LOGIN仕事を終えて家に帰り着くのはいつも6時過ぎ。
隣家に灯りが灯ったら訪問してみようと夕飯の支度を始める。ここに引っ越してきて片づけをしていたら、祖母が作ったレシピノートが数冊出て来た。時間のある時には、それを時々参考にして懐かしい味を楽しんでいる。
「あ、そうだ」
台所の籠に入った栗と玉ねぎを見てメニューを決めた。
夕食を終えて食器を片づけていると、隣家のガレージに車が入る音がする。
――あー。緊張しちゃう。
エプロンを外してテーブルの袋に入った皿とミニカボチャのランタンを手にして隣家へ向かった。
インターホン越しに様子を伺う。間を置いて反応があった。『はい』
『あの、隣の小野ですけど』 『……はい』静寂が続く。
――インターホンが切れた? のかしら
もう一度ボタンを押して、話をしようとしたところで玄関が開いた。
「あっ…え? お、お待たせしてすみません」
たぶん、着替えの途中だったのだろう。いつもの眼鏡をかけていないし、シャツの裾が乱れている。
近くで見ると、思っていたよりも背が高い。
他所の玄関ってだいたいその家の匂いがするのよね。でも、なんていうか、ここの玄関は心地よい香りがする。花の香り?
「お疲れのところすみません。先日から、我が家の庭に素敵なカボチャが転がっていて…」
こういうのは、不満を言いに来たわけではないように話すのが難しい。
「え! ああ! こちらこそ、すみません! たぶん、うちの犬が悪戯をして」
「あら。ワンちゃんがいるんですか? 全然吠え声も聞こえないし、気づきませんでした」隣家から犬の気配を感じたことは無かった。薄暗い廊下の奥のガラス扉の向こうに大きな犬の影が見える。
「すみませんでした。あまり庭には出ないようにしているんですが、最近、気候がいいので少し遊ばせていて。その時に持って出たんだと思います。ご迷惑をおかけしました」
申し訳なさそうに、頭を下げる姿に慌ててしまう。
「迷惑なんて、そんな。素敵な細工ですね。言葉はお考えになったものなんですか?」
「お恥ずかしい……」耳を赤くして言葉に詰まっている。困らせてしまったことに気づく。
「あ、あの、すごいなって思って。本当に素敵だなって。あ! 私、お詫びをしないと」
手に持っていたカボチャを手渡しながら、その大きく開いた口の中を見えるようにした。
「あまりに素敵だったので、勝手に蝋燭をつけてしまいました。ちゃんと拭いたつもりですが、中に煤が残ってしまったかも」
もしかしたら、どこかへ差し上げるものだったかもしれない、と蝋燭を付けた後で気づいて慌てて中を綺麗にしたのだ。
「そんなの! 全然、そんなものじゃないので。大丈夫です……楽しんでもらえたなら」
彼は、語尾を消失させながら、カボチャを手に乗せると恐縮したように首を垂れた。
――沈黙「あ、あの。良かったらおかずを作り過ぎたので、貰っていただけませんか?」
手に持った袋を差し出す。それを手にして彼が中を覗き込んだ。
「もう、お夕飯を召し上がったかもしれませんが、冷蔵庫なら2日くらいは大丈夫ですし。お口に合えばいいのですけど……栗のキッシュを作ったんです」
少し厚かましかっただろうか。押し付けたようになっていないか、今更、気になり始める。
「た、食べる時に600Wで1分くらいチンするといいかなと思います。それでは」
「ありがとうございます。夕飯、これからだったので。有難いです」なんとも表し難い面持ちで彼がこちらを向いて、頭を下げた。
では、とそそくさとその場を後にする。ぐるりと門扉を回って自分の家の玄関に入るまでの、ほんの30歩ほどがひどく長く感じられた。振り返って確かめはしなかったが、隣の彼が、私が自宅に入るまで見ているのがわかる。
玄関ドアを閉めて、それにもたれかかった。
