Masukそんなこんなで火曜、水曜、木曜日と日々は過ぎていき、あっという間に朝山先輩が発表する日である金曜日になった。
放課後に研究会へとやってきた俺は、既に三人揃っていた面々への挨拶を済ませた後、いつもの定位置へと腰かける。
今日の主役とも言える朝山先輩は「配線間違えたー」とか「あれー? スライドどこに格納したっけー」等と独り言を言いながら、準備を進めている途中だった。
そこから発表までの流れは、香月先輩の時とほとんど同じだった。
朝山先輩の「準備かんりょー」という言葉を合図に、香月先輩が室内灯のスイッチをオフにする。
室内が暗くなることで、ようやくスクリーンに表示された内容が視認できるようになった。
そこには、このように書かれていた。
【幽体離脱体験についての報告】
「えっと、じゃあ始めても良いかな? 私の発表内容は……これです!」
ビシっと音が鳴りそうな勢いで、スクリーンを指差す朝山先輩。
それから数秒、沈黙の時が流れる。
いくら待てども、続きの言葉が朝山先輩から発せられることがない。どうしたのだろうと不思議に思い、彼女をよく観察する。
どうやら、朝山先輩は緊張で頭が真っ白になっているようだった。
「妃那美……別に発表だからと言って、畏まる必要はないんだ。いつも私達と会話しているような感じで、普通に話を聞かせてくれれば良いよ」
香月先輩の助け舟に同調しようと、俺と神崎が同時に頷いて見せた。
それを見て、緊張の糸が少し解けたらしい。
朝山先輩は何度か大きく深呼吸をした後、屈伸運動をその場で何度か行ってから、ようやく口を開き始めた。
「ご、ごめんねー。人前で話すのって昔から得意じゃなくて、頭真っ白になっちゃった。そうだよね、いつも通りで良いんだよね。んっと、実はわたし小さい頃から霊感っていうのがあってねー、そのせいか分からないけど、結構不思議な体験っていうのをよくする事があったんだよね。その中でも特に印象に残っているのが、この表題となっている幽体離脱と呼ばれる経験なの」
幽体離脱。
意識が幽体となって自分の体から抜け出すというものだ。
言葉では聞いたことがあるが、俺自体にその経験はなかった。「最初に経験した時はまだ小さい時でねー、なんで寝ている自分の体を上から見下ろしてるんだろー? 不思議だなーくらいの感想しかなかったの。でもね、中学三年生の時にその時の経験をふと思い出したんだよね。それで、あの時の経験ってなんだったんだろー? って思ってちゃんと調べ始めたのがキッカケかな。それが幽体離脱と呼ばれるもので、私以外にも同じような経験をしている人が結構な数いる事を知って、更に興味が沸いたの」
そこまでの言葉が終わると、朝山先輩はノートPCを操作してスライドを次のページへと移動させる。
そこには、何かの記事と思われるものが映っていた。
「これはね、私がよく見てるオカルト系の情報をまとめたサイトに掲載されていた、幽体離脱に関する体験談を記事にしたものでね。この人の体験談だと結構な長い時間、幽体離脱を体験してるの。その時間の中で、色んな場所を飛び回ったって書いてあるんだよね。この体験談を見て私、めっちゃ楽しそー、私もやってみたい! って思ったんだよね。だって考えてみて。空をぴゅーって、どこにだって自由に飛んでいけるんだよ? そんなの絶対楽しいーって、思わないかな?」
なるほど。
大多数の人間が持つ願望を叶えるための面白い試みとは、そういう事だったのか。
空を自由に飛び回る。
そこだけを抽出すると、確かにそれは楽しそうだと思える。しかし、その前提の行為である意識が肉体から離れるという事象に対しては……俺はなぜか怖いと感じてしまった。
スライドが次のページへと移動する。
そこには、体験談に対するコメントと思わしきものが記載されていた。
コメントは肯定的なもの、否定的なものと様々だった。
「幽体離脱に対しては色んな意見があるんだけどね、大きく分けると二つ。一つは肯定的な意見として、幽体離脱は実際に幽体となって意識が肉体から抜け出すっていう、現実の世界で起こっている事象とする人かなー。もう一つは否定的な意見として、幽体離脱は夢の中で起きている出来事に過ぎないっていう人。実際に幽体離脱を経験した事がある人ほど肯定的な意見が多くて、経験したことのない人ほど否定的な意見が多い……て、これは私の印象で統計とったりした訳じゃないんだけどねー。ちなみに、そもそも幽体離脱という事象を危険なものとする意見も多く見られるんだよね。それはまあ、気持ち分かるよねー」
そう、気持ちは分かる。
幽体離脱を経験したことのない俺は、特に肯定的な意見も否定的な意見も持っていない。
しかし、想像するだけで怖くなる。もし意識が離れた後、肉体に戻れなくなったら?
