるかもだしさ。俺おなか空いちゃったよ」 おなかをさすりながら拗ねたように言う成也に気が抜け、千夏も空腹に気づく。「ふふ、そうですね。じゃあ弘泰、またね。今度なんか埋め合わせするから」「え? お、おう……」 弘泰が曖昧な返事をすると、ふたりは公園を後にして事務所へ向かった。広々とした公園には、弘泰と壊れたノートパソコンだけが取り残された。 ふたりが事務所に着いたのは、夜7時過ぎ。中に入ると幸男が疲れきった顔をして腹を揺らしながらふたりに駆け寄る。「随分遅かったじゃないか。いったい何があったというのかね?」「すいません……」 珍しくしかめっ面な幸男に、殺人だと分かった時点で連絡するべきだったと反省した。「所長、お説教は後にしてください。先生、すごく大変だったんですから。あの万引きした優等生、殺人犯だったんですよ」「どういうことかね!?」 幸男はつぶらな瞳をめいいっぱい見開きながら言う。「心配かけて本当にすいません。長くなりますし、座ってお話しませんか?」 疲れが今になってどっと出た千夏は、客用ソファを横目で見ながら提案する。「あぁ、そうしようか」 千夏と幸男が向かい合って座ると、成也は給湯室から菓子受けとお茶を持ってきてくれる。千夏の隣に座ると、急須から3つの湯呑みにお茶を注ぎ、それぞれの前に置いた。 千夏はいただきますと言うと、お茶を啜った。少し熱いくらいのお茶がゆっくりと胃まで流れ落ち、冷えかかった身体と疲弊した心をじんわりと温めてくれる。
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75話

「それで、何があったのかね?」 そわそわしながら聞く幸男に、千夏は話を掻い摘んで説明した。幸男は時折驚きながらも、口を挟まず大人しく聞いてくれた。「なるほど、それは大変だったね。殺人事件となると、本条さんにはまだ荷が重いだろう。私が引き継ごう」「はい、お願いします」 少し悔しいが、法廷に立つ経験すら少ない千夏には、幸男の言うとおり荷が重い。ここは大先輩に任せて勉強させてもらうのが賢明だと判断した千夏は、素直に頷いた。「そんなことより所長、俺達頑張ったんですからご褒美に美味しいもの食べさせてください」「もう、何言ってるんですか!」 まさか本当にご飯をたかると思っていなかった千夏は、慌てて大声を出す。「えー、だって帰りに所長がご飯おごってくれるかもって一緒に話したじゃん」「あれは冗談かと思って……」「はっはっはっ、かまわんよ。どれ、ステーキでもごちそうしよう」 幸男は二重顎をたぷたぷ揺らしながら笑うと、膝に手をついてゆっくり立ち上がる。「やった! ありがとうございます」「末安さんってば……」 小さくガッツポーズをする成也に、千夏はやれやれとため息をついた。「まぁまぁ、いいではないか。さぁ、行きますぞ。戸締まりと支度をしたまえ」「はい」 幸男がここまで言っているのに断らせるのも悪いと思った千夏は、成也と一緒に戸締まりをすると、3人で事務所を出た。
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76話

 その頃、取調室では常陰将馬が取調べを受けていた。「どうして正孝くんを殺した? 同じ学び舎に通う仲間だろう!」 30代半ばの熱血刑事が、スチール製のテーブルを叩きながら問い詰める。(あぁ、どいつもこいつもバカの分際で俺に話しかけやがって) 将馬は冷笑した。それに激昂した刑事が、将馬の胸ぐらを掴む。「何がおかしいんだよ! 人ひとり殺したんだぞ!?」「それがなんだっていうんだ。お前らお国の犬が正義を貫き通さないから、我々が代わりに正義を実行しているんだぞ」 未成年とは思えないほど抑揚のない低い声に、刑事は一瞬ひるんだ。「ゲレティヒカイトよ永遠に!」 そう叫ぶや否や、将馬はポケットから何かを取り出し、口に放り込んだ。「おい、何を飲んだ!? 吐き出すんだ!」 刑事が彼の口に指を突っ込むも、将馬はゴクリと大きな音を立てて飲み込んだ。「お前、何を……」 刑事の問いにニヤついたかと思えば、将馬は急にもがき苦しみ出した。「おい、しっかりしろ! 救急車を呼べ!」 ドアが開き、マジックミラー越しに見ていた刑事が入ってくる。「救急車を!」「分かった!」 焦っているふたりは気づいていない。熱血刑事の腕の中で将馬が既に息を引き取り、ぐったりしていることを。
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77話

