Mag-log in異様な雰囲気が漂うテーブルに、周りの客達も息を呑んでいる。 震源地は俺と羽海なのだが、悪いのはこいつだ。「慎太郎様なら、あんたみたいに横暴じゃないわ」 とか「仕事も出来るし気遣いも出来る。あんたとは大違い」 だとか、癪に障ることしか言わない。 弱みを握られているとは言え、我慢の限界が来ていたのだ。「香織なら、お前みたいに冷たくはなかったんだろうな」 そうボソリと呟いた時、俺はハッとした。 捨てた女をまだ追いかけてるなど、情けないことは分かっていた。 しかし羽海はまるでその言葉を待っていたかのように放つ。「だったら、行ってきたら良いじゃない」 呆気に取られてしまう。(俺を愛していると言った奴の言葉か?) 背筋が凍りかけるが、「そんなにあの女が良いなら、連れ戻したら良いじゃない」 今度は諭すように言い始める。「私、仕事の出来る人にしか興味ないし、貴方みたいな無能が嫌い。最も、何よりあの女が一番嫌いなの。美しさで人を騙して、仕事も能力もないのに良い思いばっかりしてさ」 反省の色なんて欠片もない。 俺はバンと机を叩き、「もう良い! 悪いがお前とは付き合ってられない! 一条を去ってもらう!」 大声で言う俺に、「良いの? 会社だって上手く行ってないのに私を突き放したりなんかして」「構わないさ! 俺一人でも何とかできるからな!」「へぇ・・・・・・無理なサービス残業を強いた上に、日野内の社員達にはストライキまで起こされた。私ならなんとかできるのになぁ」 羽海の戯言だ、と俺は一蹴する。「それに、もう共犯関係なんだよ?」「あぁ! だがぶちまければ、お前だって無事じゃ済まない」 共犯関係とはそういうことだ。 俺が豚箱に入るなら、お前も道連れにしてやる。 しかし羽海はクスリと笑い、「良いわよ。でも」 彼女の意味深な表情は気掛かりだった。 だが、怒りが収まらない俺はそのままテーブルを後にする。 香織はどこにいる・・・・・・香織。 求めるように探しているうちに、厨房の隙間から長い髪が覗く。(あの後ろ姿・・・・・・変わってないな) 俺は止めるウェイターの身体を押しのけて、厨房へと入っていった。 厨房へ乱入してきたのはまさかの男だった。「おい! お前がこれ作ったのか」 皿を持ってきて、誇らしげにそう聞いてきた。
試食会は思ってた以上の盛り上がりを見せていた。 「お願いします」 次々とやってくる料理のオーダーは焦燥感を煽る。 けれど焦れば、火加減を間違えてしまう。 こんな狭間で戦う料理人の気持ちを思うと、毎日の食事に絶え間ない感謝が浮かんでくる。 (慎ちゃんは私になら出来るって言ってたけど・・・・・・) 量が途方もなく、とても終わりが見えない。 「交代しましょうか?」 そう願い出るシェフもいる。 でも慎ちゃんが私に任せた仕事なのだ。 「お気遣いありがとう。でも、私にやらせて欲しい」 彼とてプロ。本社の『クイーンパーチ』で腕を振るうのだから上澄みの一流だ。 私にそこまでの技量や実力はない。 頼れるのは感覚だけ。 「このマグロは、私がやります」 他の誰にも任せられない。 「何か手伝えることがあったら、言ってくださいね」 そして火入れが終わったマグロのコンフィを皿に盛り付ける。 「上がりました!」 ウェイターに渡して、また次へ―― 「香織」 私の肩をゆったりと包む手があった。 「忙しそうだね」 「思ってた以上に。ビックリよ」 厨房の端で遠くから眺める慎ちゃんに苦笑した。 「お客さんの反応、すっごく良いよ。特にこのマグロが」 「本当?」 まさかとは思った。 でも、疑うよりも証拠をと言い、慎ちゃんが各テーブルに用意していたアンケートを見せる。 ――この料理を海上で食べれることを楽しみにしています――アイザック・フネシュキー 「フネシュキーって、あのデザイナーの?」 名前を聞いて驚嘆してしまう。 フネシュキーと言えば、数多の工業品を手掛けてきたデザイナーだ。 美食家としても有名で、その彼がこのアンケートを直筆で書いて置いていった。 「今回のデザインコンペに彼は参加してないからね。まさにお忍びで来て、何も言わずに帰ったって感じ」 嬉しいを通り越して、現実味が無くなっていく。 「香織って、やっぱり凄いね」 「ううん。慎ちゃんのおかげ。ありがとう」 こんな機会を用意してくれた慎ちゃんが全ての発端で、私がこのレシピを作ったわけじゃない。 精一杯の感謝を込めて、私はゆっくりと唇を近づけていく。 「香織?」 「・・・・・・ありがとう」
