All Chapters of 私は旦那の愛人に血を与えるためだけの道具だった: Chapter 1 - Chapter 10

25 Chapters

第1話

「んっ……」夜も更けた頃、寝室にあるキングサイズのベッドは乱れ、部屋には甘く濃密な余韻が漂っていた。結婚して3年、橘遠時(たちばな えんじ)は毎晩のように橘夏美(たちばな なつみ)を抱き、執拗なまでに求め続けた。夏美は何も身にまとわぬまま、細い腰を男の大きな手に強く抱き寄せられ、熱い吐息を肌に感じていた。情事を終え二人が落ち着くと、遠時は何事もなかったかのようにバスローブを羽織り、振り返ることなく浴室へと消えていく。夏美が服を着終えた直後、部屋の外で待機していたボディーガードたちが無言で入ってきて、そのまま彼女を地下室へ連れて行った。そこには、すでに執事がいて、採血器具を用意して待っていた。「奥様、篠原様の体調が優れず、輸血が必要との電話が病院からありました」冷たい針が夏美の血管を貫き、真っ赤な血が少しずつ体から抜き取られていく。そして、これが遠時と夏美が結婚できた理由だった。遠時の愛する篠原晴香(しのはら はるか)は重い血液の病を患っており、夏美だけが彼女と同じ希少なRhマイナスAB型なのだ。3年前、夏美の父親である浅倉健三(あさくら けんぞう)は母親の浅倉百合(あさくら ゆり)を盾に、夏美に政略結婚を強要した。その縁談を断ることなどできなかった夏美だが、相手が遠時だと知った瞬間だけは違い、その夜は嬉しさのあまり一睡もできなかった。なぜなら、誰にも打ち明けたことはないが、夏美は10年前から、ずっと遠時だけを想い続けていたのだ。18の時、夏美は健三に連れられ接待の席に赴いた。すると、年配の男たちは品定めをするような視線を夏美に向け、遠慮なく彼女の体に触れてくる。そして、夏美の初夜を買うと言うのだ。そこには偶然、遠時も居合わせていた。男たちに囲まれた夏美を見るなり、彼は冷え切った声で言い放つ。「命が惜しくないなら、触れればいい」それ以来、遠時は夏美の人生に差し込む一筋の光となり、彼女を暗闇から助け出してくれた存在となった。だからこそ、彼が自分と結婚した理由が、愛ではなく、晴香への輸血を続けるためだと知っても構わなかった。結婚してこの3年、遠時は人参が苦手な夏美のために、料理に入っていれば、それを毎回丁寧に取り除いてくれたし、出張に行けば、いつも夏美へお土産を買ってきてくれた。ある時など、何兆円もの契約を投
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第2話

「夏美さん、何を言っているの?ご両親は長年連れ添った夫婦でしょ?遠時にそんなことをさせれば、遠時が皆の物笑いになっちゃうよ」そう言って夏美の言葉を遮った晴香は、車の中で静かに笑った。「子供が親を離婚させようとするなんて、私は初めて見たわ」遠時は相変わらず穏やかに、晴香に話しかける。「夏美の戯言だから、相手にしなくていいよ」母のことを思うと、夏美は胸が張り裂けそうだったが、それを口に出すことはできなかった。それでも遠時が車へ乗り込もうとしたので、夏美は慌てて遠時を掴んでいる手に力を込めた。「遠時……私のお母さんを浅倉家から救い出すって言ってくれたじゃない……」震える声には、もう隠しきれない絶望が滲む。夏美が遠時と縁談を結んだ日、遠時ははっきりと言い放った。「お前を妻に迎えるのは、晴香に輸血を続けるためだけだから」しかしその代わりに、3年間晴香のために輸血をし続ければ、百合を救い出してくれると、約束してくれたのだった。だからこそ、夏美は自分の想いを押し殺し、いつでも血液を提供する血液バンクとして、遠時のそばにい続けた。遠時と体の関係を持ったのは、偶然の出来事だったが、それからというもの、遠時は自分の寝室へと夏美の荷物を移させ、毎晩のように夏美を求めた。出張から帰ってきた時なんかは、夏美がベッドから起き上がれなくなるほど、執拗に体を重ねる。遠時なら必ず母を助けてくれるはずだと、夏美は信じていた。遠時が夏美を静かに振り返り、ふっと冷めた笑みを浮かべた。「そんな約束をしたか?」一瞬、夏美は固まってしまったが、慌てて口を開く。「3年前、私たちが縁談を結んだ日、篠原さんに3年間輸血をすれば、お母さんを浅倉家から救い出してくれるって、あなたが言ったんだよ!」そう言い終え、夏美は縋るような眼差しで遠時を見つめた。遠時が一度口にした約束を、必ず守る男だということは、東都の誰もが知っている。そして、3年という約束の期限が過ぎた今、やっと母を助け出すことができるのだ。しかし遠時は夏美の手を無情にも振り払うと、車へと乗り込み、口元に薄く笑みを浮かべた。「そんな適当に言ったこと、俺が覚えてるわけないだろ?」地面に投げ出された夏美の視界から、ロールス・ロイスが遠ざかっていく。この3年間、夏美は晴香のために99回も輸血を行ってきたが、遠時
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第3話