 翌朝、千夏は資料を小脇に抱えて出勤した。昨晩は事件を引き継ぐ幸男がスムーズに仕事が出来るよう、千夏なりに事件の詳細をまとめたのだ。 いくら担当から外れると言っても、1度は関わった事件だ。結末を見届けるためにも手伝いがしたかった。「おはようございます、所長。昨日はごちそうさまでした。事件についてまとめたので、よかったら使ってください」「おぉ、本条さんは気が利くね。ありがたく使わせてもらおう」 幸男はつぶらな瞳を細めながら、資料を受け取る。「おはよう、先生。紅茶と珈琲どっちがいい?」 ふたりの会話を聞いた成也が、給湯室から顔を出す。「おはようございます、末安さん。ミルクティーでお願いします」「はーい」 成也は返事をすると、ミルクティーを用意しに給湯室に戻る。 千夏が自分の席に座ってパソコンを起動させると、電話が鳴った。「私が出よう」 電話を出ようとした千夏を止めると、幸男は電話に出た。「はい、おまたせ」「ありがとうございます」 成也からミルクティーを受け取ると、それを飲みながら今日のスケジュールを確認する。「なんですって!?」 いきなり大声を出す幸男に驚き、ふたりは彼を見る。幸男は目を見開き、唇をわなわなと震わせている。何度か力なく返事をすると、幸男は受話器を置いた。「どうしたんですか?」 千夏が聞くと、幸男はじれったくなるほどのスローモーションで顔を上げる。「常陰将馬が、取り調べ中に自殺をした……」「えぇ!?」「なんでまた……」 あまりにも信じがたい話に千夏はめまいを覚え、成也は持っていたお茶菓子を床に落とした。
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78話

「よく分からないが、自殺する直前におかしなことを叫んでいたそうでねぇ……。えぇと、げて、じゃないな……げれて、かい?」「ゲレティヒカイト!」 千夏は苦しそうに眉間にシワを寄せながら、叫ぶように言った。「あぁ、そうだ。『ゲレティヒカイトよ永遠に!』と叫んで所持していた薬物を飲んだそうだ。しかしよく分かったね、本条さん」「なんで……」 幸男の言葉が耳に届かないのか、千夏はよろめいて倒れそうになる。既《すんで》のところで成也が抱きとめる。「大丈夫?」「すいません……」「とりあえず座って」 成也は片手で椅子を引くと、千夏をそこに座らせる。給湯室から水を持ってくると、千夏に差し出した。「飲めたら飲んで、深呼吸」「はい……」 震える手でグラスを受け取ると、ひと口だけ飲んで深呼吸をする。ふたりは千夏が落ち着くのを、じっと待った。「落ち着いたかね?」「はい……」 幸男の問いに、千夏は力なく返事をする。顔色が悪い。「先生、そのレゲエなんとかっていうの、何?」「レゲエじゃなくて、ゲレティヒカイトです。元は冤罪をかけられた者の集いだったんですが、いつの間にか宗教のようになってしまったんですよ」「要は被害者の会ってこと?」「そういう考え方もありますね」 成也の問いに頷くと、千夏はステンレステーブルに両肘をつき、頭を抱えて大きなため息をつく。「どうして……、常陰くんがゲレティヒカイトに……」「実はだね、そのゲレなんとかが、犯罪を犯しているのではないかと言われているのだよ。証拠はないがね」 幸男は重々しく口を開く。「その噂は、私も聞いたことがあります……。ゲレティヒカイトの人間がやった可能性が高い犯罪の被害者は、全員犯罪者なんですよね? けど、やっぱり常陰くんがゲレティヒカイトにいる理由にはなりません」「大きくなりすぎた組織は、そういうこと考えないんじゃない? それにまだ常陰将馬本人や周辺について調べてないし、冤罪とは無縁と考えるには少しはやいかな。もし仮に本人や周りに冤罪被害者がいなかったとしても、常陰の頭脳が目当てで言いくるめて仲間にしたって可能性だってある」 淡々と言う成也に少し腹が立ったが、淡々と言ってくれたからこそ、彼の言葉が頭に入ってきた。「そう、ですね……。所長、この件はどうするんですか?」「ううむ、被疑者が亡くなったのな
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79話

