All Chapters of 追放された名家の令嬢ですが、最恐の黒竜様は私なしでは息もできません: Chapter 211 - Chapter 220

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第211話 標本室の聖女①

 パチン、と薄いゴムが弾ける無機質な音が、影の消し去られた空間に二度、低く反響した。 ヴィクトルは外した手袋をスチール製のトレイへと無造作に落とすと、真っ白なスーツの襟元を長い指先で軽く整え、長机からゆっくりと歩み出てきた。大理石の床を叩く靴音は驚くほど小さく、空気の層を踏みしめているかみたいに均一なリズムを刻んでいる。「わざわざこのような地下の果てまで足を運んでいただけるとは。有栖川の息女の決断力には、敬意を表せざるを得ません」 眼鏡の奥にある薄青い眼球が、値踏みするようにこちらの顔、首筋、そしてウールコートのポケットへと滑る。「挨拶はそれくらいでいいよ、白スーツの男」 白亜が一歩、前に出た。長い銀髪が面発光の照明を反射して白く輝き、その細い指先は、いつでも動けるようにコートのポケットの縁に引っ掛けられている。「あんたのその慇懃無礼な喋り方、聞いてるだけで頭の奥がツンとしてくる。用があるのはお姉さんでしょ。早く目的のものを出しなよ」「おや、白竜の娘さんは随分と気が短いようだ。せっかく上質な紅茶を用意させようと思っていたのですが」 ヴィクトルは可笑しそうに細い眉を上げ、完璧な左右対称の微笑みを崩さないまま、部屋の壁面へと手を向けた。「では、歓迎の代わりに、我が研究室が誇るコレクションをご案内しましょう。瀬理亜さん、あなたの魂が持つ可能性を理解するためにも、これらは非常に有益なサンプルです」 促されるままに、白亜の半歩後ろについて歩みを預けた。 一歩動くたびに、床の眩しい白さが視界の端をチカチカと刺激する。 部屋を囲むように配置された強化ガラスの壁面。その一部が、ヴィクトルがリモコンのボタンを押すと同時に、スッと音もなく横へスライドした。 現れたのは、天井まで届く巨大なディスプレイケースだった。 棚には、無数のガラス製の円筒や、細い管が幾重にも絡み合った複雑な容器が、整然と並べられている。それぞれの容器の内部には、淡い青色、あるいは白濁した液体が満たされ、下部からの青白い照明に照らされて不気味な光を放っていた。「……何、これ。薬の匂いに混じって、すごく古い土
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第212話 標本室の聖女②

 円筒の中では、真っ黒な砂のような微粒子が、透明な液体の中でゆっくりと渦を巻きながら沈んでいく。 その黒い粒の動きを見つめていると、有栖川の地下深く、あの『奈落』の底で胸元を押し潰してきた黒紫色の靄の感触が、ありありと皮膚の裏側に蘇ってくるようだった。喉がカサカサと乾き、胃の底に冷たい鉛を落とされたような不快な重さが這い上がってくる。「有栖川の家が使っていた呪具も、本質的にはこれと同じシステムです。ただ、あそこの古い仕掛けはひどく大雑把で、効率が悪すぎた。持ち主の熱をただ無駄に吸い上げ、周囲に散布するだけの、未開の時代の遺物です」 ヴィクトルは眼鏡の位置を中指で軽く直すと、こちらに向き直った。「それに比べて、瀬理亜さん。あなたの魂が放つあの白光の奔流は、実に洗練されている。澱みをただ破壊するのではなく、その分子構造そのものを組み替えて無害化する。あれは、現代の科学をもってしても容易には再現できない、完璧なシステムだ」 システム。 その単語が、ヴィクトルの薄い唇からこぼれ落ちるたびに、胸の奥の細い管が、キチリと嫌な音を立てて引き締まる。 この男の語る言葉には、一切の悪意やトゲは含まれていない。有栖川の父のように「無能」と罵ることもなければ、理恩のように「便利な家具」として見下すこともない。 ただ、目の前にいる人間を、完全に、一台の優秀な機械として称賛している。(……寒い) コートのポケットの中で、祖母のロケットを握る指先が、急速に体温を失っていくのがわかった。 どれほど丁寧に言葉を飾られても、この部屋の面発光の照明と同じだ。眩しいほどに明るいのに、肌を温めてくれるような熱は一ミリも含まれていない。 ペントハウスの、あの薄暗い書斎。 自分の衝動でこちらを壊してしまうことを恐れ、手がガタガタと音を立てて震えていた、あの不器用な黎の姿。 パジャマの胸元に押し当てられた、あの息苦しいほど強い体温。 あの人の放つ熱や、時折漏らす低い唸り声の方が、この完璧にコントロールされた無菌室の空気よりも、ずっと人間らしく、温かかった。 ◇「ふーん。
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第213話 標本室の聖女③

