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All Chapters of 空に墜ちる -if-: Chapter 51 - Chapter 60

66 Chapters

4:見えない溝

 午前の打ち合わせを終えて廊下を曲がった瞬間、真壁の視線を釘付けにするものが視界に飛び込んできた。 見慣れたフライトスーツではなく、公務の制服姿だが……、見まごうはずもない。 あれは、若桐の後ろ姿だ。 胸が高鳴り、歩く速度が自然と早くなる。 静浜で教官をしている若桐が、浜松基地に来るのは珍しい。(しばらく連絡が無かったのは、またなにかサプライズを企んでいたんですか?) 理由がなんであれ、なにより元気な顔が見られた嬉しさが先に立つ。「若桐教官!」 だが、こちらに振り返った若桐は……。 真壁が期待するような、いつもの笑みを浮かべてはくれなかった。「お疲れさまです、一佐」 すっと上げられた右手は、教科書通りの敬礼。 声音は堅く、事務的な挨拶のみ。「まもるさ……」 飛び出しそうになった言葉を飲み込む間に、視線は外された。 若桐と共に来たらしい、静浜で見慣れた教官たちが、がやがやと廊下を歩いていく。 集団と一緒に歩く若桐は、視線を無理やり固定しているかのように、視界に真壁を写さず……。 いくつもの足音が脇を抜けていく中で、自分の横を若桐が通り過ぎる。「わ……若桐教官!」 咄嗟に、真壁は若桐の二の腕を掴んでいた。(なんで、連絡をくれないんですかっ!?) どうしても問いただしたいその質問は、向けられた硬質な視線に押されて、声にならなかった。 若桐の視線が、ゆっくり落ちて、掴んでいる二の腕を見る。「すみません、一佐。ご要件は、改めて」 ギシッと、歯車が狂うような音が、頭の中に響いたような……。 若桐の言葉の意味が、理解できない。 だが、そっと当てられた手が、掴んだ真壁の手を除ける。 公共の場では、これは逸脱した行為だ。
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4-2

 午後の会議で、真壁は資料の数値を読み違えた。 執務室に戻ったあとも、パソコンの画面を見つめたまま、ぼんやりしている。 数字も、伝聞も、一切が頭に入ってこない。「一佐、どうかなさいましたか?」 西條の声に、我に返る。「なんでもない」 その場は取り繕った。 だが、いつもなら西條が追いつけないほど速やかに回される決済が滞り。 一部の下士官から、残業を一切許さないのに仕事量が尋常じゃないと噂される部署で、全く仕事が回ってこない事態が発生した。「あの、一佐……」「え……?」「どこか、お加減が悪いのではないですか?」 こちらを見る西條の心配げな顔に、真壁はふるふると首を振る。「まだ、終わってない」「ですが……、体調が優れないなら無理をせずに休んで、翌日取り戻せば良いと仰ってるのは、一佐ですよ?」 西條の指摘に、真壁はハッとした。(そうだ……。こんなに何も手につかないんじゃ、皆に迷惑を掛けるだけだ……) 真壁は、こくんと頷いた。「済まない。きみの言う通りだ」「こちらで回せるものは、やっておきます。このあとのスケジュールに、動かせないものはありません。お大事にしてください」「ありがとう」 身支度を整え、真壁は席を立つ。 しかし、西條への感謝の念は長く持たず。 心の中を占めるのは、あの廊下で若桐と交わした数秒のやりとりだ。(なぜですか、守さん。僕が、なにかをしましたか? ……辞めるという噂は、本当なんですか?) 疑問と不安が胸に満ちる。 だが、若桐からそれらを肯定する返事をされるのが怖くて、メッセージすら送れなかった。
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4-3

 廊下の向こうに、若桐の姿が見える。『若桐さんっ!』 真壁は、呼びかけようとしたが、喉に声が引っかかって出てこない。 床に足が張り付いていて、走りだそうにも足が動かない。『若桐さんっ!』 声にならない叫びに、若桐がこちらを向いた。 歩み寄る気配に、微かな安堵を覚えるが……。 傍に立った若桐は、冷たい眼差しのままだ。「すみません、一佐。ご要件は、改めて」 笑みもなく、淡々と告げると背を向ける。 必死になって、動かぬ足を前に出し、真壁は叫んだ。『守さんっ!』 次の瞬間、真壁は空に放り出されている。 射出されたシートと、パラシュート。 空の彼方に消えてゆく、黒煙を上げる機体。『待って! 守さん! 行っちゃやだ!』 声は出ない。 手を伸ばし、必死になって真壁は叫んだ。「行かないでっ! 守さんっ!」 自分の叫びで、飛び起きた。 部屋は暗闇に包まれていて、音もない。(隣の響野は……) 考えて、そんなものはとうの昔にいないのだと思い出す。 全身に冷たい汗をびっしょりとかいていて、顔に手を当てると泣いていた。(守さん……) 思わずスマホを手に取ったが、番号を選ぶ直前で手が止まる。 部屋の暗さよりも、重く冷たい闇が、真壁の心にのしかかってきたような気がした。
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5:噂の真実

