All Chapters of 流産の日、夫は愛人の元へ: Chapter 601 - Chapter 608

608 Chapters

第601話

視線が交錯する。一方は冷え切り、もう一方は挑発的だった。利津は司野が探しに来たことなど全く意に介していないようだった。来たら来たでどうだというのか。自分はもう十分に腹の虫を治めたのだから。突然、利津は目の前が霞んだかと思うと、車椅子ごと激しく蹴り飛ばされた。「利津――」英治は血相を変えた。彼が駆け寄るより早く、利津の体にさらにもう一撃が叩き込まれ、体ごと一メートルも吹き飛ばされた。「ゲホッ、ゴホッ……」利津は肺が吐き出されるかと思うほどの衝撃を受け、激しくむせた。「司野!お前、狂ったのか!」英治は前に出て司野の前に立ちはだかったが、その代償として顔面に拳を食らい、鼻から血を流した。司野は殺気を纏いながら、二人を冷酷な目で見下ろした。彼はこれ以上二人と揉め続けることなく、ここの責任者に素羽のところへ案内するよう命じた。それを見た利津は叫んだ。「そいつを止めろ」その言葉が落ちるや否や、利津が連れてきたボディーガードたちが立ち塞がったが、司野が手を下すまでもなく、彼が連れてきた部下たちがすかさず応戦し、道を切り開いた。ナイトクラブの責任者は、ここに至ってようやく事の重大さを悟った。どうやら自分は、手を出してはならない人物に手を出してしまったらしい。利津が連れてきた女が司野と関係があるなど思いもしなかった。これでは自分を罠にはめたも同然ではないか!中に黄瀬利行(きせ としゆき)を送り込んだことを思い出し、責任者は冷や汗を滝のように流しながら、思わず足を速めた。ドアの前に立っていた見張りが、責任者の姿を見て自ら声をかけた。「中の様子はどうだ?」見張りはありのままを報告した。「あの女、かなり酷くやられてますぜ」その言葉を聞いて、責任者の心臓はドクンと嫌な音を立てた。終わった!彼がどう言い逃れようかと思案する間もなく、司野は突風のような勢いでドアを蹴り開けた。部屋の中は、見るも無惨な惨状だった。床には生死不明の利行が倒れており、その少し離れた場所には、全身血まみれで、服は引き裂かれ、顔を真っ赤にした素羽が座り込んでいた。彼女の手には、血に染まった灰皿がしっかりと握りしめられていた。外にいた者たちが中を覗き込み、その光景を目にして全員が息を呑んだ。利行の顔はすでに血の
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第602話

素羽のその無残な姿は通行人の目を引いたが、誰一人として近づこうとはせず、むしろ皆一様に彼女を避けて通った。彼女の後ろを歩く司野の顔つきが、あまりにも恐ろしかったからだ。結局、素羽は自らの強い意志だけを頼りに、そのおぞましい場所から歩み去った。ナイトクラブの外に立ち、夜空に浮かぶ月と、車が行き交う賑やかな街並みを見上げて、彼女は自分がようやく外に出られたのだと確信した。視界の景色が二重にぼやけ始めると、素羽は急に体の力が抜け、そのまま前へと崩れ落ちた。冷たい地面に打ち付けられる寸前、力強い腕が彼女の細い腰をしっかりと抱き留めた。司野は素羽の抵抗などお構いなしに、彼女の体を軽々と抱き上げた。これ以上、素羽の無茶を許すわけにはいかなかった。「岩治、車を出せ」司野の声には焦りが滲み、彼自身さえ気づいていないような動揺が隠しきれずにいた。車は夜の交通網へと合流し、病院へ向かって猛スピードで走り出した。車に乗ってからも、司野は素羽を腕の中から降ろそうとはせず、まるで壊れ物を扱うかのように慎重に彼女を抱きかかえていた。「すぐ病院に着くからな」重く、そして途切れ途切れの嬌声が素羽の唇からこぼれ落ちる。司野の体が強張り、熱を帯びて潤んだ彼女の瞳を見た瞬間、奥歯をギリッと噛み締めて鋭く問い詰めた。「あいつら、お前に薬を飲ませたのか」薬効が素羽の意識を容赦なく飲み込み、本能的な欲望のままに動くよう彼女を駆り立てていた。「苦しい……熱い……」甘く切ないあえぎ声が素羽の口から絶え間なく漏れ、聞く者の骨までとろけさせるような色気を帯びていた。司野の瞳が黒く沈み、彼女を抱きしめる腕の力がふいに強まった。運転席の岩治はビクッと体を震わせると、背筋をピンと伸ばした。耳を澄ませることも、視線を向けることもせず、見てはいけないものを見て、聞いてはいけないことを聞いてしまうのをひたすら恐れていた。司野は悶え苦しむ素羽の体を抱きしめ、喉の奥を詰まらせながら尋ねた。「あとどれくらいだ」岩治が答える。「あと二、三キロほどです」しかし運悪く、病院まであと少しというところで、前方に突然の交通事故が発生し、車は完全に立ち往生してしまった。素羽の体内で薬がさらに強く作用し始め、彼女の瞳は熱で赤く染まっていた。その儚くも艶やか
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第603話