「手荒な真似をするつもりはありませんよ、白亜さん」 ヴィクトルは長机の引き出しから、一冊の古びた手帳のようなものを取り出し、大理石のカウンターの上にコトンと置いた。 表紙の革は擦り切れ、端のほうが赤茶色に変色している。 その古い手帳の表面を見た瞬間、網膜の奥に、白檀の線香の香りと、節くれだった温かい手のひらの記憶が鮮明に弾けた。「お祖母様の……」 喉から、掠れた声が零れ落ちる。「ええ。あなたの祖母である有栖川の古い巫女が、かつてあの『奈落』の調査記録を書き残した手記の断片です。ウロボロスの情報網を使って、地方の古い蔵から回収させていただきました」 ヴィクトルは手記の頁を、長い指先で丁寧にめくっていく。「ここにはね、非常に興味深い記述がある。……魂の力を一部切り離し、外部の触媒へと定着させる手法。かつて人間たちが、強大すぎる上位存在と対等に交渉するために生み出した、古い魔術的アプローチのプロトタイプです」 頁の隙間から、古い紙が酸化したような、独特の古書臭が微かに漂ってくる。「私には、これの再現に必要な設備と、理論がある。あなたの力を安全に抽出し、あの黒竜へ安定して供給するシステムを構築すれば、あなたはもう、自らの命を薪のように燃やす必要はなくなるのです」 ヴィクトルは、手記の上に手のひらを置いて、じっとこちらを見つめた。「そうすれば、あなたはあの怪物の理不尽な所有欲から解放される。ただの、普通の人間としての、穏やかな未来へ戻ることができる」 普通の未来。 その言葉が、耳の奥で何度も反響する。 黎の隣にいる限り、いつか自分の命が尽きてしまうという恐怖。彼一人をこの果てしない時間の砂漠に残していかなければならないという、絶望的な寿命の差。 もし、力がなくなれば。 あのペントハウスの閉ざされた扉の向こうで、黎はもう、自分の本能を呪って縮こまる必要もなくなる。「……その、普通の未来って、何のためにあるんですか」 私は、ウールコートのポケットから両手を引き出し、大
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第214話 標本室の聖女④

 ヴィクトルは数秒の間、完璧な微笑みのまま静止していたが、やがて、長机の端に置かれていた小さな金属製のフレームへと視線を向けた。 そこには、色褪せた一枚の写真が収められていた。 写っていたのは、淡い栗色の髪をした、ひどく儚げな印象の外国の女性だった。白いドレスを身に纏い、庭園のベンチで、少しはにかんだような笑みを浮かべている。「……エレノア。私の、すべてだった女性です」 ヴィクトルの声のトーンが、ほんの僅かだけ、ベルベットの毛並みが逆立つように変化した。「彼女は、原因不明の流行り病で、私の目の前でゆっくりと呼吸を止めていった。当時の医学のすべてを尽くし、私の持つ知識のすべてを注ぎ込んでも、その細い喉から溢れ出る最期の呼気を、引き留めることはできなかった」 ヴィクトルはフレームの縁を、長い指先でそっとなぞる。その動きは、やはりどこか、標本ケースのガラスを検品する時と同じように、正確で、冷ややかだった。「命とは、ひどく脆弱で、不確実な構造のシステムです。少しの不具合で、昨日まで完璧に動いていた歯車が、一瞬にしてただの動かない鉄屑に変わってしまう。……私は、その不条理が許せなかった」 ヴィクトルの口元から、微笑みがスッと消え去り、代わりに、底の知れない、粘り気のある執念の輪郭が浮かび上がってくる。「だから、私は命を支配する手法を探している。魂のシステムを完全に解明し、制御下に置くことができれば、二度と、大切な歯車を失う必要はなくなる。……瀬理亜さん、あなたの力は、その失われた歯車を再び動かすための、最後のミッシングリンクなのです」 男の言葉の裏にある、圧倒的な「歪み」。 黎は、私を「命綱」として手元に置いた。逃げるなと、過保護な鳥籠に閉じ込めた。 けれど、私が力を使いすぎて倒れた時、あの人は自分の肺が焼け焦げる苦痛を選んでまで、私から完全に手を離した。壊したくないから。私という存在を、自分の生存のために磨り減らせたくないからと、あんなにも酷い言葉を使ってまで、私を安全な外へと放り出した。 それに比べて、目の前にいるこの白いスーツの
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第215話 標本室の聖女⑤