遠時に小声で釘を刺され、夏美は胸が凍りつくのを感じた。自分を大切に育ててくれた母。その母があんなに苦しんでいるというのに、遠時は騒ぎを起こすな、と言う。晴香の叔父である吉沢宏明(よしざわ ひろあき)は、有り余るほどの金を使い、遊び呆けることしか能のない男だった。これまで、宏明に人生を狂わされた女性は数知れない。なのに、健三がまさか母をこんな男に差し出すなんて!遠時が電話に出るため外に出た隙に、夏美はすぐに母を探しに向かった。すると、宏明が母を2階にある休憩室へ連れて行こうとしていた。焦った夏美が駆け出した瞬間――「夏美さん、どこへ行くの?」晴香が夏美の前に立ちふさがる。顔は笑っていたが、目には冷たい軽蔑が宿っていた。「遠時にはなんとなく言っておいただけなのに、まさか本当にあなたを連れて来たなんてね。自分の立場、分かってる?」こんな言葉をもう3年間も聞いてきた夏美は、特に言い返さなかった。「どいてください!」夏美は晴香を突き飛ばして2階へと駆け上がったが、部屋の中からは、すでに百合の悲痛な叫び声が聞こえていた。扉を蹴り開けると、服が乱れ、宏明の下敷きになっている百合の姿があった。虚ろなその目は、涙で溢れている。「放してください!お願い、触らないで!」母の絶望的な悲鳴を聞き、夏美はドアの傍にあった花瓶を掴むと、全力で宏明の頭に叩きつけた。「てめぇ!よくもやりやがったな!」宏明は自分の頭を抱えながら怒鳴り、指の隙間から血が流れるのを見て、その瞳に殺気を浮かべた。「俺が本気になれば、お前たちなんか簡単に殺せるんだからな」後を追ってきた晴香はこの光景を目の当たりにし、意地の悪い笑みを浮かべる。「夏美さん、この人は私の叔父さんなんだけど。もし、このことを私が遠時に言ったら、どうなると思う?そうね……もしあなたの母親の代わりに、今夜夏美さんが叔父さんに付き合うっていうなら、なかったことにしてあげてもいいけど」「夏美、そんなのは絶対に駄目!」百合は恐怖に震えながら必死に首を振った。「絶対に駄目だからね!」しかし、宏明は立ち上がるや否や百合の頬を思い切り殴り飛ばし、倒れた彼女を容赦なく蹴り上げた。「お前は黙ってろ!お前の旦那が俺にお前を寄越したんだ。もし、お前がここで殺されたって、あいつは文句一つも言えないんだよ!」
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第4話