もしそれが夢だとして、目が覚めなくなってしまったら?それらは人間にある、根源的な恐怖のようにさえ思えた。
「私がこれからする話にも、そこはちょっと関わってくるんだけど……んっとねー、ここからは私の体験談。実は私、つい数週間前に幽体離脱に成功しましたー」
そう言って、朝山先輩は右手でピースサインを作って笑顔を見せた。
「日頃からイメトレとかしてたからかなー、急に成功したんだよね。もうテンション上がっちゃってさー、小さい頃には出来なかった分、あちこち飛び回ってやるーって……途中までは思ってたんだけどねー」
朝山先輩の声のトーンが、徐々に落ちていった。
いったい、どうしたのだろうか。
ここまでの話を聞いていると、再度体験したいと望んでいた幽体離脱に成功して、喜ぶ所だと思うのだが。
その理由も分からない内に、朝山先輩は自分の人差し指を天井へと向けた。
「私ねー、あちこちを飛び回るんじゃなくて、空を突き抜けてみたくなっちゃった。空を抜けて、その先の宇宙へと飛び出して、更にその先へ先へと飛んでいって、そうしたらいずれ宇宙の果てにだって到達できるんじゃないかって……そんな事を考えてたら、いつの間にか私は物凄い速さで上昇を続けてた」
想像してみる。
空の向こう側の景色。 それは宇宙と呼ばれる、無重力の空間だ。宇宙の構成要素は、そのほとんどが未だ分かっていないという事実を聞いたことがある。
そんな場所をひたすら果てへと向かって飛んでいったと、朝山先輩は言っているのだ。
それは一体、どんな心地なのだろうか。
経験したことのない俺には、やはり想像する事しか出来ない。
「それで、宇宙の果てには到達できたのかい?」
今までずっと黙って話を聞いていた、香月先輩からの質問だった。
朝山先輩の発言に余ほど興味を惹かれたようだと、その表情から伺うことができる。
香月先輩の質問に、朝山先輩は申し訳なさそうな顔で首を左右に振った。
「えっと……ね、結論から言うとダメでした。凄い速さで宇宙を進んでいる内にね、急に怖くなっちゃったんだ。家族とか友達とか色んな人の顔が浮かんできて、もしこのまま進み続けて戻る事が出来なくなって、大好きな人たちに会えなくなっちゃったらどうしようって。そう考えたら怖くて怖くて、気づいたら私は上昇の時以上の速さで下降してた。その間もとにかく恐怖で頭が一杯になって、気が付いたら私は汗だくの状態で、ベッドの上で目を開いてたよ」
そう言って、小さく笑う朝山先輩。その表情は、何だか少し悲しそうだった。
よく見ると、彼女の目には後悔の色が浮かんでいる。
「私ねー、後悔してる。なんであそこで引き返しちゃったんだろーって。恐怖に負けて、結局その体験から何も持ち帰る事が出来なかった。小夜子が求めている世界の真理ってやつ? その答えに辿り着くための何かが手に入るんじゃないかって、そんな期待もちょっとだけあったんだけどねー」
「妃那美……君はもしかして、私のために?」 「小夜子のためっていうか……小夜子に影響されちゃったのかな。私も知りたくなっちゃったんだよね。知らない事を、知りたくなっちゃった。小夜子がよく言ってるじゃん。人間はその欲求に抗う事が出来ないって。私が宇宙の果てを目指そうと思ったのは、きっとそれが理由なんだと思う。でもね、私は恐怖に負けちゃった。知りたいと思う欲求を、恐怖で放り投げちゃった。それがちょっと悔しい」朝山先輩の手によって、スライドが最後のページへと移動された。
そこには黒い背景に星々が浮かんでおり、宇宙空間と思われる画像が表示されていた。
