All Chapters of <社会人百合>アキとハル: Chapter 11 - Chapter 20

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第十一話 過去

「今日からお世話になります。夏野ミドリです」 そう言って、メイド長の横で、彼女は深々とお辞儀した。歳は、高校を出たてというところかな。「よろしくね、ミドリさん。わたしは葵ハル」 ティーカップを置き、こちらも笑顔で会釈する。「では、お嬢様。新人の教育がありますので、ご挨拶までで失礼を」 メイド長がそう言ってお辞儀すると、ミドリさんもお辞儀する。そして、二人は行ってしまった。 珍しいな。このお屋敷に、あんな若い人が入ってくるの。「お嬢様、ご休憩もそこまでになさいませ」 家庭教師が、ぽんぽんと手を叩く。おっと、いけない。 普通の家の子は、こんな過密スケジュールで暮らしていないのかな。夏休みだから、遊園地とか行ったりしてるんだろうな。 ……行ってみたいな、遊園地。 この頃のミドリさんは、まだ入りたての、ただの新人。それ以上の印象はなかった。  ◆ ◆ ◆  ほどなくして、ある秋の日。私は食が進まず、お昼ごはんを残してしまった。 そこで自室に戻ろうとすると、なんとも香ばしい匂いが厨房から漂ってくる。 なんだろう? と覗いてみると、ミドリさんが一人、何かをコンロで調理していた。「ミードリさんっ! なーにそれ?」「あ、お嬢様。これはお恥ずかしいところを。一人仕事が遅れたため、まかないを用意しておりました」「まかない?」 聞き慣れない言葉に、キョトン。「我々、使用人の食べ物でございます」「あっ、サンマだ」 香ばしさの主は、サンマだった。「はい。これと香の物にお味噌汁で、お昼をいただこうかと」「ね! わたしも食べていい!? なんか、急にお腹空いてきちゃった!」 このときのわたしの瞳は、きっととても、きらきらしていただろう。「いけません! 旦那様や奥様、メイド長に叱られてしまいます!」「そしたら、一緒に謝ってあげるから! 私が一緒なら、きっとそんな怒られないと思う!」 根拠はないけど、そう言った。するとミドリさん、悩んだ末にため息ひとつ吐き、「承知しました。できれば、内緒でお願いします」と、わたしのぶんも用意してくれることになった。「お嬢様、頭と内臓はいかがいたしますか?」「ミドリさんと一緒がいい!」「承知しました」 かくして出てきたのは、頭付きのサンマと白菜のお漬物。それに、わかめのお味噌汁。「美味しそ~
last updateLast Updated : 2026-06-30
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第十二話 現在

「……以上が、わたしから話せる、ミドリさんとのすべてです」 そう言って、過去話を締めるハルちゃん。 なんとも、壮絶だった。愛らしい容姿の割に激情家な面があるのは、これまでの付き合いから知ってたけど、ここまでの過去があったとは。「よくよく考えてみれば、あんな迷惑かけておいて、連絡先交換とか、図々しいですよね、わたし」 視線を下に落とし、自虐的な口調で言う。「そんなことないよ! ハルちゃんが赦せなかったら、ミドリさん、あんな態度も物言いもしないよ! むしろ、ミドリさんも、ハルちゃんに迷惑かけたと後悔してるんだよ! そして、今でも互いを大事に想っている」 真剣な面持ちで、底を突いてしまったハルちゃんの自信を回復させる。「そう、でしょうか?」「そうだよ」 しばし、間。「おねーさん」「はい」「わたし、おねーさんを愛しています。こんなに慕情を感じる人は、ミドリさん以来、初めてです。出会ったあの日、運命的な何かを感じたんでしょうね」 湯呑の縁を指でなぞるという行儀悪をしながら、訥々と喋るハルちゃん。「うん、ありがとう」 でもきっと、この先には言葉が続く。「ただ、焼けぼっくいに火が点いてしまいまして。わたし、おねーさんを愛していながら、ミドリさんへの慕情も再燃してしまったんです」「うん、わかるよ。不本意な別れ方だったんだもんね。それがやっと……七年ぶりぐらいだかに、偶然再開できて」「わたし、どうしたらいいんでしょう? おねーさんも、ミドリさんも愛してるんです。残酷ですよね、彼女にこんな話するの」 まあ、心中複雑でないといえば、嘘になる。 でも、理解っちゃうし、共感もできちゃうんだな。だから、どうしてもミドリさんを恋敵として、敵視できない自分がいる。「突き放すようで悪いけど、それはハルちゃんが決めることかな。でも、ハルちゃんがミドリさんを選んでも、私恨まないよ。形としては、私が後から割り込んできたんだもの」 そう言うと、押し黙ってしまい、ややあって、お茶に口をつけた。もう、とっくにぬるいでしょうに。「少し、ミドリさんと話してみます」 湯呑を置き、スマホを手に、外に出る彼女。 ミドリさんと話すことで、気持ちに整理がつくのか、かえって、ぐちゃぐちゃになるのかは、わからない。 ただ、私にできるのは、ハルちゃんの心から
last updateLast Updated : 2026-07-01
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第十三話 真贋