「一体どこのどいつが……」宏明が不機嫌さを露わにして振り返った途端、腹部に鋭い蹴りを入れられた。宏明の悲鳴が部屋に響き渡る。遠時は冷酷な目で宏明を見下ろすと、何度も執拗に宏明の腹部を蹴り続けた。「遠時!叔父さんを殺す気なの?」晴香が慌てて間に入った。「夏美さんが自分から望んだことなんだから、叔父さんは悪くないわ!」遠時は殺気立った表情のまま、気を失っている宏明から手を放すと、返り血がついた手で晴香の頬の涙を拭った。「自分から?」晴香は泣きじゃくりながら続ける。「夏美さんが自分から叔父さんのベッドに上がるところを、私は見たんだから!誰も強要してない」バスタオルを体に巻きつけた夏美は、言い返す間もなく遠時に首を掴まれ、浴室へと引きずり込まれた。「まさか俺以外の男と?死にたいのか?」そのまま、遠時は夏美を浴槽へと投げ込んだ。放り込まれた夏美は立ち上がろうとするが、そんな彼女の首を遠時は背後から力任せに押さえつけ、浴槽の底へと沈める。鼻と喉に水が流れ込み、窒息死してしまうのではという恐怖が夏美を襲う。自分は遠時に殺されるのか、などと考えていたら、急に頭を引き上げられた。空気が肺へ流れ込み、焼けるような痛みに胸を押さえる。だが夏美に息を吸う間も与えず、遠時は再び夏美を水中に沈めた。何度も水中で藻掻いた夏美だったが、最後には体力が底をつき、意識が急速に混濁していった。今度こそすべてが終わる――そう確信した時、突然、首を押さえる力が無くなった。夏美は浴槽から這い出し、咳き込みながら肺に入った水を吐き出す。顔を上げるとその視線の先には、瞳に荒れ狂う嵐のような怒りを浮かべた遠時が立っていた。「自分からなんて、してない……」夏美は絶望的な視線を遠時に向けた。遠時は夏美の首を乱暴につかむと、そのまま浴槽の縁へ押さえつけた。「3年前、俺に媚薬を飲ませて無理やり関係を持ったのはお前だろ?それに、毎晩お前が泣くほど抱いてやっているってのに、それでもまだ足りないのか?」その言葉に、夏美は愕然と目を見開いた。あの時、媚薬を盛られ理性を失った遠時に、無理やり抱かれたのは自分なのに。それに、あの日を境に、遠時は毎夜のように自分を求めるようになった。だが、どうやら遠時は最初からずっと、自分が薬を盛って彼を誘惑したのだと思い込んで
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第5話

ボディーガードを振り払った百合が、そのまま壁に頭をぶつけた音だった。その瞬間、夏美の世界が音を立てて崩れ去る。心臓を抉り取られ、さらに粉々に砕かれるような痛みに襲われた。夏美は必死にもがき、拘束を振りほどくと、遠時を力いっぱい突き飛ばして浴室を飛び出した。「お母さん!」悲鳴にも似たその叫びに、遠時の胸がわずかにざわめく。母は血だまりの中に倒れていた。額から流れる血は痛々しかったが、それでもその口元には、どこか安堵したような微笑みが浮かんでいる。「お母さんのせいで、夏美をこんな目に遭わせちゃって……ごめんね……」優しさに満ちていたその瞳から、ゆっくりと光が失われていく。夏美は震える腕で母を抱き寄せた。しかし、母の温もりは、腕の中で少しずつ消えていく。涙は次から次へと頬を伝い落ちるのに、喉が締めつけられたように声ひとつ出せない。自分のせいで、母は絶望の果てに、こんな最期を選ぶしかなかった。浴室にはまだ湯気が立ち込めていて、情事後の淀んだ空気に混じり、濃い血の匂いが漂う。夏美は、かすかに温もりの残る母の胸へ顔を埋め、小さく体を丸めた。そして、傷ついた子どものように、嗚咽を漏らし続けたのだった。次に目が覚めると、夏美は病院のベッドにいた。消毒薬の匂いが鼻をつく。目覚めた夏美を見て、ベッドの横で林檎を剥いていた遠時が手を止めた。意識を失う前の光景を思い出し、夏美は叫んだ。「なんで?なんで私にこんなことするの?」夏美を真っすぐに見つめる遠時の表情は、一切変わらない。「お前の自業自得だ……」その言葉で、夏美の目からは涙がこぼれ落ちたが、意地でも泣き声は出すまいと唇を強く噛みしめる。心がすごく痛い。自業自得……自分はどうしようもなく馬鹿だ。こんな男に何の期待を抱いていたというのか?絶望している夏美を見て、遠時の瞳がわずかに揺らいだ。「お前の母親は死んでいない。今、集中治療室に……」遠時が言い終わる前に、廊下から言い争うような声が聞こえた。「篠原さんが足首をひねったみたいで、救急に運ばれてきたのですが、一番腕のいい先生を呼べって喚いてて……」夏美が遠時に視線を向けると、案の定、彼は慌てた様子で病室を出て行った。母は生きてる。会いにいかなきゃ……夏美はなりふり構わず手の甲の点滴を強引
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第6話