「でも悔しいままじゃ終われないよ。今まで私は、幽体離脱をすることを目的として色々と調べて来たけれど、今回の経験でそれには成功した。だから次の段階へ移ろうと思います。目指すは宇宙の果て! 次こそは恐怖に打ち勝って、到達してみせるよ! 次回に乞うご期待ということで、私の発表はこれで終わりまーす!」
そして最後に、これからも宇宙の果てを目指すと宣言した彼女は清らかに笑うのだった。
万物研究会の部室へと向かう途中、廊下の端で男子生徒が三人集まり、何かを話していた。 声までは聞こえない。 そもそも、聞く気もなかった。 ただ、こちらを見ながらヒソヒソと言葉を交わしているその様子は、正直あまり気分の良いものではない。 気にせず通り過ぎれば良いだけのこと。 それでも胸の奥に、小さな不快感が芽生えてしまう。 貴方からの視線だったら、こんな風には感じないのに。 そんなことを、また考えてしまった。 何もしていないのに、人の視線を集めてしまうことは昔からよくあった。 以前の私は、それが怖かった。 他者の視線に怯え、家から出ることすら出来なくなってしまったほどに。 あの頃に比べれば、少しは強くなれたのだと思う。 こうして不躾な視線を向けてくる相手を、睨み返せる程度には。 三人の男子生徒は私と目が合うと、罰が悪そうに視線を逸らし、そのまま足早に立ち去っていった。 私がこんな風に変われたのも、きっと貴方のおかげだ。 そう考えてしまう自分に、小さく苦笑する。 もう一カ月以上、岩倉君から観測者の視線を感じ取っていない。 その事実が、胸の奥に得体の知れない空白を作っていた。 次はいつ、私を見てくれるのだろう。 そんなことを考えながら、私は校舎の外へと出た。 六月。 梅雨入りしたばかりの空は、重く垂れ込めた灰色の雲に覆われていた。 湿った空気が肌にまとわりつき、吹き抜ける風はぬるく、生温い匂いを運んでくる。 校庭を横切るたび、足元の土がじっとりと水分を含んでいるのが分かった。 地面を踏みしめる度にわずかに沈む感触が伝わり、乾ききらない土の匂いがふわりと立ち上る。 部室棟までの距離はそう長くないはずなのに、雨が降り出す前の静けさが、時間そのものを引き延ばしているように感じられた。 頭上の雲がさらに厚みを増し、今にも雨粒が落ちてきそうになる。 私
プルチックの感情の輪について知ったのは、俺が共感覚についての研究を初めてから、数か月が過ぎた頃の事だった。 俺が感じ取れる感情と色についての説明を受けた香月先輩が、思い当たる節があると調べてくれたのが、それを知れるキッカケとなった。 あの人の知識の深さには、いつも驚かされるばかりだ。 説明によると、プルチックの感情の輪というのはアメリカの心理学者であるロバート・プルチックが提唱した、感情の理論に基づく視覚的なモデルの事らしい。 八つの基本感情に基づいていて、それらの感情がそれぞれ色で示されている。 その感情モデルを図解した画像を見たとき、俺はそれを初めて見た気がしなかった。 小さい頃に、どこかで見たことがあるような。 そんな、デジャブのような感覚に陥ったのだ。 もしかしたら、その感情モデルが俺の共感覚という現象の、ルーツとなっているのかもしれない。 なぜなら、俺が共感覚で感じ取る目の色と、プルチックが提唱した感情モデルが指し示している感情の色は、その全てが一致していたからだ。 それは、もし俺が万物研究会に入っていなかったら、絶対に知りえなかった事だろう。 