 ◇「へえ。随分と大層な動機だこと」 白亜は回転椅子をクルリと回し、大理石のカウンターの上に転がっていた黒いカードを、爪先で弾いた。「でもさ、白スーツ。あんたのその精密機械みたいな実験室、さっきから足元が微かに震えてるよ。……お姉さんの魂をいじる前に、もっと別の、すっごく怒らせたら怖い『黒い塊』が、このビルの真上まで来ちゃってるみたいだけど?」 白亜の淡い瞳が、限界まで細められ、天井の面発光の照明へと向けられた。 瞬間。 ドクン、と。 部屋全体の床が、文字通り、腹の底に響くような重低音の脈動とともに、大きく一瞬だけ上下に揺れた。 長机の上に置かれたガラスのシャーレが、チリンと高い音を立てて微かに位置をずらす。「……ほう。竜種の嗅覚というものは、こちらの遮蔽結界をこうもあっさりと突破してくるものですか」 ヴィクトルは眼鏡の奥の瞳を僅かに眇め、天井を睨みつけた。 部屋全体の面発光の照明が、ジジジ……と不気味な静電気のノイズを立てて、一瞬だけオレンジ色に明滅する。 空気の密度が、急激に、物理的な重さを持って変化していくのがわかった。 無菌室の軽すぎるはずの空気が、一瞬にして、あの雨の夜の匂い――雨に濡れたウールと、微かに焦げたスパイス、肌を刺すほどの熱気へと、強制的に塗り替えられていく。(黎様……っ) 胸の奥の細い管が、歓喜するように大きく跳ね上がった。 突き放されたはずだった。ガラクタだと言われて、扉を閉ざされたはずだった。 なのに、あの人は、私がこの罠の巣穴に足を踏み入れた瞬間に、自分の理性をすべてかなぐり捨てて、ここまで追いかけてきてくれたのだ。「瀬理亜さん。やはり、あの怪物はあなたの安全など考えていない」 ヴィクトルは手記をパタンと閉じ、長机の端にある赤いレバーへと手を伸ばした。「あなたを再びあの息苦しい鳥籠へと引きずり戻し、自らの延命のために消費し尽くす。……彼がここへ到達する前
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第216話 切り離せば、自由になれる①

 ピッ、ピッ、ピッ、と高い電子音が等間隔で鼓膜を叩き、それまで影を潜めていた真っ白な四壁が、チカチカと青白い光の明滅を始めた。 部屋の中央に鎮座する、複雑な配線が絡み合った金属製の装置。その透明なガラス管の内部で、淡い青色の液体がシュワシュワと微かな気泡を立てて循環を開始する。ウィーンという低いモーターの駆動音が床を伝って足の裏を揺らし、それまで軽すぎた無菌室の空気に、どこか肌をピリピリと刺激するような静電気の粘り気が混ざり始めた。「さあ、テストを始めましょう。瀬理亜さん、そこから動かないでください」 ヴィクトルは押し下げた赤いレバーから手を離すと、真っ白なスーツの袖口を軽く引き、大理石のカウンターを回り込んでこちらへと歩を進めてきた。眼鏡の奥にある薄青い瞳は、レンズの反射を浴びて完全に光を遮断し、冷たいガラス玉のようにこちらの喉元を真っ直ぐに射抜いている。「動かないでって言われて、はいそうですかって大人しく従う人間がどこにいるのさ」 白亜が回転椅子から勢いよく立ち上がった。長い銀髪が面発光の照明に煽られてふわりと広がり、足元の床を強く踏み締める。「白スーツの男、あんたのそのおもちゃ、さっきから動くたびにすっごく嫌な音がしてる。人間の作る機械って、どうしてこう、いちいち神経に障る高音を出すわけ?」「これは失礼。竜種の優れた聴覚には、少しばかり刺激が強すぎたかもしれませんね」 ヴィクトルは歩みを止めず、完璧な左右対称の微笑みを顔に張り付けたまま、長机の端に置かれていたシルバーの端子のような器具を手に取った。いくつもの細いコードが、部屋の中央の装置へと蛇のように這って繋がっている。「ですが、これは必要な手順です。彼女の魂の回路に深く刻み込まれた、有栖川の古い呪いの残滓……それを取り除くためにも、まずは現状のエネルギーの数値を正確に測定せねばならない」 近づいてくる白いスーツの重圧。 一歩、後ろへ下がろうとしたが、踵が冷たい大理石の壁の立ち上がりにコツンとぶつかった。逃げ道はどこにもない。 ウールコートのポケットの中で、祖母の形見のロケットを握りしめる指先が、ジワリと冷たい汗に濡れていく。
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第217話 切り離せば、自由になれる②