素羽は彼の手を振り払うことはせず、ただ反対の手を太ももの傷口に強く押し当てた。「お前……」司野の顔色も、素羽に負けず劣らず青ざめていた。彼女はもう、ここまで自分を信じていないというのか?司野は、胸にぽっかりと穴が空き、そこから冷たい風が吹き込んできたかのような寒気を感じた。だが彼にはどうすることもできず、素羽にどう接すればいいのか分からなかった。事故のせいで車は一歩も前に進めない。そして何より、彼自身の目の前で、素羽が自らを傷つけることで正気を保とうとする姿を、これ以上耐えて見ていることなどできなかった。司野は車を降りると、素羽を抱きかかえたまま、徒歩で病院へと向かった。素羽の耳には、自身の荒い息遣いと、司野の深く重い呼吸の音が入り混じって聞こえていた。夜風が顔を叩く中、彼女の角度からはちょうど彼の整った横顔が見え、その顔に焦燥の色が浮かんでいるのを、彼女は初めて目にした。この男が、私を心配している?素羽にとって、それはまるで作り話のように現実味のないことに思えた。病院。素羽は救急救命室へと運ばれ、医師はまず彼女の体内に残る媚薬の解毒処置を行った。体内の薬が完全に抜けきると、素羽は極度の虚脱状態に陥り、顔面は蒼白になり、力なくぐったりとしていた。蛍光灯の白い光の下で、素羽の体にある傷跡はより一層はっきりと浮かび上がった。無惨で痛々しく、まともな肌など一寸たりとも残っていなかった。こうした事態を見慣れているはずの医師でさえ、彼女のあまりの惨状に眉をひそめ、思わず何度も視線を向けてしまうほどだった。今の素羽は、まるで生気のない陶器の人形のように、粉々に砕け散り、あまりにも悲惨だった。医師が彼女の下半身の診察に移ろうとした時、生気を失っていた素羽のまつ毛が微かに震え、ようやく反応を示した。素羽は両脚を閉じ、鋭い声を出した。「何をするつもり?」医師は慎重に彼女をなだめようとした。「怖がらないでください。優しくしますから」素羽は冷ややかに言い放った。「検査は必要ないわ」「それは……」医師がさらに彼女の感情を落ち着かせようとしたが、素羽は手を振り上げ、医療器具を床に叩き落とした。「出て行って!」彼女の情緒が極めて不安定な様子を見て、医師はそれ以上の検査を続けることを諦
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第604話