ええと、自己紹介がまだでしたね。私、紅アキといいます」「はじめまして。冬川ユキです」 互いに会釈。ハルちゃんはすでに、前回の逢瀬のとき、引き合わされたらしい。 雑談で、まずは探りを入れる。 うん、やっぱり、手を握るとか、見つめ合うとか、そういうアクションがない。逆に、私がハルちゃんと手を握ると、ミドリさんが悲しそうな顔をしたのを、見逃さなかった。 もっと、深く切り込んでみよう。「私、ハルちゃんと出会ってから、幸せで幸せで。お二人はいかがですか?」 満面の笑みを投げかける。「……ええ、とっても幸せですよ? ねえ?」 ミドリさんが、彼女に確認するように問う。「……うん、うん」 不自然な間。その表情は、幸せカップルのそれには見えない。ミドリさん。あなたも嘘をつくのが下手なんですね。「そこまでにしましょう。もう、十分推し量れました」 私の唐突な宣言に、キョトンとする二人。「試すような真似をして、すみませんでした。でも、私、バカ正直な人間なんです。お二人は、本当のカップルではありませんね?」「いえ! そんなことは……」「嘘はやめにしましょう。傷つくのは、ハルちゃんですよ」 そう言うと、ミドリさんが観念したように目を閉じ、眉をしかめる。「あの、おねーさん。どういうこと?」「ミドリさんね。ハルちゃんに自分を吹っ切ってもらおうと、お友達……ですかね? と、恋人のふりしてたのよ」 「ええーっ!」と叫んだ後、慌てて口をふさぐハルちゃん。「ミドリさん、なんでそんなことを……」「今結ばれているお二人の間に、私が挟まっているのはよくない。ですから、ひと芝居打たせていただきました」「でも、ミドリさん。その優しさは、結局残酷な仕打ちでしたよ。ハルちゃん、あの日号泣してたんです。あなたは、ハルちゃんにとって、特別な人なんですよ」 コーヒーを一口飲み、ビシリと言う。ミドリさんは、強い罪悪感を覚えたのであろう。椅子に深く腰を沈め、俯いてしまった。「ミドリ。あたし、外してたほうがいいかな?」 部外者になったことを理解したユキさんが、心配そうにミドリさんに尋ねる。「ううん。ユキはそのままいて。一人だと、心が折れそう……」 良かれと思って行い、結果的に最愛の人を傷つけてしまった小芝居に
last updateLast Updated : 2026-07-01
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第十四話 シェア