 ヴィクトルの滑らかな声が、耳元へと降ってきた。 言われるがままに、グレーのコートの袖口を少しだけ引き上げ、右の手首へと視線を落とす。 ハッと息が詰まった。 昨夜、黎が唇を押し当てて綺麗に焼き切ってくれたはずの、あのすずらんのブローチの跡。皮膚の下に潜んでいた赤黒い血管のような管の網の目が、装置の駆動音に呼応するようにして、不気味な薄紫色に変色して浮き上がってきていた。 皮膚の表面がピリピリと細かく痺れ、指先からゆっくりと感覚が失われていく。「有栖川の古い寄生具は、あなたの魂に根を張り、常にその熱を吸い上げ続けていた。元栓を破壊したとはいえ、管の先端はまだお前の肉体に同化している。このまま放置すれば、あなたは自分の意思とは関係なく、周囲の淀みを吸い込んで自らを傷つけ続けることになる」 ヴィクトルは手にした端子をこちらへと向け、眼鏡の奥の目を静かに細めた。「あの黒竜の傍にいれば、その速度はさらに加速する。お前が一度彼に触れるたびに、その指先からどれだけの生命力が吸い出されていくか、もう身をもって理解しているはずだ」「……っ」 言葉が出なかった。 昨日、グランドピアノの鍵盤を叩いた瞬間に襲ってきた、あの圧倒的な虚脱感。視界から色が抜け落ち、世界が真っ白にフェードアウトしていったあの恐怖。 白亜の言う通り、私の力は、使うたびに自分の命を薪のように燃やして灰にしている。「これを取り出せば、あなたは自由になれる」 ヴィクトルの言葉は、静かな波のように、脳の奥深くへと染み込んできた。 完璧な白に満たされた空間。警告音の規則正しいリズムが、心臓の鼓動を強制的に一定のテンポへと従わせていく。「力さえ切り離してしまえば、あなたはもう、誰かのために身を削る必要はない。あの怪物の呼吸を助けるための生命維持装置としての役割からも、完全に解放される。……ただの、名前を持った一人の少女として、普通の未来へ戻れるのですよ」 普通の未来。 誰も私を道具として扱わない、誰も私の価値を数字で測らない、穏やかな世界。 もし、私から
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第218話 切り離せば、自由になれる③

 ◇「ちょっと、白スーツ。話が長い」 沈黙を引き裂くように、白亜のクリアな声が響いた。 彼女は長机の端に置かれていた古い手記――祖母の手帳をひったくるように手に取ると、パラパラと雑に頁をめくり始めた。「お姉さん、こいつの言うことを真面目に聞いちゃダメ。普通の未来なんて、最初から用意されてないよ。ほら、このお祖母さんの手記の端っこ、なんて書いてあるか見なよ」 白亜は手記の一頁をこちらへと突き出し、細い指先で細かな文字を強く叩いた。「『力を定着させるための触媒は、主の熱のすべてを吸い尽くした後に、結晶として完成する』……って、これ、完全に使い捨ての電池の扱いじゃん!」 白亜のアイスブルーの瞳に、竜種としての鋭い光が宿る。「抽出なんて綺麗な言葉を使ってるけど、やってることは有栖川の寄生具の強化版。お姉さんの魂の芯をこのミキサーで限界まで絞り尽くして、そのエレノアとかいう動かないお人形のパーツに換えるつもりだよ。人間の強欲って、ほんっとに底がなくて吐き気がする」 白亜の言葉が、ヴィクトルの貼り付けた微笑みの表面を、ピキリと不快な音を立てて凍りつかせた。 ヴィクトルは手にした端子のコードをギリッと握り締め、眼鏡の奥の薄青い目を限界まで細めた。「……白竜の娘さんは、随分と余計な文字まで読み解くようだ。人間の歴史をただ上から見下ろしてきただけのトカゲに、私たちの痛みの何がわかるというのです」 ヴィクトルの声から、先ほどまでのベルベットのような滑らかさが完全に消え失せた。 地の底から這い出てくるような、ひどく冷酷で、無機質な響き。「エレノアは完璧だった。あの壊れた歯車をもう一度動かすためなら、私はどんな代償を払っても構わない。有栖川の娘一人の命など、その偉大な実験の、ほんの僅かな潤滑油に過ぎないのだから」 本性を現した男の、猟犬のような目。 私は、背中の壁に身体を押し付けながら、胸元でぎゅっとロケットを握りしめた。(……私は、誰のおもちゃにもならない) 有栖川の屋敷で、サンドバ
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第219話 切り離せば、自由になれる④