 翌日、仕事に戻った真壁は、平静を保って業務をこなした。 否── ある意味、仕事の効率は更に速度が上がったかもしれない。 とにかく、なにも考えたくない。 仕事に集中することで、思考に余剰を与えたくなかった。 そうして、数日が過ぎた。「真壁、いるか〜?」 再び、響野が顔を出す。 相変わらずノックもなく、扉はいきなり開いたが、笑顔にいつもの勢いはない。 空気を察したのか、もしくは真壁の〝異常〟を感じ取っていて、その空気を打ち破る術を求めたのか、西條は遮りもしなかった。「ひっどい顔だな、おまえ」「僕の顔は、ずっとこうだ」「俺の知ってる真壁は、もっと健康的な顔色のイケメンだったんだが」「なんの用だ?」 画面に視線を戻す真壁に、響野は肩をすくめる。「先日の、続報だ」 そもそも、自分の出世にさほどの興味も無い真壁だが。 今や、そんなことはどうでも良かった。「いらん」「息抜きも必要だぞ?」「いらんと言っている」「……おまえがそんなじゃ、職場の空気が悪いぞ」「どこか、問題があるか?」「そうだな……。西條の顔色が悪いのは、俺が来た所為だけじゃなさそうだ」 そのことに関しては、真壁も自覚があった。 先日の飲みの席で、真壁は『若桐が隊を辞めるかもしれない』話も、響野にしてある。 そちらで、なにか情報が掴めているかもしれない。 真壁は少し考え直して、頷いた。「わかった」 真壁は手元の書類を簡単にまとめると、すぐに上着を手に取った。
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5-2

 場所は、先日と同じ店の個室だ。 響野は前回同様、仲居の出入りが終わるまでは、肝心の話には触れなかった。「親父さんが、人事のツテを辿って、話を聞いてきてくれたんだがな」「篠原医官に、そんなことを頼むな……」「頼んじゃない。好意だ」「定年前に、篠原医官がクビになったら、シャレにならないぞ」「はあ〜、おまえが筋肉以外のことも、考えられるようになるとはなぁ」「そりゃ、こっちのセリフだ」 真壁の返しに、響野は頬を緩める。「お〜、真壁節が戻ったな」「……あ……。……すまん」 響野に気を使われたことに気付き、真壁は謝罪する。「構わんさ。それより、本題だ。密告は、実際にあった」「どんな?」「おまえが、訓練生時代に、教官とデキてたって内容だ」 真壁は、カッと顔が熱くなるのを感じた。 その様子に、響野はぶはっと笑う。「安心しろ! 若桐さんは関係ない。……てか、俺はおまえと若桐さんの関係は、カミングアウトしてもオッケーだと思うがな」「莫迦! そんな、守さんに迷惑を掛けるようなこと、出来るか!」 未だに真っ赤な顔をしている真壁を、響野はニヤニヤと笑って眺めている。「ともかく。そもそもおまえと若桐さんは、訓練生時代から付き合ってるわけじゃなし。てか、あの頃はトリムネとサバ缶のことしか、頭になかったって、俺が一番知ってるわな」 若桐との付き合いを響野が知ったのは、真壁がクリスマスに〝成人男性に贈るプレゼント〟の相談をしたのがきっかけだ。「おまえは、誤魔化し下手だからなぁ。訓練生時代から付き合ってたら、俺が知らんわけがない」「そんな話はいい! 密告したのは誰だ?」「親父さんの先輩で、今は嘱託で人事の資料管理を任されている人からの情報だからな。そこまではわからん。だが、これをもらってきた」 そういって、響野は鞄
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6:掴む