夏美は全身に管をつながれ、集中治療室で眠っている百合の姿を見ていた。健三と百合もかつては深く愛し合う夫婦だったのだが、百合が夏美を産んだことで、すべてが変わってしまった。男児を重んじる浅倉家で、娘を産んだ百合は居場所を失い、それ以降、百合と夏美の苦しい日々が始まった。健三は仕事の接待で、少しでも思い通りに行かないことがあると、すぐに百合を接待の場に連れて行き、取引先へと百合をあてがった。そんな横暴の末、百合の父はショックで命を落とし、弟も脚を折られてしまった。夏美は冷たくなった母の手をそっと握り締める。かつて優しく頬をなでてくれたその手は、今では痛々しいほど痩せ細り、全身には無数の痣が残っていた。心電図モニターが刻む規則正しい電子音が、静まり返った空間に虚しく響く。「お母さん、安心してね。必ずあの人たちに報いを受けさせてみせるから」夏美の瞳には、燃え盛る炎のような復讐の決意が宿っていた。夏美は携帯を取り出し、震える指で一本の電話をかける。「証拠は全部渡すから。すぐに吉沢さんを訴えてほしいの。今すぐにお願い」しかし、病室の外に黒い影が一瞬横切ったことに、夏美は気づかなかった。静まり返った深夜、夏美が百合のそばで眠っていると、病室のドアが激しく開けられた。見知らぬ3人の男たちが押し入ってきて、そのうち二人が何も言わずに夏美を無理やりベッドから引きはがすと、床に膝をつかせた。必死に抵抗した夏美だったが、屈強な男たちの力には及ばない。「誰?!何するのよ!」「黙ってください。これは橘社長からの命令なんです!」男の一人がベッドで眠る百合へと歩み寄り、躊躇うことなく百合の酸素マスクをむしり取った。口をふさがれた夏美は、喉の奥で悲鳴を上げることしかできない。心電図モニターが甲高い警報音を鳴らす。そのときだった。病床の百合の体が、不意に激しく痙攣する。閉じられていた瞳がゆっくりと開き、まっすぐ夏美を見つめた。何かを伝えようとするように、百合は震える手を伸ばし、喉からひゅうひゅうと今にも途絶えそうな声を絞り出す。けれど、それもほんの数秒だった。伸ばされた手は力なく落ち、瞳に残っていた最後の光が、ゆっくりと消えていく。それと同時に押さえつけられていた手の力も弱まったため、夏美はベッドへ這い寄り、百合の体に触れた。
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第7話

何日眠っていたのかは分からないが、夏美が目を覚ますと、そこは橘家の屋敷だった。夏美はぼんやりと天井を見つめたが、次の瞬間には、母が息を引き取ったあの光景が脳裏によみがえり、涙がぽろぽろと頬を伝う。涙は止まらないのに、まるで喉が塞がれたかのように、声は一切出なかった。そこへ遠時が入ってきた。打ちひしがれた夏美の姿を見つめ、彼の眉がわずかに動く。しばらく沈黙が流れたあと、遠時が淡々と口を開いた。「葬式はもう終わらせたから。今回の件は、晴香が俺に黙ってやったことで、俺もやりすぎだったとは思ってる」その言葉を聞いた夏美は、遠時を見つめたまま、ふっと笑う。それは、乾ききった喉から無理やり絞り出したような、かすれた笑い声だった。「それでも、あなたは篠原さんをかばうのね?」遠時が一瞬黙り込んだ。「今回のことは晴香が悪い。後でお前の母親の墓の前で謝罪をさせるよ。でも、それで今回のことはもう終わりだから、これ以上騒ぐな」躊躇いもなく去っていく遠時の背中を見つめ、夏美は掛け布団を固く握り締めた。天井を仰いで涙を無理やり飲み込む。どうやらあの男にとって、母の命は晴香のたった一度の謝罪と同等の価値しかないようだ。夏美、泣くな!夏美は何度も自分に言い聞かせた。泣いてはいけない。誰も、自分の涙なんて心配してくれないのだから。絶対に、母を追い詰めた連中を許さない。……その後の数日間、珍しく遠時が夏美のそばにいたが、すでに心が死んでいた夏美は、一切何も感じなくなっていた。夏美は診察を大人しく受け、食事をして眠る。人がいない時は一人、裏庭の花を眺めて静かに過ごした。そんな夏美の様子に遠時は調子が狂い、心が落ち着かない。とうとう耐えられなくなり、やつれた夏美の横顔を見つめながら尋ねた。「まだ怒っているのか?」「怒ってないよ」「なら良かった」そこで言葉を区切り、初めて夏美に優しく声をかける。「これからおとなしく俺の妻でいればいいんだからな。もう晴香には関わるなよ」夏美は窓の外の曇り空を見つめ、ポッカリと穴が開いた心に、氷を埋められていくような感覚を覚えた。以前なら、遠時が晴香をかばうたびに深く傷ついていたが、今はただ、静かに「分かった」とだけ答える。夏美が素直になったと思った遠時は、満足げな表情を浮かべた。遠時はその後も
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第8話