「紅さん、手、止まってる」 同僚の注意で、ハッとなる。 幸い、昨夜は深酒することもなかったが、それはある意味、私的に調子が悪いのだろう。 サボってたぶん、超特急で仕事を進めていると、十二時のチャイムが鳴る。「紅さん、今日もお弁当でしょ? 私は何にしよーかなー?」「あ……私、今日お弁当じゃないんだ。久しぶりに、食べに行かない?」 立ち上がり、提案する。「あれ、珍しい。じゃあ、F-TERRACEにする? 近いし」「あ、うん……。いいよ」 というわけで、F-TERRACEへ。市役所にも食堂はあるのだけど、いまいち利用者が多くない。補助券、もらえてるんだけどね。「私、ランチ。紅さんは?」「あー、うん。同じので」 心、ここにあらず。 あの、世にも奇妙な協定を決めたのが、昨日のここ。翌日にお昼を食べに来るとは、運命だろうか……。大げさか。「なんか、元気ないね。何かあった?」 同僚の言葉に、ドキリとする。「あー、うん。ちょっとね」「私で良かったら、相談にのるけど?」「ありがとう。でも、ちょっと話しにくい内容でね」 「そっかー」と、同僚は力になれなかったことを残念そうに、運ばれてきたコーヒーをちびちび飲む。 申し訳ない。家出した大企業令嬢と同棲してて、しかも彼女の初恋の人と奇妙な三角関係とか、言えるはずもなく。 誰か、相談できる人がいればな……。まさか、親に相談するような話でもなし。相談相手がいないって、きついな。「なんだか知らないけど、利用者さんには迷惑かけちゃダメよ。ケーキ、奢ってあげるからさ。元気出せー」 ケーキを追加注文する彼女。「ありがとう」 私の周りの人は、みんな優しいな。 ◆ ◆ ◆「おかえりなさい、おねーさん!」 家に帰ると、ハルちゃんが! ハルちゃん! ハルちゃん! ハルちゃん!! 「ただいま」を言うのも忘れ、がばっと抱きつく。「ハルちゃん……」 思わず、匂いを吸引。私のじゃないシャンプーの香りがして、心の奥が、もやっとする。「あの、どうしちゃったんですか? なんか変ですよ?」「うん。私、変だと思う」 どう見ても、開幕から奇行の連発だ。「わたしいなくて、寂しかったんですね」 ドキン! と心臓が跳ね上がる。「すみません。やっぱり、ミドリさんのところへ通うの、やめましょうか?」 ああ。察し
last updateLast Updated : 2026-07-01
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第十五話 新生活!

 待ちに待った、引っ越しデイ! 私もハルちゃんもミニマリストなもので、荷造りはさくっと終わり、業者さんを見送ると、現地へてくてく。ほんと、近所なのよね。ありがたや~。 とうちゃーく! やあやあ、これは見るからに良物件! いい仕事してますねー。 業者さんに冷蔵庫の設置やテレビの配線なんかをしてもらい、ちゃぶ台とテレビしかないリビングに大の字になって寝そべる!「ハルちゃんも一緒にやろー。気持ちいーよー!」「おお~、いいですねー」 スノーエンジェルを作るように、手足をジタバタさせる私たち。 そういえば、ミドリさんどうしてるだろ? 電話をかけてみる。「はい、どうされましたか?」「あ、いえ。今どのへんでしょうと思いまして」「東F駅に着いたところです。もう、運送業者はそちらに着いてるかもしれません。私も、すぐに向かいますので。すみません、手短ですが、失礼します」 通話が切れてしまった。 どれどれ? お、キッチンの窓を開けると、たしかに私たちが使った業者とは違うトラックが。 私に気づいた業者さんが挨拶に来て、荷物を運び込んでいいかと問われたので、「もう少しお待ちを」と、待ってもらうことに。 すると、ミドリさん到着!「おまたせいたしました! 荷物を中へお願いします」 急いで来たのだろう、息が上がっている。 私たちも荷解きを手伝っていく。 彼女もミニマリストかと思ったら、案外本が多い。「どうも、本は紙でないと……」 とのこと。 とりあえず、一番広い八畳間は、三人で寝るからハルちゃんルーム。あとの六畳ふた部屋は、私とミドリさん。 ミドリさんはテレビを見る習慣はないようで、テレビがダブらなかったのはラッキーね。 逆に冷蔵庫は、小型のが二つという、ちょっと奇妙な状態に。 コンロはミドリさんのIHと、うちのガスどっちにしようかという話になったけど、協議の結果、ミドリさんのIHに決まりました。決め手は、温度調節が楽という理由。「だいたいこんなもんですかねー?」 ふうっと一息。「はい。あとは、私が本をしまうだけですね」「手伝いましょうか?」「いえ、それには及びません」 んー。「ミドリさん。これから寝食を共にするんですし、もうちょっと肩の力を抜いた喋り方、難しいですか?」「申し訳ありません。なにぶん、
last updateLast Updated : 2026-07-01
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第十六話 聖夜と新年と