グランガルフ試食会。 綱島 慎太郎がプロデュースする高級海上レストランで、その料理が採算も度外視の値段で味わえる。 噂は瞬く間に広がって、本社前に朝から並ぶ人まで現れていた。「これは、ちょっと想定外」 慎ちゃんの困り顔に私も同感だ。 多くの人々を満足させられるだろうか。 緊張で強張る表情。少し怖い顔をしているのは自覚があった。「緊張してる?」「うん。これだけ多くの人が詰めかけたから、上手くやれるか不安になってきた」「大丈夫だよ。香織のレシピで僕たちが感動したんだから」 そっと慎ちゃんの手が頭を撫でる。「きっと、みんなも喜んでくれるよ」 私はその手をそっと頬に持ってきて、「慎ちゃんは、どうしてここまでしてくれるの?」 ふと変な事を聞いてしまう。 客船から追い出された私を助け、それから綱島グループの一員としての地位をくれた。 普通なら、きっと他の人達のように見下してると思うのに、「昔、勇気をくれたから・・・・・・っていうのは、恥ずかしいのを誤魔化してたかな」 照れ笑みを浮かべて、彼は言う。「あのときから、ずっと好きだったんだ。香織のこと」「え?」「綺麗で正しくて、誰にでも立ち向かっていきそうな勇気があって。そのかっこよさに憧れてた反面、僕を気に掛けてくれたり、優しくしてくれるところが好きだったんだ」 私は、何か思い違いをしていたのかもしれない。 子供の頃は何にでも立ち向かっていけると思っていたし、日野内の社長だったときも怖いものなんてなかった。 皆が私の仕事を高く評価して、社員たちの信頼を勝ち取っていたからだ。 けれど失った後は、起こること全てに怖くなっていたのだ。 人の優しさや愛が、たまらなく怖かった。 やがて、自分自身の存在というのにも向いていた。 私なんかが・・・・・・地位もない私が、彼の隣に居て。「ごめんなさい」「謝ることはないよ。香織?」 気づけば、頬を涙が伝っていた。「私なんかで良いのかなってずっと考えてた。慎ちゃんにはもっと相応しい人がいるんじゃないかって」 押し殺していたものが全部溶け出していくように思えた。 彼の一途な瞳を見て、「ううん。僕の隣は、ずっと好きだった香織じゃなきゃダメなんだ」 そう言って私たちは抱きしめ合った。「しゃちょー。そろそろ時間・・・・・・っす」 抱え
綱島グループの本社ホール。 急遽、催されたコンペのために社員達がせっせと準備を始めている。 「社長が急に言うからー」 高梨は泣き目でぼやきながら、パイプ椅子を並べていた。 「ごめんよ高梨君。僕も手伝うから」 「私もやります」 慎ちゃんの後に続こうとするけど、 「香織は休んでてよ。出張前に色々と頑張って貰ってたからさ。後は僕たちに任せて」 そう言って私を端の席に座らせてしまう。 彼なりの気遣いなのは分かってる。 でも任せっきりなんて私にはとてもできない。 これじゃ、慎ちゃんの役に立ててるのか分からない―― 「香織は本当に意外な案を持ってきてくれる。今回のだって」 「でもうちの船っすよね? 見知らぬ人達、それも酒が入った人達に決めさせるなんて」 高梨と話す声が聞こえてくる。 彼の言うとおり、コンペの方法は無謀すぎるかもしれない。 もしかしたら、私の失敗を気にさせないという慎ちゃんの計らいかも。 そう思うと、あまりの荒唐無稽さに自分を笑いたくなってしまう。 「高梨君。実際にご利用されるのは、誰だか分かるかい?」 「そりゃ、会社の重役とか接待で使う人もいるし、観光で訪れた人、海外のセレブ達も注目していますから。だけどこの辺はビジネス街だし、感性がとても違いすぎやしませんか?」 「甘い。虫歯になりそうなくらい甘いよ高梨君」 冗談を交えつつも、遠目に見る慎ちゃんは至って真面目だった。 