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第5話

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雅也は屋敷を出る準備をしながら、ふと車窓の外へ目をやった。雨の向こう、門のそばの石壁に身を寄せている楓が見える。

ドレスはすっかり濡れて体に張りつき、無防備に体のラインを浮かび上がらせていた。長い髪は水を含んで頬に垂れ、ひどく心細そうに見える。

――なるほど。

雅也はすぐ状況を察した。麗子や雪乃の性格はよく知っている。気に入っていない義理の姪に、わざわざ送迎など手配するはずがない。

助手席の秘書の恭平(きょうへい)へ目を向ける。

「降りろ。傘を差してやれ」

恭平は即座に足元の黒い傘を掴み、雨の中へ出ていった。雅也は窓を下ろす。

「乗れ」

低い、命令口調。

「家まで送る」

楓は顔を上げ、相手が雅也だと気づくと驚いたように一歩下がった。そして小さく首を振る。

「叔父さん……大丈夫です。もうすぐ雨も止みますし、ここで待ちますから……」

大輔から、雅也には近づくなと何度も言われていた。危険な人だ、と。今夜これ以上、面倒は起こしたくない。

楓があからさまに距離を取ろうとするのを見て、雅也の眉がわずかに寄る。声はさらに低く、圧を帯びた。

「乗れ。二度は言わない」

抗えない威圧感。その視線に射抜かれ、楓の決意がぐらつく。

断る間もなく、恭平が傘を差して楓の横に立った。震える手から、濡れたクラッチバッグをそっと受け取る。

「楓様、どうかお乗りください」

穏やかな口調だった。

「この雨は少なくともあと一時間は続きます。風も強いですし、その格好では体を壊します」

空を見上げると、まだ重い雨雲が広がっていた。視線を落とすと、ドレスはびしょ濡れで、髪からも水が滴っている。体が小刻みに震え始めているのが、自分でも分かった。

唇を噛みしめ、楓はついにドアを開けて車内へ滑り込む。

ロールスロイスの中は、驚くほど暖かかった。上質なレザーの感触。ほのかに漂う高級な香水の香り。一気に体が緩む。

雅也の視線が、張りついた楓のドレスへ落ちた。布地は半ば透け、下着の輪郭さえ分かる。無意識に喉が鳴る。

何も言わず、ジャケットを脱いで楓へ放った。

「ありがとうございます……」

楓は慌てて肩に掛けた。体温が残り、香りも彼のものだった。意外なほど落ち着く。

「クリーニングしてお返しします」

「捨てろ」

雅也は淡々と言った。高価なジャケットなど、どうでもいいと言わんばかりに。

車は静かに走り出し、雨の夜を進む。沈黙が落ちる。

楓は後部座席の隅で身を縮め、隣の男を正面から見られなかった。圧倒的な存在感が、車内の空気ごと支配している。

横顔を盗み見る。鋭い顎のライン、乱れひとつない髪。すべてが富と権力を物語っていた。

大輔とは違う。優しさよりも、危うさを感じさせる男だ。

二十分後、車は楓の家の前で止まった。楓は慌ててドアに手をかける。

「送っていただいて、ありがとうございました」

早口で言い、ジャケットを座席に置いた。

「本当に助かりました」

楓が家の中へ消えるのを、雅也は黙って見送った。彼女が座っていた場所には、かすかにジャスミンの香りが残っている。

思わず深く息を吸い込む。体が勝手に反応した。

目を閉じ、自分に言い聞かせる。

――甥の妻だ。理性を保て。

一方、楓は家に入った途端、激しいめまいに襲われた。濡れた服のままなのに、体は熱い。頭が重く、意識がぼやける。

着替える間もなく視界が暗転し、そのままリビングで崩れ落ちた。

目を覚ましたとき、楓は病院のベッドに横たわっていた。消毒薬の匂いが鼻をつく。

けれどサイドテーブルには、見慣れたものが並んでいた。

苺のショートケーキ。色とりどりのマカロン。手作りのチョコレート。そして、ピンクのバラの大きな花束。

「よかった……目を覚まされましたね!」

看護師が安堵した顔で近づいてくる。

「高熱が丸一日以上続いていました。桜井様がずっと付き添っていらして……急用で一時間ほど前に出られましたが、とても心配されていましたよ」

体温を測りながら続けた。

「お呼びしましょうか?意識が戻ったと知ったら、きっと喜ばれます」

並べられた贈り物を見つめ、楓の胸がふっと緩む。昔から体が弱く、注射や薬も苦手だった。

そんなとき、大輔は決まってこうしてくれた。甘いものや花を買い集め、少しでも元気づけようとしてくれる。それはいつの間にか、二人の習慣になっていた。

その優しい記憶が、逆に胸を締めつける。浮気をした男と、徹夜で看病する男が、同じ人間だなんて。

「……今、どこにいますか?」

楓は上体を起こした。

「自分で探します」

看護師は微笑む。

「病院内で用事を済ませているはずですよ」

楓は部屋を出て、白く静かな廊下を歩いた。角を曲がった――その瞬間。

足が止まる。

そこにいたのは、大輔だった。産婦人科の診察室から出てくるところだ。

そして隣には、一人の女。彼女はお腹をかばうように手を添えていた。

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