「メリー、クリスマース!」 パンパン! と、クラッカーが打ち鳴らされる。そして、乾杯! 早いもので、もう年の瀬。「チキンも、いい感じに焼けましたよ」 ミドリさんが、オーブンから、まる一羽のローストチキンを取り出し、切り分ける。漂う、ハーブの香り。いいですねえ。ただ、数人がかりとはいえ、食べきれるかしら?「こんな感じで、クリスマスパーティーやるの、楽しみだったんですよー」 ハルちゃんが、緩んだ顔でほっぺに両手を当てている。「やっぱり、葵家のクリパって、豪華絢爛だったりするの?」「はい。各界の名士や、そのご家族をお招きして。コルセットが、窮屈で、窮屈で」 別世界の話に、思わず「ほえ~」なんて、間抜けな声を出してしまう。「なんだか、あたしまでお招きに預かって、恐縮です……」 ちょっと所在なさ気な、いつぞやのユキさん。「いえいえ、こういうのは大勢のほうが楽しいですから。ねえ、ミドリさん?」「はい。ユキ、一緒に楽しみましょう」「そういえば……」 ふと、気になったことを切り出す。「ミドリさんとユキさんって、ご友人関係ですよね? でも、それだけじゃない気がして……。あ、変な意味じゃないですよ」 発泡ワインをちびりと呑んで、問う。「一言で言って、同僚です。ミドリとは、何かと気が合うもので、親友になりまして」「ほほー。この時期、お二人とも、お仕事はなかったんでしょうか?」「はい。有給を取らせていただきました」 ミドリさんの言葉に、ユキさんが頷く。「なるほど。実は、私も有給組~」 そう言いながら、ローストチキンに手を付ける。……うまっ! さすが、三人がかりの力作!「おねーさん、おねーさん」 ハルちゃんに呼びかけられてそちらを向くと、あんぐりお口を開けている。 首を傾げていると、「あーんですよ、あーん!」と、意図を説明する彼女。「はい、あーん」「……おいしー! ミドリさんもー!」 今度は、ミドリさんに向かって雛鳥のように口を開ける。そして、もぐもぐ。「しかし、自分も提案しといてなんですけど、ほんとに三人仲良くやってる感じですねえ」 ユキさんが、仲睦まじい私たちを見て、感心する。「そうですね。私もミドリさんも、互いに多少の嫉妬はあっても、それ以上の敵意は持てなかったですから」「はい。私も、この生活
last updateLast Updated : 2026-07-01
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第十七話 吾文

 車内では、誰一人言葉を発しなかった。 私は、そして恐らくはミドリさんも、ただハルちゃんの心情を慮るばかりだ。 また同時に、私とミドリさんを呼んだ意図。これがわからない。 今更私たちに、何の用があるというのだろう? そんなことを、ぐるぐるぐるぐる考えてるうちに、大きなお屋敷の前に着いた。 白亜の豪邸。 月並みだけど、そんな感想を抱く。 駐車場に車が停まると、「ご案内いたします」と、辻さんが邸内にエスコートしてくださる。 ハルちゃん、ミドリさんは、緊張しつつも、どこか懐かしそうにお屋敷をちらりちらりと見ていた。 時折すれ違うメイドさんが、お辞儀をしてくるので、こちらもお辞儀を返す。「こちらです」 辻さんがノックすると、「入れ」と、ある意味懐かしい吾文さんの声。ただ、あの強さはなく、ずいぶんと弱々しい。「お邪魔します」 四人で中に入ると、吾文さんと同じぐらいのお歳の女性が、彼の横たわるベッドの傍らに腰掛けていた。 ハルちゃんが歳をとったらこんな感じになるだろうなというお顔。間違いなく、奥様だろう。「お久しぶりです、お父様、お母様」 一礼するハルちゃん。声が上ずっている。 奥さんが「おかえり、ハル」と立ち上がって、我が娘を抱きしめると、ハルちゃんも抱きしめ返す。「その……体のほうは……」「右半身に麻痺が残っている。しばらくはリハビリ生活だ」 呂律も少々回っていない。あの吾文さんが、こんなに弱々しく……。「長々と話すのは辛いし、性に合わん。結論から話す。ハル、勘当を解く。だから、戻ってきてくれ。紅さんにも、申し訳ないことをした。赦してほしいとは言わない。ただ、交際も認めよう。ハルと一緒に暮らしてやってはくれまいか」 なんと……。ここまで折れるなんて、本当に弱りきってしまっているんだ……。「ミドリも、すまないことをした。元はといえば、ハルが無理やり、その……誘ったそうだな」「いえ、旦那様。断りきれなかった、私の落ち度でございます」 深々と、頭を下げるミドリさん。空気が重い。「もう一度、うちに戻る気はないか? 高待遇を約束する」 せめてもの、償いの意思なのだろう。さすがに、ハルちゃんとミドリさんが恋人に再発展してるのは調べきれていないようだ。「お父様。少し三人で、話す時間をいただけ
last updateLast Updated : 2026-07-01
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第十八話 あえて