――ふぅーーーー長いため息が漏れた。私、こんなにコミュ障だったかな。そりゃ、あんまり人と話すの得意じゃないけど、一応、社会人経験もあるし、接客業経験もあるのに。
まぁ、接客が合わずに辞めたんだけど。
なんか、動悸が収まらない。後ろ手に鍵を閉めると、さっきの笹川さんの表情を思い出していた。照れた感じも、なんていうか、ちょっと可愛いかったな。
私よりも少し年上の人に変だけど。動機が鎮まってくると、口元にいつの間にか笑みが浮かんでいた。なんだろう、この気持ち。ふふふふ。
よくわからないけど、ひどく楽しい気分であることだけは確かだった。
ハロウィン当日。キッズコーナーでワークショップの準備をしていると、植物園の職員ジャンパー姿の笹川さんが段ボールを抱えて現れた。「小野さん。こんな感じでどうですか?」箱の中には、細工されたミニカボチャがぎっしり。「素敵……ありがとうございます」飾り付けを終えた書棚の上に並べていく。笹川さんも、壁の折り紙に触れないよう気を配りながら手伝ってくれた。カボチャにはアルファベットが一文字ずつ彫られていて、順に置くと「HALLOWEEN」。 両端には表情の違うオバケカボチャが二つずつ並べられるようになっていた。「急にお願いしたのに、本当にありがとうございます」 「いえ。終わったら回収に来ますね」 「あの、しばらく飾っておいてもいいですか?」 「もちろん」並べ終えると、彼は段ボールを片手に”では”と足早に図書室を後にした。「今の、笹川さん?」入れ違いで真弓さんが事務所から出てきて、閉まりかけたドア越しに背中を見送る。「ご存じなんですか?」 「うちの夫、植物園勤めなの。とはいっても、笹川さんは研究員でうちの旦那は管理作業員なんだけど。小野さん、知り合い?」 「お隣さんなんです。この飾りをお願いして」並べたカボチャを見せる。「へえ! 小さな町はすぐ繋がるわね。笹川さん、以外だわ。こんな特技があるとは」ちょうどその頃、親子連れが集まり始めた。用意していた材料を机に広げ、子どもたちを迎える。◇◇◇ワークショップは大成功だった。保護者の協力もあり、長谷川さんと二人でなんとか子どもたちが楽しめるように回し切った。。「このカボチャ、すごく可愛い! 職員の方の手作りですか?」帰り際、姉妹の手を引くお母さんが声をかけてくる。「いえ、得意な方がいて、その方からお借りしています」 「素敵ですね。大人向けのワークショップもやってほしいです」そう言って、微笑みながら帰っていった。 そんな声があったことを、笹川さんに伝えたか
夜、食事を終えた頃に、いつものように隣家に車が帰ってくる音がした。先日は、帰って、着替えて、さあゆっくりしよう、という時間に訪問してしまったに違いない。 急ぎ目に隣家へ向かう。インターホンを押すと『はい』という返事があって、私が名乗ると、すぐに玄関が開いた。 良かった。笹川さんは、植物園の職員用ジャンバーを着たままだった。「お疲れのところすみません。実は笹川さんにお願いがあってお伺いしたんです。少しだけお時間いいですか?」昼に考えたアイデアがどうしても拭えず、ダメもとでお願いしてみることにした。「あ、玄関先ではなんですから、良かったら上がりますか?」そう言われて厚かましくも家に上がり込んだ。玄関から続く廊下の奥に摺りガラスのドアがあって、その奥がリビングだった。祖母の家と建てられた時期が同じなだけあって、台所のシンクの位置などは古い感じではあったが、壁を取り払ってリンビングとダイニング繋げ広く快適な作りにリフォームしてある。 ロウが走り回れるようにしたのかもしれない。「どうぞ。そこにかけてください。さっき帰って来たばかりなので、お茶を入れるので少し待ってくださいね」そう言うとコンロにヤカンをかけた。「あ、お構いなく。お仕事帰りお邪魔してしまってすみません」 「いえいえ、大丈夫です」キッチンを向いて背中を越しに笹川さんが返事をする。