 真壁は、静浜の官舎の傍に車を止めた。 若桐は単身者だが、士官なので単身用の官舎に暮らしている。 営舎と違い基地内ではないために、守衛もいない。 だが、少しでも人目を避けるためと、一番の近道を選んで、真壁は非常階段を駆け上る。(守さん!) 響野と別れたあと、高速道路をひた走り、ここまで来た。 若桐の官舎を訪れたのは、最初の時以来。 逢瀬はいつも、基地から離れた人目に付きにくい場所を選んできた。 それが、最初に決めたルールだから。 真壁は非常口を開き、建物内に入ると、若桐の部屋の前に立つ。 深呼吸をしてから、扉をノックした。「誰だか知らんが、あいてるぞ」 中から聞こえた、若桐の声。 ドクンと心臓が跳ね、ノブを握る手が震える。 開いた扉の向こう、1LDKのリビングを兼ねたダイニングルームに、無造作に置かれたテーブル。 若桐はそこで、パソコンの画面を見つめていた。「守さん」 驚き、振り返る若桐を視界に入れながら、真壁は扉を閉じて、玄関で靴を脱ぐ。「百合緒……」 真壁の姿を視認して、若桐は一瞬呆然としたようだったが。 がたっと立ち上がると、表情を険しくする。「おまえ……、なにしに……。いや! 帰れ! なんでこんなとこに……」「入室の許可は得ました。帰りません」「莫迦! 俺の部屋に入るとこなんか見られたら……」「この部屋には、非常階段を登って来てます。誰にも……入るところは見られていません」「防犯カメラだってあるだろ……」「だとしたら、もう部屋に入ってしまいました。それに、話をするまで、僕は帰りませんよ」 眉根を寄せて真壁を睨んでいた視線が、ふっと落とされる。 その仕草で、若桐が折れたのが分かった。
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6-2

 若桐は、背の高い真壁に抱き込まれて、ぎこちなくしか動かない手をようやく動かし、その背中をぽんぽんと叩く。「百合緒、苦しい……」「もう……どっかに行こうとしないでください。じゃないと僕、守さんを閉じ込めたくなっちゃいます……」「ヤンデレか、おまえは……」 腕を解いた真壁は、ねだるようにキスを仕掛けてきた。 降りてくる真壁の顔が、甘く微笑んでいる。 重なる唇をやんわりと吸い、それから求められるままに舌を絡ませる。 そのまま、真壁はほぼ若桐を抱き上げるようにして隣室へと進み、若桐をベッドに押し倒す。「おい……」「……僕、本当に怖くて……怖くて……。守さんがいない未来なんて、想像できません。そんなのどんなに出世したって、真っ暗闇です……」 真壁の性格を考えれば、この一言一句が正直な気持ちだろう。 若桐は手を伸ばすと、その頬に触れた。「すまん。……俺も、百合緒のこととなると、周りがなんにも見えなくなるようだ。気をつける……」 腕を引き寄せると、真壁の顔もついてくる。 若桐は再び唇を重ね合わせ、それからその手を真壁の上着に掛けた。 真壁も若桐のフライトスーツのジッパーを引き下ろし、二人は唇を重ね合わせながら、互いの服をもどかしげに脱がしあう。「あ……、駄目だ」「え、なんで?」 ピタッと手を止めた若桐に、真壁は不満そうな顔をする。「莫迦、場所を考えろ。隣いるんだぞ?」「大丈夫です。いざとなったら、守さんの肩を噛んで、声我慢します」「やめろ。直に噛まれたら、食いちぎられそうだ」 すんすん、すりすりと、真壁は若桐の開いた襟元に鼻を押し付け、肌を舐め
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6-3