 お正月も終わり、すっかりいつもの日常が帰ってきた。 今日、ハルちゃんがオフで、メイン家事担当。で、朝ごはんを作ってるわけだけど。「二人とも! 美味しいブリ照りできるから、待っててね!」 笑顔で、そう言うものの。 私たち三人、どうしても上手な嘘つきになれないんだね。「てい」「ひゃう!?」 背後から近づき、ハルちゃんの両脇腹をつつく。「何するんですかー!」「ハルちゃん、無理してるでしょ」 ハルちゃん、三日から向こう、むやみに明るいのだ。そして、それが空元気だとわかってしまうんだな。「……おねーさんは、何でもお見通しなんですね」 観念して、深い溜め息をつく彼女。「だってね、辛くないはずがないじゃない。ミドリさんも、気が気じゃないよ。そうですよねえ?」 ハルちゃんの横で、お味噌汁を作っていた彼女に、話を振る。「あ、はい! 私ですか!? その、まあ。はい。どうしたらお嬢様を元気付けられるだろうと、日々考えておりました」 ミドリさんも、辛い。そして、私はそんな二人を見ているのが辛い。「あとは、個人的なことなのですが、辻さんに様付けで呼ばれたのが……。今や自分は、外部の人間なのだなと思い知らされまして。再就職したら、以前のようにさん付けで呼んでいただけるのでしょうか」 ふうむ。ミドリさん、そういう悩みもあったのか。「よし! 明日は私オフだし、飲み会しよう!」「ええ……? おねーさん、お父様があんな状態なのに、そういう気分には……」「ごもっとも。でもね、肩に力入れっぱなしじゃ、今度はハルちゃんが参っちゃうよ。息抜きも大事! ミドリさんもね!」 そろそろ料理ができそうなので、食器を用意しながら、アドバイス。「私もさ、仕事で百人の生活を預かってるわけよ。当たり前だけど、不幸な人だらけでね。そういう人たちと毎日接するのが、心身ともに負担にならないわけがなくて。だからね、オフではパーッとやることにしてんのさー」 ミドリさんから味見を頼まれたので、テイスティング。「美味しいですよ!」と、太鼓判を押す。「だから、二人も、今日ぐらいはパーッといこう!」「でも、私、荷造りがありますし……」「遅れたぶんは、お手伝いしますよ。言い出しっぺですから」 ブリも焼き上がったので、お味噌汁ともども盛り付けていく二人。私は、
last updateLast Updated : 2026-07-01
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第十九話 葵邸

