「そんな顔をしないでください」あやめはそっと手を伸ばした。冬弥の眉間に刻まれた皺を、指先で押し広げるように撫でる。優しい仕草だった。だからこそ、触れられた胸の奥が強く締めつけられる。「GPSチップのことは」あやめは静かに続けた。「私が死んだあとに、お伝えするつもりでした」冬弥の呼吸が止まる。「……なぜだ」問いながらも、答えは見えていた。それでも聞かずにはいられなかった。あやめはわずかに視線を逸らす。「冬弥さんが助けに来られないように……」そこまで言い、首を横に振った。「いいえ。違いますね」小さく息を吐く。「私が、冬弥さんの助けを期待しなくて済むように、です」訂正された言葉のほうが、はるかに残酷だった。あやめは微笑んでいる。柔らかく。穏やかに。だが、その笑みには確かな距離があった。最初から越えてはならない境界線を示されているようで、冬弥の胸に鈍い痛みが広がっていく。「私を黎沈烈へ渡しても、お父様は理解すると思います」あやめは淡々と言う。「今回に限っては、組のための判断と、日本のための判断が一致しますから」理屈としては正しい。天覇龍門との全面衝突を避ける。龍神会の組員を守る。東京の秩序を守る。一人を差し出すことで、多くを救える。否定しようのない合理だった。だからこそ、冬弥には耐え難い。「だから」声が掠れる。「俺には、助けに来るなと?」問いではなかった。懇願だった。違うと言ってほしい。自分を遠ざけないでほしい。そんな願いが、隠しようもなく滲んでいた。しかし、あやめは静かに首を横へ振る。「助けられなかったと、後悔してほしくなかったんです」望んでいた答えではない。むしろ、最も聞きたくなかった言葉だった。「あやめ、俺は……っ」溢れかけた言葉を、あやめの指が止める。柔らかな指先が唇に触れた。優しいのに、逃がさない強さがある。「過ぎたことです」「過ぎたも何も」冬弥は思わず声を荒らげた。「まだ何も起きていないだろう」自分でも驚くほど、幼い響きだった。感情を押さえきれない。いつもなら飲み込めるはずの言葉が、次々と喉へせり上がってくる。「冬弥さん」あやめは微笑む。「そんなことより」その一言が、胸へ突き刺さった。「私がGPSチップのことをお伝えした意味を、考えてください
Last Updated : 2026-04-25 Read more