これは遠時からの懲罰だ。だが、夏美は微塵も動じない。遠時の冷たい視線を受けながら、夏美は胸の奥に渦巻く憎しみを押し隠した。そして彼の前で、静かに膝を折り、鋭い石が転がる岩場に跪く。大小さまざまな石が膝に突き刺さり、痛みで冷や汗が出る。それでも唇を強く噛み締め、口の中に血の味が広がっても、一度たりとも許しを乞うことはせずに、謝罪の言葉を口にする。晴香は勝ち誇ったように微笑んだ。「夏美さん、そんな堅苦しくならなくて大丈夫だから。過去のことなんて水に流して、これからはいい友達になろうよ」遠時も満足げな笑みを浮かべている。だが、遠時が電話対応のために席を外した瞬間、晴香の表情が一気に変化した。「こんなことになってるのに、よくもまあ、まだ私の前に姿を現せたものね。母親の死から何一つ学んでないの?」そう言うや否や、晴香がふらりと倒れた。すると、パーティー会場の他の人々も次々と意識を失い、地面に倒れていく。夏美は万全の準備をしていた。彼女は事前に薬を酒に混ぜていたのだ。ドレスに隠し持っていたナイフを取り出した夏美は、意識が朦朧としている宏明へと歩み寄った。目に驚きと恐怖を浮かべる宏明の腹部に、夏美は思い切り刃を突き立てる。飛び散る血がドレスを染め上げ、復讐に燃えるその姿は、まさに阿修羅そのものだ。苦痛のうめき声を上げ、宏明は助けてくれと懇願し続けた。だが、夏美はただ鼻で笑い、再びその腹にナイフを突き立てる。「母を傷つけたとき、こうなることを想像しましたか?母が許しを求めたとき、あなたは母を解放してくれたのでしょうか?」しばらくして宏明が動かなくなると、今度は晴香の方を向き、夏美はその髪を乱暴に掴んで崖の方へ引きずっていった。「母をどうやって殺したんですか?」「こんなことをして、遠時が許すと思ってるの!?」晴香は全身を震わせながらも、口ではまだ対抗する。「私がまだ彼を怖がるとでも?」夏美は馬鹿馬鹿しいと言うように笑い声をあげた。そのまま晴香の胸元に狙いを定め、ナイフを高く掲げる。「神様は天罰を与えてくれないみたいなので、私が代わりに罰を与えてやりますから!」「夏美!何してるんだ!」遠時が険しい表情で駆けつけてきた。「そのナイフを捨てろ!」夏美の手首を掴み、骨が砕けんばかりの力で抑えつけた遠時。ナイフがカンッ
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第9話