「よし、忘れ物ないね?」 引っ越し業者が葵邸に向かったので、私たちも辻さんの車を待つすがら、最終チェック。 うん、ピカピカだ! 短い間だったけど、色んな思い出が詰まった家だったな。 ……ほとんど飲み会と、夜の営みばっかりな気がするのは気のせいだね、うん。 次はどんな人が住むのかな。きれいに使ってくれる人に住んでもらえるといいね! ハルちゃんとミドリさんから、お屋敷のことを色々聞きながら時間を潰していると、辻さんが来ました! では、新天地へ向かいましょう~! ◆ ◆ ◆ 降車して、改めてお屋敷の威容を見上げる。 今日から、ここに住むのかー。キンチョーするなあ。「お帰りなさいませ、お嬢様」 エントランスに、ずらりと使用人のみなさんが並び、ご挨拶。「もー、大袈裟だってー。ただいま。荷物だけ置いたら、お父様にご挨拶に行くね」 ハルちゃん苦笑。 男性の使用人さんが荷物を運ぼうとするのを、「それぐらい、自分でやるからいいよ」と彼女が断ると、目を白黒させておりました。 ハルちゃん、すっかり庶民派になったのねー。 私は逆に、ポーターしてもらうなんて初体験なんで、恐縮しながらもお願いしました。 ミドリさんも、自力。いやん、これじゃ私だけ傲慢みたいじゃない。 ともかくも、私の居室として、客間があてがわれました。「ありがとうございました」 荷物を運んでくれた使用人さんにお礼を述べると、さっそく、家具を開封。 この広~い洋間に、ちゃぶ台は……。とりあえず、畳んで立てかけとこ。 おふとんも、隅っこに置いて……。 テレビは、後で配線を頼もう。 食器とか掃除機は、とりあえずそのままで。 服は、タンスにしまう。 ふむ。我ながら、荷物少ないねー。あとは、タブレットぐらいだ。 私も、吾文さんと奥さんに、ご挨拶しなきゃ。 ええと、これを鳴らしてくださいって、辻さんが言ってたっけ。 ちりんちりん。 間もなく、ノックの音。ドアを開けると、辻さんとは違う執事さんが、うやうやしく立っていました。「吾文さんと奥様に、ご挨拶に伺いたいのですけど……」「かしこまりました。こちらへ」 彼の先導で、邸内をてくてく進んでいく。 そして、扉の前に着くと彼がノックし、「紅様をお連れしました」と、呼びかける。 「入ってもらいなさい」と返事があり、
last updateLast Updated : 2026-07-01
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第二十話 別世界

 扉がノックされたので応対すると、ハルちゃんが、ちょこなんと立っていました。「準備、いいですか?」「うん。じゃあ、いきましょうか」 というわけで、お屋敷巡り。途中出会う使用人さんたちに、恭しく挨拶されるのは、前回経験したムーブ。 しかし……別世界だなー。地方公務員である、私のマンションと比べてもそうだけど、生保の利用者さんの住まいとは、比べ物にならない。 生保で、例えば東京・都市部の単身者なら、認められている家賃の上限は、五万三千七百円まで。ずいぶん半端だけど、そういうことになっている。 これで住める家というのは、まあ安普請だ。 ハルちゃんに罪があるわけではないけど、こうも世界が違うのかと思い知らされる。 彼女はすっかり庶民派だけど、ミドリさんとの交流がそうさせたのだろう。 もしあの日、ミドリさんとサンマ食べなかったら、ハルちゃんは弱者の痛みがわからない、高慢お嬢様に育っていたかもしれない。 ハルちゃんに限って、それはないと思いたいけど。 私も、この世界観に飲まれないように気をつけないとなあ。 ともかくも、そんな雑多なことを考えながら、応接室やトイレの案内をしてもらう。「あ、ごめん。ちょっと、お手洗い使っていい?」「どうぞどうぞ」 それでは、ごめんして……。 ……広っ! 多機能トイレぐらい広い! しかも、マットもカバーもふかふかだあ……。 なんか、かえって落ち着かないわ……。 もちろん、ウォシュレット付き。紙質も、極上。石鹸も、多分相当良い品だ。 ほんと、この別世界に飲み込まれないようにしないとなあ。「おまたせ」「じゃあ、行きましょうか」 というわけで、再び葵邸ツアーをしていると、ミドリさん発見!「ミドリさん!」 ハルちゃんが、ぱたぱたと駆け寄るので、私も続く。 彼女は、窓拭きをしていたところのようで。「ミドリさーん。お昼、一緒に食べたかったよー」「私も同じ思いですが、『それはまかりならん』と、旦那様のご命令でして」「えーっ! ナニソレ!? ちょっとお父様に抗議してくるわ!」 と、弾丸お嬢様は、吾文さんの居室に向かうのでした。 ◆ ◆ ◆「ひどいよ、お父様! ミドリさんだけ除け者なんて! やっぱり、赦していないの!?」 居室で、チワワのごとく、お父上様にキャンキャン噛みつくハルちゃん。
last updateLast Updated : 2026-07-01
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