その横に寄り添うようにロウが座る。 本当にベッタリなのね。微笑ましくて笑いがこぼれた。入れてもらったお茶を飲みながら、笹川さんに昼間に思いついた案を相談する。「それなら大丈夫ですよ。実はカービング用に中をくりぬいたカボチャがすでにいくつかあるので、すぐにできます」 「本当ですか? 良かった。子どもたちがすごく喜ぶと思います」「良かったら当日図書室に直接持って行きますね」 「え! そんな、申し訳ないですから。私、お預かりさせていただければ……」 「小さいけど数があると重いですから」結局、お願いした物は笹川さんが、ハロウィン
週末から雨が続いていた週明け月曜日の休日。リビングで趣味の押し花アートに没頭する。最近、少し老眼になりつつあって、ピンセットで花びらを掬う時に突き刺してしまわないように気を使う。時折、眉間を指でつまんでほぐさないと、気づくと目が疲れて仕方がない。春から夏にかけて作った材料を、組み合わせながら、花や花びら、葉を重ねて全体にグレーとブルーの配色をする。「よし、これにパンジーの黄色を入れて月っぽくしたらいいかな」1人暮らしの良いところは、声を抑えず独り言が言えるところで、悪い所は独り言が増えてしまう点だ。図書室の子どもたちへのハロウィンのプレゼントに栞を作ってみた。夏のワークショップで一緒に押し花をやったので、たぶん喜んでくれると思う。うーん、と体を伸ばして椅子の背もたれをグーっと体で押したとき、インターホンが鳴る。カメラを覗くとどうやらお隣さんのようだ。「はい、今出ますね」相手が何も言わないのに、パタパタと廊下を小走りに玄関に向かっていた。玄関を開けると、傘を差した笹川さんとカッパを着たシェパードが立っていた。「こんな日にすみません。先日のタッパーをお返しに来ました」「すみません。ご丁寧にありがとうございます」ついついカッパを着て賢くお座りをしている犬の方に視線がいく。「お名前なんていうんですか? 」「……“みなと”です」犬の名前にしては、珍しい。横浜とか神戸とかの生まれなのだろうか。「みなとくん? ちゃん? かな」しゃがみ込んで、目線を合わせてみた。「いい子だね、みなとくん」「あっ。すみません。“みなと”……僕の名前です」――すごい空気が流れた「……この子はローワンです。普段は、ロウって呼んでいて……」顔が熱くて立ち上がれない。“みなとくん”って……「すいません。恥ずかしい間違いをしてしまって……」頭上から焦るような、困ったような声が降ってくる。「こちらこそ……すみません」しゃがみ込んだまま、謝った。「ほ、ホントにいい子ですね。ちっとも騒がないし、吠えたりもしないし」取り繕ったような感じで立ち上がると、笹川さんは耳まで赤くして、目線を合わせない。こういう勘違いってホントに恥ずかしい。でも、お互いにそうだ、と思ったらちょっと解れた。「その……ロウは、保護犬で。前の飼い主に声帯を除去されたようで、声が出ない
仕事を終えて家に帰り着くのはいつも6時過ぎ。隣家に灯りが灯ったら訪問してみようと夕飯の支度を始める。ここに引っ越してきて片づけをしていたら、祖母が作ったレシピノートが数冊出て来た。時間のある時には、それを時々参考にして懐かしい味を楽しんでいる。「あ、そうだ」台所の籠に入った栗と玉ねぎを見てメニューを決めた。夕食を終えて食器を片づけていると、隣家のガレージに車が入る音がする。――あー。緊張しちゃう。エプロンを外してテーブルの袋に入った皿とミニカボチャのランタンを手にして隣家へ向かった。 インターホン越しに様子を伺う。間を置いて反応があった。『はい』 『あの、隣の小野ですけど』 『……はい』静寂が続く。――インターホンが切れた? のかしらもう一度ボタンを押して、話をしようとしたところで玄関が開いた。