こんな感じで、俺の研究に対する進捗については周りの助けもあり、悪くはないと言った所だった。 俺以外のメンバーが進めている研究についても、俺が分かっている範囲で少し触れて置こうと思う。 朝山先輩は、幽体離脱に対しての理解をもっと深めていこうと思っているらしい。 この前聞いた話では、変性意識と呼ばれる状態について調べているということだった。 変性意識は通常の意識状態とは異なる、意識の変化した状態を言うらしい。 なんでも、幽体離脱中はこの変性意識の状態にあるという事が分かったので、変性意識についての知識を足がかりに、幽体離脱への理解を深めていくと話していた。 いつか、彼女が宇宙の果てへと辿り着ける日は来るのだろうか。 それは、正直分からない。 だが、彼女が幽体離脱を用いて宇宙の果てへの到達を望み続ける限り、俺はこれ
「つまり、小夜子先輩は、観測者をラプラスの悪魔みたいな万能の存在だと思ってるってこと?」「多分な。少なくとも、俺にはそう聞こえた」 中間考査を終えた週の日曜日。 俺は神崎に誘われ、以前にも立ち寄った駅前のファーストフード店へ来ていた。 本を買いに行きたいから付き合ってほしい。 理由はそれだけだった。 呼び出されたのが十一時過ぎだったこともあり、先に昼食を済ませてから本屋へ向かう流れになっている。 窓際のカウンター席。 前と同じように、神崎は両手でハンバーガーを持ちながら、小動物みたいに少しずつ食べ進めている。 その様子を眺めていた俺の視線に気づいたのか、神崎がこちらを見た。 そして、 静かに二度、瞬きをする。 観測者がいる。 最近では、その合図にも随分慣れてしまった。 その瞬間だけはいつも、神崎の瞳がほんの少しだけ遠くを見る。 俺ではない何かを。「小夜子先輩は私なんかより、全然思考が深い人だから」 神崎が紙コップを指先で回しながら言う。「だから、そう思ったってことは、きっと私達が気づけてない何かに辿り着いたんだと思う」「かもな。でも、俺にはさっぱり分からん」 俺は自分の目元を軽く指差した。「神崎の仮説だと、観測者って俺の顕在意識を通して世界を見てるだけなんだろ?」「うん」「だったら、なんで全知全能みたいな話になるんだよ。考えれば考えるほど意味分からん」 神崎は少しだけ考え込むように視線を落とした。「……小夜子先輩、他にも何か言ってなかった?」「他?」 香月先輩とのやり取りを思い返す。そういえば、妙に引っかかる言葉が他にもあった。「確か、箱の中がどうとか言ってたな」「箱?」「ああ。箱の中の猫であり続けるつもりはないとか」 神崎の表情が僅かに変わる。「…&hel
今日はバイトがあるから研究会には顔を出せない。小夜子のこと、よろしくね。 そんな言葉を最後に、朝山先輩とは別れた。 あそこまで言われてしまえば、流石に無視はできない。 放課後、俺はそのまま部室棟へ向かっていた。 途中、神崎からメッセージが届く。【今日は中間考査の勉強するから研究会へは行けない】 流石は優等生だ。俺なんて、勉強しないとなと思っているだけで一日が終わるタイプだというのに。 そんな現実逃避じみたことを考えているうちに、万物研究会の部室前へ辿り着く。 扉を開けると、室内には既に香月先輩の姿があった。 香月先輩は窓際に立ち、ぼんやり外を眺めていた。 夕暮れ前の曇り空。ガラスには室内が薄く反射している。 その姿が妙に静かで、一瞬声を掛けるのを躊躇った。 俺に気付いた香月先輩が振り返る。「やあ、岩倉君。お疲れ様」 笑っている。けれど、どこか無理に口角を上げているようにも見えた。