彼の気遣いなど、所詮は自分が所有の印を付けた「物」が、以前と変わらない状態で残っているかを確かめたいだけに過ぎない。その瞬間、素羽は激しい吐き気に襲われた。ベッドにうつ伏せになると、自分の意思とは関係なく激しくえずき始める。だが、胃の中にはもう吐き出せるものなど何一つ残っていなかった。その様子を見た司野は胸を締めつけられるような焦りに駆られ、慌てて医師を呼んで診察させた。医師は静かに告げた。「正常な反応です。薬の影響で胃がかなり荒れているんです」立て続けに起きた出来事によって、素羽は心身の力をすべて使い果たし、そのまま糸が切れた人形のように深い昏睡状態へと陥った。岩治はベッド脇で付き添う司野の姿を見つめ、胸の内でそっとため息をついた。どうして二人の関係は、ここまでこじれてしまったのだろう。彼はもともと、社長夫人である素羽を心から慕っていた。優しく気取らない人柄で、誰に対してもいつも笑顔を絶やさない女性だった。だが今の素羽は、全身に鋭い棘をまとい、他人を傷つけるだけでなく、自分自身まで傷つけてしまっている。岩治は何度も、彼女から漂う「刺し違えてでも」という壮絶な覚悟を目の当たりにしてきた。そのたびに胸が締めつけられる思いだった。司野は岩治が何か言いたげにしていることに気づくと、素羽の布団を静かに掛け直し、立ち上がって彼とともに病室を出た。岩治は報告を始める。「あの男は黄瀬利行といいます。叔母は政界の実力者で、黄瀬家唯一の跡取りでもあるため、彼を異常なほど溺愛しているようです」利行の評判は最悪だった。女、ギャンブル、違法薬物――手を染めていないものがないと言っていいほどの人間だった。日頃から薬物を乱用し、女を痛めつけることを常としており、これまでにも死人が出たことは一度や二度ではない。それでも彼には絶大な権力を持つ叔母がいた。事件が表沙汰になる前に、叔母が権力と人脈を使ってすべて揉み消してきたのである。今回も例外ではなかった。利行は素羽の部屋へ入る前、自ら大量の薬物を摂取していた。岩治はさらに続けた。「黄瀬の容体ですが、現在も極めて危険な状態です。緊急手術はいまだ終わっていません」致命傷となったのは頭部への一撃だった。岩治の目から見ても、助かるかどうかは五分五
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第605話

司野が素羽を別の場所へ移している頃、黄瀬家にも利行が救命救急センターへ運び込まれたという知らせが届いていた。その「朗報」をわざわざ黄瀬家へ伝えた張本人こそ、利津だった。知らせを聞いた利行の母親は、その場で膝から崩れ落ちそうになった。父親も同じように動揺したが、病院へ向かう前に慌てて妹の黄瀬志乃(きせ しの)へ連絡を入れた。知らせを受けた志乃も、兄夫婦とまったく同じ反応を示した。生涯子どもに恵まれなかった志乃は、利行を実の息子同然に可愛がってきた。その利行がこんな目に遭ったと知り、文字どおり目の前が真っ暗になった。「どういうことなの!?誰がうちの子をこんな目に遭わせたの!」利行の父親は、志乃より三十分ほど早く病院へ着いたばかりで、まだ頭の中は真っ白だった。状況も何ひとつ把握できておらず、妹の問いに答えられるはずもなかった。黄瀬家の面々が、利行が病院へ運び込まれたという衝撃から立ち直れずにいる中、さらに青天の霹靂ともいえる知らせが飛び込み、彼らの顔から血の気が一気に引いた。利行の蘇生は叶わなかった。そのまま息を引き取ったのだ。「ああぁぁ……利行……」利行の母親は悲痛な叫び声を上げた次の瞬間、白目を剥いてその場に倒れ込み、意識を失った。---北町・景苑別荘。司野が素羽を寝かせた直後、岩治から連絡が入った。「社長、黄瀬利行が亡くなりました」司野は数秒黙り込んだが、その表情に大きな動揺はなかった。「景苑別荘の警備を増員しろ」淡々とそう命じる。「承知いたしました」電話を切ったあと、司野はしばらく窓辺に立ち尽くしていた。やがて静かに踵を返し、主寝室へ戻る。ベッドに腰を下ろすと、昏睡状態の素羽をじっと見つめ、赤く腫れた頬へそっと手を伸ばした。かつて花のように艶やかだった面影は、今では見る影もなかった。司野は身をかがめ、彼女の額へ静かに口づけを落とすと、低く囁いた。「今度こそ、お前は俺が守る。二度とあいつらに指一本触れさせない」素羽がようやく目を覚ましたのは、丸一日と一晩が過ぎたあとだった。意識を取り戻した彼女は、自分が再び司野のもとへ連れ戻されていることに気づき、眉を深くひそめた。「ああ、ようやくお目覚めになったのですね。本当に心配いたしました」不意に、部屋の中へ森山
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第606話