 翌朝、真壁はコーヒーの香りで目が覚めた。 音のする方へ目をやると、隣のキッチンで若桐がインスタントコーヒーを淹れている。「おはようございます、守さん。僕にもください」「おはよう。今、起こそうと思ってたところだ」 マグを持った若桐は、既にフライトスーツを身に着けている。 一方の自分は、未だ下着もつけずに上掛けで下半身を覆っているだけだ。「全く、本当におまえは色っぽすぎて、目のやり場に困るよ」「……守さんの目にそう映ってるなら、ちょっと嬉しいです」「莫迦……。俺はずっと、誘惑されっぱなしだ」 マグを手渡し、若桐は真壁の額にキスをくれた。 触れた体温に、安堵が満ちる。 自分にとって、何にも代えがたい唯一の温度──「それより、おまえ、時間大丈夫か?」「大丈夫です。今日は……響野が……」「響野が代わりに仕事は出来ないだろう」「……響野が、西條に頼んで休みにしてくれる……って言ってました」 若桐は呆れ顔になり、額に手を当て天井を仰ぐ。「おまえなぁ……、そんなんじゃ西條くん、転属しちゃうぞ?」「僕、パワハラとかしてませんよ?」「莫迦。響野の存在が、既にハラスメントだろ」 若桐はちらとベッドサイドの時計に目をやり、ふうっと息を吐く。「それ飲んだら、着替えろ。基地まで送ってやるから」「まだ五時半じゃないですかぁ!」「俺が戻る時間も必要なんだよ! 行きがけのどっかで朝飯奢ってやるから」「だって、昨日は話がほとんど出来ませんでしたし。顛末をちゃんと説明したいです」「車の中ですればいいだろう。そもそも、響野が持ってきたちゅーその写真。出どころ分かってんのか?」「いえ、まだ……」「じゃあ、顛末もへったくれもねー
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7:作戦会議

 真壁が仕事をしていると、響野が現れた。「なんだ、休みにしなくてよかったのか?」「急に休むと、西條の胃に穴が空くから、仕事に行けって、若桐さんに怒られた」 真壁の答えに、響野はゲラゲラ笑った。 そしてわざわざデスクを回り込んで真壁の隣に立つと、バンッと背中を叩く。「顔がすっきりしたな」「やめろ。おまえに叩かれると、内臓まで口から出そうだ」  真壁の苦情を無視して、響野はゲラゲラ笑う。 「全く、おまえにゃなまじなエナドリより、教官の顔見る方が効くな」「勝手に言ってろ」「静浜まで往復、ご苦労さん」「おまえはノンデリじゃなくて、存在そのものがハラスメントだ」「ヒデーな」 貶されたことに怒りもせず、響野は笑ったままだ。「そんで? 教官殿は納得してくれたのか?」  響野は少し、真面目な顔で問う。「写真の出どころがわからない以上、まだ結果が出てるとは言い難いと言われた」「俺もそう思う。近々に時間合わせて、皆で話し合おうや」「若桐さんもそう言っていた」「日程調整はそっちでしてくれ。決まったらまた、予約入れておく」「分かった」 響野はサムズアップをすると、部屋から出ていく。 扉の向こうから、西條の声が聞こえた。 日常が戻った気がして、真壁は息を吐く。 時間が、穏やかに流れたような気がした。
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7-2

 件の料亭で待っていると、仲居が「お連れ様が到着いたしました」と言って、若桐を部屋に案内してきた。 が、その後ろから知らない顔の男が入ってくる。「若桐さん、そちらは……?」「どーもぉ! 初めまして。僕は角田玄樹(つのだげんき)と言います。よろしくぅ」 軽いノリと軽い口調で挨拶されて、真壁も響野も面食らう。「あ〜……、実は警務の佐藤に相談に乗ってもらおうと連絡したんだが」「ボスは今、有給消化中なんです。退官するので」「だ、そうだ」 隣に座った若桐に、真壁がそっと顔を寄せる。「あの、それでこの人、ホントはなんなんですか?」「あ! 僕はですね、佐藤三佐の部下で、警務隊所属の一尉です! 佐藤三佐とゆーか、ボスはですね。若桐二佐の不正の密告があった時に、調べに行った警務のもので……」「ええっ! 若桐さん、警務の内偵受けてたんすか!」 響野が驚きの声を上げる。「内偵ちゅーか、簡単な調書を取られただけだ。すぐに嫌疑は晴れたし」「なんの嫌疑だったんです?」「埴生さんとか、他にも俺より出世した教え子が、なんかの折りに連絡してきて、アレに使えるやつはいないかとか、コレが出来るやつはいないかとか、問い合わせてくるんだよ」「あ〜、人間タウンページと言うか、若桐検索的な……」「一方的に若桐二佐に相談してるので、不正とゆーのとは違うって話になったって、ボスが言ってました。ただ、今回の件も密告絡みと言いますから、もしかしたら関係あるかも知れませんね!」「それは、警務勤務の勘ってやつですか?」「そうです、そうです!」 佐藤に対してはそれなりの信頼を持っていた若桐だが、正直この〝後任〟には不審感しかない。 が、佐藤に相談があると連絡を入れたら、断る間もなく付いてきてしまったのだ。
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