「お疲れ様です」 香月先輩の瞳を見る。紺色。沈んだ色だった。 悲嘆。 疲労。 諦念。 そんな感情が薄く混ざっている。「珈琲を淹れよう」 そう言って立ち上がろうとした香月先輩を、俺は軽く手で制した。「今日は俺がやりますよ。先輩、座っててください」「おや、気を遣わせてしまったかな」「そういうわけじゃないです」「ふふ。では、お言葉に甘えよう」 香月先輩は再び椅子へ腰を下ろす。 俺は棚から器具を取り出し、珈琲を淹れ始めた。 豆を挽く音が、静かな部室へ広がる。その間も香月先輩は窓の外を見ていた。 いや、 正確には窓に映るこちら側を見ているようにも思えた。 朝山先輩の言っていた通りだ。どう見ても様子がおかしい。 二人分の珈琲を淹れ終え、紙コップを差し出す。 香月先輩は「ありがとう」と小さく呟いた。
全くもって非日常的な存在である観測者の存在に一歩近づけたとはいえ、日常に何かしら劇的な変化が起きるわけでもなく、日々は淡々と過ぎていった。 気がつけば、あっという間に四月も終わり、五月になっていた。 体力テストや開校記念日といった学校行事を終え、中間考査を翌週に控えた日の昼休み。 俺は購買でパンを買い、教室に戻って昼食を摂ろうと、校舎内を歩いていた。 一年の教室がある三階への階段を登ろうとしていた矢先、ばったりと朝山先輩と遭遇する。「あれー、岩倉君だー。やほー。これからお昼かな?」 声を掛けて来た朝山先輩の手には、同じ購買で買ったと思われるパン数個と飲み物があった。 俺は先輩に一度頭を下げた後、言葉を返す。「はい、これから教室に戻って、お昼にしようかと」「そっかそっかー。もし他に約束がなければ、一緒に食べない? ちょーっと、話したい事もあるし」 先輩の誘いを、無下に断ることもできない。 それに、朝山先輩が話したい事というのが何なのかも気になった。 俺は朝山先輩の誘いに頷いて答えると、その後に付いていく事にした。 辿り着いた先は、体育館と校舎を繋ぐ渡り廊下、その横に位置する屋外ベンチだった。 朝山先輩はベンチに腰かけ、その隣に腰かけるよう、ポンポンとベンチを叩いて俺に促してくる。 誘われるがまま、俺は朝山先輩の隣に腰かけた。「えっとね、実はお昼一緒に食べようって言うのは口実なんだ。私ね、ずっと前から岩倉君のこと……」「え?」「なーんて、冗談! ここを進んだ先の校舎裏ってねー、人が来ないからたまに告白する場所とかになってたりするんだよねー」 悪戯な笑みでニコニコしたまま、朝山先輩は手に持ったメロンパンの袋を開け始める。 最初こそかなりドギマギとさせられたが、朝山先輩とのこういったやり取りにも、少しずつ耐性がついてきたように思う。 俺は「そうなんですね」と返事をしながら、購入したコロッケパンの袋を開けて、それに噛り付い
観測者について話している内に、気付けば辺りは夕暮れに染まっていた。 研究会で過ごす時間は、妙に短く感じられてしまう。 香月先輩と朝山先輩は隣町から通学しているため、活動後はバス停方面へ向かう。 一方で、俺と神崎は徒歩圏内だ。 だから自然と、帰り道は二人になることが多かった。 校門を出ると、夕日が街全体を橙色へ染めていた。「皆には感謝してる。あの実験のおかげで、観測者の正体を解明するという私の目的に、かなり近づけたんじゃないかなって思うから」 確かに、観測者について判明した事実は多いだろう。 今回の実験結果は、その正体を解明するための足がかりとするには、及第点といった所ではないだろうか。 とりあえずは、一歩前進したと言える。 