素羽は脚を負傷しており、自力でベッドから降りることすらままならなかった。そのため司野は、ベッドの上に食事用の小さなテーブルを据え付け、あろうことか自ら彼女に食事を食べさせようとしていた。スプーンを素羽の口元へ差し出し、司野は静かに言った。「口を開けろ」素羽は顔を背け、その手を拒んだ。司野は穏やかな口調で諭す。「手も怪我をしているだろう」素羽の両手は包帯に覆われ、あの時ガラス片で傷つけた手のひらには、まだ痛々しい傷跡が残っていた。それでも素羽は頑として口を開こうとしない。頑固で意地を張る彼女を前に、司野も諦めるしかなかった。結局、素羽は自分でスプーンを手に取り、一口ずつゆっくりと噛みしめながら食事を口へ運んでいく。司野は、自分が箸をつけた料理を素羽が口にしないのではないかと気にして、取り分けることさえしなかった。ただ黙って彼女を見つめ、その姿を目に焼き付けるように視線を注ぎ続けていた。二人の間に会話はない。静まり返った寝室には、素羽が食べ物を噛むかすかな音だけが響いていた。やがて食べ終えた素羽が箸を置くと、司野がようやく口を開いた。「お前を傷つけた男は死んだ」その言葉に、素羽の身体がぴくりと強張る。司野は淡々と続けた。「男の名は黄瀬利行。叔母は県議会議長の妻だ。子どもがいないこともあって、あいつを実の息子のように可愛がっていた」その話を聞き、強張っていた素羽の肩からわずかに力が抜けた。彼女は顔を上げ、この日初めて司野と真正面から視線を合わせる。司野は彼女が返事をするかどうかなど気にも留めず、そのまま話を続けた。「あいつの死は、あの家にとって計り知れない打撃だ。黄瀬家の一人息子だったからな」利行が死んだことで、黄瀬家は実質的に跡継ぎを失った。今はまだ息子を失った悲しみに暮れているだろう。だが、その悲しみが落ち着けば、次に向けられる矛先は『殺人犯』への復讐になるはずだった。話を聞き終えても、素羽の表情には何の感情も浮かばなかった。「そんなに長々と話して、一体何が言いたいの?」司野は短く答えた。「ここが今のお前にとって、一番安全な場所だ」それを聞いた素羽は、皮肉げに口元を歪めた。軟禁していることを、よくもそこまでもっともらしい言葉で飾れるものだ。素
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第607話