遠時のボディーガードはすぐその場の対処に移り、全員を病院へと搬送した。遠時はというと、まるで魂が抜き取られてしまったかのように、病院の手術室の前の壁に寄りかかっていた。夏美のことは、欲深く、金のためなら何でもする女だと思っていた。だから、そんな女は自分に相応しくない。もし晴香への輸血のためでなければ、見向きもしなかったはずだ。ところが夏美は、自分の本当の妻になろうと、こともあろうか自分に媚薬を盛った。それならと、夏美を解毒剤代わりにしたのが運の尽き。一度味を知ってしまったら、もう歯止めが利かなくなってしまったのだ。遠時はその自分を制御できないことへの苛立ちをぶつけるように、いつも夏美を泣かせ、許しを求めさせることで、その溜飲を下げていた。百合が不当な扱いを受けていても放っておいたのは、夏美が自分に謝罪さえすれば、いつでも百合を救ってやるつもりだったから。だから、あの日のことは全て承知の上でやっていた。夏美の心の拠り所を全て奪い、頼れるのは自分だけだと思い知らせるつもりだった。しかし、百合が壁に頭を打ち付けて、意識を失ってしまうとは思ってもみなかったし、今思えば、あの瞬間から何もかもが狂い始めていた気がする。その後の夏美は自分の傍でおとなしくしていたから、ようやく彼女自身の過ちに気づいたのだと、遠時は思っていた。だから、夏美が晴香と宏明を手にかけ、ましてや崖から飛び降りるなんて、想像もしていなかった。夏美は自分に縋り付いてきて、必死に助けを求めるはずではなかったのか?手術室のライトが消え、晴香が運ばれてきた。そこで、遠時は思考を切り替えた。金目当ての女など、もう死んだのだから、もう気にする必要もない。それなのに、なぜ胸が締め付けられるように痛むのだ?麻酔から目覚めた晴香は、付き添う遠時を見るとすぐに目を赤く潤ませ、唇を噛みしめた。「遠時……私、もう少しで死ぬところだったんだよ?もう二度とあなたに会えないかと思った。だから、絶対にあの女を許しちゃだめだからね。生きているなら徹底的に追い詰めて、死んでいるなら死体を確認しなきゃ」遠時は低い声で答える。「ああ、晴香の言う通りだ……」そして遠時は、晴香の表情など気にも留めず、片付けを命じていた秘書の上野冬馬(うえの とうま)に連絡を入れた。「夏美を
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第10話

「遠時くん、無理強いするつもりはないけれど、この件についてはちゃんと説明してもらわないと」明子はソファに座り、隣にいた晴香の肩を叩いた。「宏明はいまも病院なんだけど、お医者さんが言うには、もう子供を作る能力がなくなっちゃったみたいなの。でも、宏明は吉沢家唯一の男だから、親戚たちがかなり腹を立ててね。遠時くん、その怒りを抑えるために、こっちがどれだけ苦労したか分かる?」遠時の目元に冷酷な色が走るのを見た晴香は、慌てて明子の腕を引いた。「お母さん、もういいでしょ。この件は遠時のせいじゃないから」「相変わらず身内じゃなくて、他人をかばうのね!」明子は鼻を鳴らした。「まあ、いいわ。それとね、今日はもう一つ聞きたいことがあるの。二人は一体いつ籍を入れるのかしら?あなたたちが夫婦になれば、親戚連中だって口を出せなくなるでしょ?」晴香は遠時のそばに寄り、その裾を握りしめる。「遠時、私の病気はもう治ってるの。だからあの時の言葉、いまも有効かな?」遠時はしばらく沈黙した後、唇の端に微かな笑みを浮かべて答えた。「ああ」晴香の目に驚きと喜びに満ちた光が宿り、頬は赤く染まった。「嬉しい!遠時、私たちついに一緒になれるんだね!」晴香はまず明子を見送り、再び部屋へ戻ると、遠時が掃き出し窓の前に立っていた。晴香は背後から遠時を抱きしめる。「ねえ、遠時。私たちの結婚式を私が何度夢に見たか知ってる?でも、それがついに現実になるんだね」しかし、遠時は振り返ることなく、庭に咲くバラを見つめたまま、心臓が凍りつくほど淡々と言い放った。「橘家の財産をあんなに貪っていた夏美が、俺たちの結婚式のことを知ったら……姿を現さずにはいられないだろうな」一瞬にして全身が強張った晴香は、信じられない思いで顔を上げた。掃き出し窓に映る遠時の瞳は、非情なほど冷静で、夏美の名を口にするときのその瞳には、刺すような光が宿っている。骨の髄まで冷えるような寒気が、晴香の足の裏から背筋へと駆け抜けた。自分が切望していた結婚式が、遠時によって、他の女をおびき寄せるためのエサに使われるなんて。遠時はくるりと振り返り、固まっていた晴香の頬を指でそっと撫でながら優しく微笑んだ。「どうしたんだ?嬉しくないのか?」晴香は寒気を感じ、指先を震わせながらも、何とか頷いた。「う……嬉しいよ
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