 ちゃぶ台の上のチラシ、投げかけられる心無い言葉、自分に向かって投げられる石やゴミ、そして最後に見た父の背中……。 それらがフラッシュバックし、千夏の呼吸が浅くなる。顔は青白く、嫌な汗がまとわりつくように流れる。(お父さん……) 思い出さないようにしていた父との思い出。あたたかいはずの過去が、余計に千夏を苦しめる。「先生!? すごい汗だけど大丈夫?」 慌てた様子の成也は、胸ポケットからハンカチを出して額の汗を拭ってくれる。(ハンカチ、汚しちゃった……) 自分の汗で大きなシミを作っていくハンカチがチラリと見えて、罪悪感が芽生えてしまう。「本条さん、今日はもう帰りたまえ」「ですが……」「無理していられても困るんだよね。所長の言うとおり、今日は帰りなよ」 今まで向けられたことのない冷たい目と声音に、胸が苦しくなるのと同時に憤りを覚える。「そんな言い方しなくてもいいじゃないですか!」「こんな言い方でもしないと、帰んないでしょ」 成也は千夏のカバンを押し付けるようにして手渡す。彼女を見下ろす目は、冷たいままだ。「分かりました、帰ります」「気をつけて帰るのだよ」「はい、失礼します」 眉尻を下げながら言う幸男に力なく笑いかけながら言うと、千夏はカバンを肩にかけてフラフラと出入り口へ向かう。「待って、先生。送ってくよ」 成也がスマホをポケットに入れながら言うと、千夏はキッと彼を睨みつけた。「結構です」 突き放すように言うと、乱暴にドアを閉めて事務所を後にした。 事務所から出てすぐ近くのコンビニでアイス珈琲を買うと、何も入れずに一気に飲み干した。普段はガムシロを入れるが、ブラックのまま飲み干すことによって千夏なりに気持ちを切り替えたかった。 どうやら多少の効果はあったらしく、少しだけ頭がスッキリした。氷だけになったカップを捨てると、コンビニを出てゲレティヒカイトの総本山である教会へ向かう。(休んでなんかられない。常陰くんがゲレティヒカイトにどう関与してるのか調べなきゃ。それに、お父さんのことだって……) 冤罪が晴れた後も誹謗中傷され続けていた日々のことを思い出す。彼女の父親はとても真面目で優しかった。そんな彼は心無い言葉を真に受けてしまい、日に日に病んでいった。 千夏が同級生の父親に切りつけられたその夜、父はゲレティヒカイトのチ
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80話

 このタイミングでゲレティヒカイトの名前を耳にしたということは、今こそ父を探しに行くべきなのだろうと、千夏は勝手に解釈した。 教会の場所は突き止めてはいたが、いざ目の前にすると勇気が出ず、重々しい木製の扉を叩けずにいた。だが今は父親探し以外にも理由がある。幸男には弁護士の仕事ではないと言われたが、ゲレティヒカイトの名前が出た時点で、千夏が動くには充分な理由となった。 駅へ行き、電車に揺られること30分。そこから更に5分ほど歩いたところに、その教会はあった。教会というのは大抵白かクリーム色なのだが、荘厳なバロック様式のこの教会はてっぺんにある十字架まで真っ黒で、少し気味が悪い。教会と同じくバロック様式の大きな塀と柵門が、余計に近寄りがたい雰囲気を醸し出している。「怖気づいてはいけない。なんのためにここまで来たの?」 小声で自分に言い聞かせると、大きく息を吐いてインターホンを押した。 教会から黒いローブを着た若い男が出てきて、柵門の隙間から千夏をじぃっと見つめる。「どのようなご用件ですか?」「ここ、ゲレティヒカイトですよね? 昔、父が冤罪をかけられて、酷い目にあったんです。その時のトラウマがまだ克服できずに悩んでいたところ、冤罪に苦しむ人達を救う団体があると聞いて、ここまで来たのですが……」「少々お待ちを。今、メシア様のお声を聞きますので」 男は目を瞑り、両耳を塞いでブツブツと何かつぶやき出した。千夏はドキドキしながら男を見守る。 目的を言ってないだけで、嘘はついていない。これで通るはずだ。むしろそうでなくては困る。 中に入れることを祈りながら待っていると、男はなんの前触れも無しに、カッと両目を見開いた。不気味な動作に、千夏は思わず後ずさる。「メシア様はあなたにはお会いにならないそうです。あなたは、ゲレティヒカイトに入るには品格がなさすぎます」 男は淡々と言うと、くるりと回ってまっすぐ進み、教会に入ってしまった。閉ざされる扉の音が、やけに大きく聞こえた。
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