「君は歩く人々や車に乗っている人々を見て、誰が会社の重役か判断できるかい?」 「いいえ。俺みたいにラフな格好で社用車使わない人間もいますし、この辺りを歩いている人は、みんなビジネスマンだから区別はつかないっす。あぁそうか」 高梨は小槌を打つ。 「そう。つまりこれは顧客になると思う人々から直接聞く方法さ。とりわけ、もうお忍びで来ようとしてる人間か何人かいるみたいだけど」 「なるほど考えましたね。その発想はなかった」 お客様の気持ちはお客様から直接聞くほかない。 想像することも大事だし、それを数値や統計で見ることも必要になるけど。 (気持ちはやっぱり直接よね) そう思いながらも、私は慎ちゃんに自分もこのモヤモヤや想いを伝えきれていないことに気づかされてしまう。 愛してるという言葉に、まだキチンとした返事
「しっかりと断っておけと言っておいたはずだ!」 蛍光灯に照らされる会議室で怒号が飛んだ。「申し訳ありません」 奏は深々と頭を下げるが、「お前は主人の命令すら聞けないのか? えぇ!」「綱島グループとは以前とも取引があり、無碍にするのは」「そんなことは聞いとらん! 聞けるのか、聞けないのか。どっちなんだ?」「いいえ。聞けます。すいません」 大曲 九郎はソファにどしりと腰を掛け、タバコに火をつけた。 怒鳴る男は好かない。横暴な振る舞いをする男はもっと好かない。 本当ならば頭すら下げたくない。 だが、遜らなければ私の立場が危うい。 今やこの男は今や実質的な社長である。「おい。こっちに来い」 だから、来いと言われれば傍に行くし、ここから消えろと言われれば消える。 不当解雇が出来ない分、職は無くならないが、「もっとだ。ほれ」 肩を抱き寄せ、胸に手が伸びる。 こんな屈辱に耐えなければならないのならば、死んだ方がマシにすら思える。 セクハラを告発したところで、この男に逆らったことが知れればどの道、路頭に迷うことになるのだから。 奏はそう思いながらも、感情を押し殺して耐える。「しかし、あの男も大概バカだ」 煙を吹かしながら、大曲 九郎は嫌みったらしく言う。「うちの娘と結婚していれば、今頃はもっと会社を大きく出来たというのに。そうは思わないか? 柊」 奏は戸惑いながらも、「そう思います。本当に、愚かだと思います」 正反対の思いを抱きながら、私は頷く。 端から見ても、あの二人は恋人だとハッキリ分かった。「あんな金にならない小娘なんかと付き合いおって。本当に腹が立つ。不祥事で一条に乗っ取られた無能と」 それを聞いた奏は呆然としてしまった。 ふと、買収の話が出た時を思い出した。 なんでもない、平日の昼下がり。 社長の口から出た事を。(弱みを握られたって社長は言ってたけど)「こんな時間に掛けてくるなと言っただろう!」 スマホが鳴ると、大曲 九郎は邪魔するなと言わんばかりに電話口で怒鳴る。 しかし向こうの言葉を聞くや口角が上がっていくのが分かった。「ほう。コンペか。なるほど」 私たちの提案は不発に終わってしまった。 一週間ほど、JMNの柊さんには交渉を取り付けようとしたが、「もう、終わった話ですので」 その言
「これはこれは、『大曲 九郎』様ではありませんか。あなたもこちらへ?」「少し野暮用でね。そこを通ったら、なにやら気になるお話をされていたものでつい」 入ってきたのは、見せつけるようなビール腹の中年。 大曲造船の現会長。小町の父親である。「あぁそちらが例の」「秘書の日野内です」 一礼して顔を上げると、軽蔑の目線が飛んでいる。「小町から色々聞いているよ。なんでも、没落した社長令嬢が慎太郎君を誑かしてるとね」 そして厭らしく身体を一周すると、「ようやく納得が行ったよ。まぁ慎太郎君の慧眼を狂わすのも無理はない。しかしねぇ慎太郎君、付き合う相手は選んだ方が良い」 私が苦笑すると、「何がおかしい?」「確かに、香織の美しさと優しさは僕の慧眼を狂わすね」 慎ちゃんもどこか笑っていたが、「しかし、貴方の娘さんほど幼くない」「なんだと?!」「ここへ来る直前、アポも無しで娘さんが来ましたよ。追い返しましたけどね。