素羽が戻ってきたことを、千尋は素直に喜べなかった。失望し、そして落胆もしていた。けれど、全身傷だらけの素羽を前にすると、何を口にすればいいのか分からず、その小さな本音を胸の奥へ押し込めるしかなかった。彼女はおそるおそる尋ねた。「その傷……どうしたの?」千尋は、たとえ素羽が逃げ出したとしても、司野が彼女に手を上げることはないと思っていた。だからこそ、きっと何か別の事情があるはずだと考えていた。「どうしたのか、ですって?」素羽の瞳に冷たい光が宿る。「あなたの親友、利津に感謝しなくちゃね」突き詰めれば、その元凶には目の前の千尋も関わっている。もし利津が彼女を探そうとしなければ、美宜に唆されて自分を拉致することもなかった。そうなれば、その後に続いた悲劇も起きなかったはずだ。「利津が……?」千尋は目を見開き、困惑したように眉をひそめた。「どうして彼が、あなたにそんなことをするの?」千尋の知る利津は、素羽が口にするような冷酷な人間ではない。少し悪戯好きではあっても、そこまで残酷な男ではなかったはずだ。素羽は問いには答えず、静かに言った。「千尋さんって、本当に罪深い人ね。あなたがこの世から姿を消して何年も経つのに、二人の男はいまだにあなたに囚われ続けているんだから」その言葉に、千尋はますます戸惑いを深めた。「あなたの妹、美宜が私と司野の結婚に割り込んできて、夫婦関係を壊したこと。それだけなら、まだ耐えられたわ。男なんて心変わりする時は、生ゴミみたいなものだから。腐って臭くなったものは捨てればいい。それだけの話よ」素羽の瞳が、ゆっくりと冷え切っていく。「でも、あなたの妹は絶対に許されないことをした。私のおばあちゃんを拉致して死に追いやり、そのせいで私はお腹の子まで失った」一歩、また一歩と千尋へ近づき、囁くような声で言葉を刻む。「ねえ……あなたの妹は、万死に値すると思わない?」さらに静かに続けた。「司野は、あなたが生きていると知っていた。それなのにあなたのために美宜と取引をして、殺人犯のあの女を保釈させた。あの人たちも死ぬべきだと思わない?」素羽は薄く笑った。「まあ、いいわ。自分の手で始末すれば済むことだから」次の瞬間――バーン!突然大きな声を上げた
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第608話

素羽の唇に、かすかな笑みが浮かんだ。「私と同じようにしてあげるのよ」この世界そのものが狂っているのだから、自分だけがまともでいる必要などどこにもない。みんな揃って、こちら側へ堕ちてくればいい。司野は素羽の瞳の奥に広がる底知れない冷たさを目にし、胸を締めつけられるような恐怖を覚えた。彼はすぐに医療スタッフを呼び寄せ、千尋を先に連れて行くよう命じた。心の奥底にある恐怖を刺激された千尋は、頑として司野から離れようとしなかった。「嫌!行かない!あなたと離れたくない!あの悪魔が、あなたを私から奪おうとしてるの……!」千尋が必死にしがみついたせいで、司野の服は見るも無惨に乱れていく。彼がその執拗な抵抗に手を焼いている間に、素羽はすでに背を向け、その場を後にしていた。長いドレスをまとった細い身体は、風が吹くたびに裾がむなしく揺れ、今にもそのまま空へさらわれてしまいそうなほど、痛々しく儚げだった。千尋の耳をつんざくような悲鳴は、なおも辺りに響き渡る。司野は思わず不快そうに眉をひそめた。森山が慌てて支えに駆け寄ってくるのを見て、司野は千尋の腕を強引に引き剥がした。数人がかりで取り押さえられた末、千尋は抱え上げられるようにして連れ戻され、医師たちはすぐに付き添って精神的なケアを始めた。医師は険しい表情で司野に告げた。「これ以上の刺激は絶対に避けてください。今の彼女は、ほんの些細な動揺でも致命的になりかねません」司野は固く唇を結んだ。数秒の沈黙の後、短く命じる。「荷物をまとめろ。お前たちを別の場所へ移す」千尋をこのまま素羽と同じ場所に置いておくわけにはいかないことは、誰の目にも明らかだった。医師も異論はなく、深く頷くと、すぐに撤収の準備へ取りかかった。医師が部屋を出て行くと、入れ替わるように千尋が部屋から姿を現した。「あなたも、一緒に来てくれるの?」その声に司野は振り返った。彼の視線は、彼女の裸足に留まり、すぐ静かに逸らされる。「靴を履きなさい」千尋は動こうとせず、ただじっと彼を見つめたまま、同じ言葉を繰り返した。「……あなたも、一緒に行ってくれる?」司野は部屋から靴を持ってくると、彼女の足元に置き、丁寧に履かせながら言った。「時間ができたら、必ず会いに行く」千尋は不満そうに足を引
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