神崎もそう思っているから、満足そうにしているのだろう。 俺は今回の結果を受け研究会のメンバーで考察を重ねていけば、やがて観測者の正体を解明出来る日が本当にくるのではないかと、そんな気持ちにさえなっていた。 しかし、現時点においては、その存在の正体は未だ分からぬままだ。「考えれば考える程に、訳の分からない存在だよな。この観測者ってやつは」 隣を歩きながら、俺の言葉にコクリと頷く神崎。 俺の言葉には全くもって同意だと、その目が告げていた。「見ているのに、視覚から情報を得ていないっていうのが、一番意味が分からん。じゃあ、何で見ているんだよって話だろ」「岩倉君の顕在意識を読み取れるのであれば、そもそも見る必要はない。視覚から得た情報の処理については、岩倉君に任せれば良い。だというのに、観測者はこちらを見ている」「……観測者は、窓越しに香月先輩の姿を見たんだよな?」「うん。あの日は外が暗かったから、反射した姿は私達にもハッキリと視認できた」「うーん……そもそも、人間とは構造が違うって可能性はないか?」「というと?」「つまり、《《人間の目は窓に反射した姿を視認で
水曜日の放課後になった。 俺は緊張に弾む心臓の音を少しでも落ち着かせようと、一度だけ深呼吸をしてから、万物研究会への扉を開く。 部屋には既に、香月先輩の姿があった。 今日は俺が研究テーマを発表する日なのだが、彼女は機材の準備だけ既に進めてくれているようだった。「やあ、岩倉君。発表用のデータは持ってきてくれたかな?」「あ、はい。これです」 俺は学生鞄の中から、予め香月先輩から預かっていたSDカードを取り出し、それを彼女に渡す。 SDカードの中には発表用に使うスライドデータのテンプレ
日曜日の午後、俺は学校からタブレットPCを家に持ち帰り、そのキーボードを叩いては、頭を捻るという行動をひたすらに繰り返していた。 香月先輩と朝山先輩、万物研究会の既存メンバーである二人の発表が終わった。 そのため、次は新メンバーである俺と神崎が研究テーマについて発表する運びとなったのがその原因だ。 香月先輩からは、今週どこかのタイミングで、簡単に研究テーマについての発表をしてほしいと頼まれている。 しかし、その研究テーマというものが、中々決まらない。 研究対象は何でも良いとは言われているものの、そこまで自由
朝山先輩の発表が終わり、機材の片づけを皆で協力して完了させた後、俺たち万物研究会のメンバー四人は中央のテーブルに集まって一息ついていた。 発表を終えた朝山先輩は何だかんだ緊張していたようで、その糸がほぐれたかのように脱力している。 香月先輩は優雅に珈琲の入ったカップを啜っており、その視線はテーブルに突っ伏している朝山先輩へと向いている。 神崎はというと、前回と同様にスマートフォンで何かを調べているようだった。「妃那美、発表について質疑応答の時間を取りたいんだが、いけるかな?」 香月先輩の言葉に勢いよく体を起
「新メンバーの歓迎会をしよう」 研究会へ到着し、先に待っていた香月先輩から発せられたのは、そんな言葉だった。 見ると中央のテーブル上には、ペットボトル飲料やお菓子の類が並んでいた。 香月先輩が用意してくれたようだ。 お菓子類に目を輝かせた朝山先輩と神崎は、我先にと席へ着くと、好みのお菓子について談義を始めた。 香月先輩が俺を呼び出したのには、こういう理由があったらしい。 今日は研究活動ではなく、親睦を深めることが目的のようだ。 二人に続き、俺も席へと腰かける。 なん