それに」 慎ちゃんは肩に私を寄せて、「香織は僕の幼馴染みだ。婚約も交わしたね」 驚きつつも、私は慎ちゃんをマジマジと見る。「仕事の話を続けたいので・・・・・・細道」「かしこまりました。大曲様、本日はお引き取り願いたい」 『大曲 九郎』の顔は沸騰したように真っ赤だった。(わかりやすい人ね) しかし深呼吸を一つして、奏の横へどっしりと座り始めた。「あぁ・・・・・・だが、私も混ざらなければならないな。なんせ、ここの役員になったんだからな」「役員に?」 私が奴の顔を見ると、得意げに奏の髪を撫でて、「いやぁ屈指の大企業『JMN』の株を買い占めるのは大変だった」 と掻いてもない額の汗を拭き始めた。 大曲造船がここを買収する話など聞いたことがないし、情報も入ってきていない。「この計画も、勿論のことながら役員会議で承認されなければ進められない。だよな柊」 奏がコクリと頷く。 その表情は窓の方を向いていて見えないが、「せっかくのお話でしたが、実現は厳しいと思われます」 消え入るような声音で話す。 慎ちゃんに耳打ちしようとするけど、彼の顔は至って平静であった。「そうですか。では持ち帰って検討していただければ、と思います」「いやぁ悪かったねぇ。都会からこんなど田舎まで来て貰って」「いえいえ。では」 そのまま、私たちはJM
船が港に着く。 そこはサマリア沖にある小さなリゾート島だった。 その名は、「ようこそ『エルアリナイト』へ」 慎ちゃんが両手を広げて歓迎してくれる。 背景にはリゾートホテルやコテージが建ち並ぶ。 そして誰もが、足を止めて彼を見つめていた。「慎ちゃんの島って、ここが?」「そうだよ。驚いた?」 驚くなんて言ったものじゃない。 この島は国内外のあらゆる富豪やセレブが一度は訪れたいと口にする高級リゾートだ。「でも海賊が出るんじゃないの? この辺りって」「その辺は心配ご無用。我が社の警備がついてますから」 見渡すと、来島する人達の船とは別に乗ってきた船のような無骨な船が数隻留
大きな船の中に船で入って、「香織っ!」 パイプだらけの物々しい廊下を掛けてきたのは、一人の美青年。 どこか可愛げがあるけど、顔はまるで覚えていない。 でもこの声の感じ。昔どこかで聞いたことあるような。「オサ! 連れてきた」 私を連れてきた男が言うと、「ご苦労だったね。仕事詰めで疲れてるだろう。少し長めに休んでいいぞ」 優しく男達に促した。 目の前で起こり続けた事がまだ信じられない私は呆気に取られている。「どこか具合悪いかい?」「う、ううん。でもごめんなさい」 そして俯きがちになった私。 彼の心配そうな顔が下からから覗いてくる。「なんで謝るの? 何か悪いことしたか
冷たい海水から這い上がったとき、デッキからこちらを見下す二人と目が遭う。「ほらあそこ見ろよ。お前のために用意したボートだぞ」 ボートを見つけた私は必死に泳ぐ。 たどり着いて乗ろうとするも、手が滑ってなかなか上がれない。「がんばれがんばれ。早くしないとサメに食われちゃうぞ」「泳がないと餌になっちゃうよぉ香織ちゃん。サメさんも不味くて捨てちゃうかキャハハ」 ようやくたどり着いて這い上がる。 するとデッキでは二人は熱いキスを交わし、「ねぇ私が言った通りでしょう?」「あぁ。これで日野内グループは俺の物だ」「私たち、のでしょ」 手を振ったり、指を差したり――私の命を弄んで笑う。
終わりという言葉がシャンデリアに照らされ、海原のクルーズ船はざわめきという荒波に揺られる。「私とは終わりって、どうしてなの純?!」「はぁ・・・・・・お前も察しが悪いな。お前よりイイ女が見つかったからに決まってるだろ」 『一条 純』がため息交じりに言う。 なぜなの。真っ先に脳裏を過ったのはそんな問い。「お前の親父の権力には世話になったよ。だが、それも今日までだ。散々、家族をコキ使って金稼ぎしやがって」 今日まで? 初めて見る彼の一面に驚きながらも、その含みのある言葉に引っ掛かる。「あらぁ? この子、何のことか分からないみたいよぉ純」「やっぱお前を捨てて正解だったわ。なぁ|羽