「あっ…え? お、お待たせしてすみません」たぶん、着替えの途中だったのだろう。いつもの眼鏡をかけていないし、シャツの裾が乱れている。近くで見ると、思っていたよりも背が高い。他所の玄関ってだいたいその家の匂いがするのよね。でも、なんていうか、ここの玄関は心地よい香りがする。花の香り?「お疲れのところすみません。先日から、我が家の庭に素敵なカボチャが転がっていて…」こういうのは、不満を言いに来たわけではないように話すのが難しい。「え! ああ! こちらこそ、すみません! たぶん、うちの犬が悪戯をして」 「あら。ワンちゃんがいるんですか? 全然吠え声も聞こえないし、気づきませんでした」隣家から犬の気配を感じたことは無かった。薄暗い廊下の奥のガラス扉の向こうに大きな犬の影が見える。「すみませんでした。あまり庭には出ないようにしているんですが、最近、気候がいいので少し遊ばせていて。その時に持って出たんだと思います。ご迷惑をおかけしました」申し訳なさそうに、頭を下げる姿に慌ててしまう。「迷惑なんて、そんな。素敵な細工ですね。言葉はお考えになったものなんですか?」 「お恥ずかしい……」耳を赤くして言葉に詰まっている。困らせてしまったことに気づく。「あ、あの、すごいなって思って。本当に素敵だなって。あ! 私、お詫びをしないと」手に持っていたカボチャを手渡しながら、その大きく開いた口の中を見えるようにした。「あまりに素敵だったので、勝
最初のカボチャは、夕方の色が庭に沈みきる頃に見つけた。庭のベンチの下、掌に収まるほどのオレンジの球が転がっていた。 つるの名残が、猫のしっぽのようにくるりと曲がっている。持ち上げると、皮に彫り込まれた文字があった。細い刃で綴られた詩。 灯りは小さいが 道になる彫ってあるのでカクカクとした字ではあるが、しっかり読み取れた。刻まれた溝は新しく、そこに指を当てるとほんの少しカボチャの生々しさが残っている気がした。庭越しに隣家を見れば、背の高いヒマワリが秋の名残を振っている。その陰に、薄い色のシャツの人影。隣に住む笹川さん――だ。影は動きを止めた。私も、カボチャを手にしてしばし動きを止めた。 しばらくして、その影は姿を現すことなく建物の向こうへと去ってしまった。祖母の家に戻ってきたのは、今年の春。ほこりを払って暮らしを置き直し、地域が運営する図書室で非常勤司書の職を得た。昨年の夏までは、東京の都心にある雑貨店で働いていた。昔から小物づくりが好きで、大学卒業後に雑貨販売の会社に就職をしたが、どうやら私は作るのが好きなのであって、売るのは性に合わなかったようだ。追われるような仕事の日々に心が追い付かず、祖母の入院を機に仕事を辞めた。春に祖母が亡くなるまでは、その世話を一手に引き受けた。母からは、仕事を辞めさせて申し訳ない、と言われたが、祖母の介護を言い訳に仕事を辞めたところもあり、少し後ろ暗い気持ちではあった。小学2年の頃に母が離婚し、私は学校が休みに入るたびによく祖母の家に預けられた。 だから、この場所は第二の故郷と言っても過言ではない。地域の図書室も、歩いていける植物園も、小さい頃は毎日のように通った場所だ。 祖母と最後の日々を過ごせたことは、自分の中の祖母への思慕の整理にもなった。翌日の夕方にも、ベンチの下にミニカボチャが転がっていた。 風の手紙は 季節を運ぶ昨日のとは違う言葉が彫ってあった。持ち上げてしばし周囲を眺める。――お隣さんよね? どうしよう。うちの庭に入ってましたよ、って持っていくべきかしら大きな口をあけたようなカボチャは、中がくりぬかれ、その中にろうそくがおけるように作られている。結局、もう暗いから、と自分に言い訳をして、家にそれを持って入り、昨日のカボチャの横に並べてみた。 ふと思いたって、祖母の仏