 ウィィィィンッ!!! 部屋の中央の巨大な装置が、それまでとは比較にならないほどの猛烈な高音を立てて、ドラムの内部を激しく回転させ始めた。ガラス管の中の青い液体が一瞬にして真っ白な気泡へと変わり、部屋の四壁から、目に見えない強烈な「吸引の波」が、波紋のようにこちらに向かって押し寄せてくる。 手首の薄紫色の管が、火をつけられたように熱く、激しく脈打ち始めた。「――あ、ぐ、っ……!」 膝の関節からカクンと力が抜け、大理石の床へと両膝を突き崩された。 ウールコートの胸元を両手で強く掻きむしるが、身体の内側から、生命力の芯がストローで一気に吸い上げられていくような、圧倒的な枯渇感が全身を襲う。視界の端が、急速に黒く波打ち始めていた。 ◇「ちょっと、白スーツ! 私の目の前で、勝手に私のお姉さん(とりぶん)を絞り取ろうなんて、いい度胸じゃない!」 白亜の叫び声が、装置の轟音を切り裂いて響いた。 彼女はコートのポケットから両手を引き抜くと、大理石の床を強く蹴って、ヴィクトルの立つ制御パネルへと向かって突進した。 その細い指先が、空中で一瞬にして、黒曜石のような硬質な白い鱗に覆われ、鋭く湾曲した鉤爪へと変態していく。 パシィィンッ! ヴィクトルが懐から引き抜いた、小さな金属製の筒から放たれた青白い光の障壁。白亜の鉤爪がその表面と激突し、激しい火花が標本室の中に飛び散った。「おやおや、白竜の娘さん。野生のトカゲが人間の科学の最先端に挑むなど、無謀が過ぎると思いませんか」 ヴィクトルは眼鏡の奥の目を眇め、障壁を維持したまま、冷酷に口角を吊り上げた。「この部屋の空気は、対竜種用の特殊な減圧シールドで満たされている。お前たちがいくら巨大な肉体を持っていようが、この無菌状態の中では、満足にその翼を広げることもできないはずだ」「……チッ。なんか、さっきから身体が妙に重いと思ったら、そういう小細工をしてたわけね」 白亜は床に着地すると、不快げに肩をよじり、鋭い鉤爪を構え直した。 彼女の首筋からも、微かに白い鱗が皮膚
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第220話 黒竜を縛る毒の檻①

 その時だった。 頭上から響いていた地鳴りのような重低音が、限界まで張り詰められた弦が弾けるような甲高い破砕音へと変わった。 真っ白な面発光パネルの隙間から、一筋の巨大な亀裂が走り、直後、爆発的な風圧とともに天井の構造物が一斉に大理石の床へと降り注ぐ。真っ白なプラスチックの破片とスチールの骨組みが激しい音を立てて砕け散るその真ん中に、凄まじい熱量を帯びた漆黒の塊が滑り込んできた。 黎だ。 ウールコートの裾は雨と激しい動きで無残に引き裂かれ、シャツの第一ボタンは引き千切られたまま、太い首筋が露わになっている。長い銀髪は乱れて顔にへばりつき、その奥で光る黄金色の瞳は、怒りのままに周囲の白い空間を射抜いていた。 床に落ちた天井の残骸を硬い革靴の底で踏み砕き、一歩、前に踏み出そうとする。 しかし。 タン、と靴底が大理石に触れた瞬間、黎の大きな身体が、まるで目に見えない厚い壁に正面から激突したかのように、その場でピタリと停止した。「……っ、が、は……ッ!」 押し殺したような、ひどく掠れた悲鳴が太い喉から漏れ出る。 黎は即座に右手を胸元へと持っていき、シャツの生地が限界まで引き攣るほどの強い力で自らの左胸を掻きむしった。身長百九十センチを超える巨体が前傾し、膝の関節がガクガクと不自然な震えを刻み始める。 ゼイ、ゼイ、と、喉から鳴り響くのは、引き裂かれた蛇腹の管が擦れ合うような、痛々しい喘鳴だった。気管が完全に狭窄し、肺の水分がすべて一瞬で蒸発していくかのような、乾いた、重苦しい呼吸のノイズ。「おやおや。思ったよりも野蛮な方法で侵入してきましたね、御影黎さん」 ヴィクトルは制御パネルの前に立ったまま、完璧な左右対称の微笑みを崩さずに、眼鏡のブリッジを長い指先でそっと直した。彼が新しく押し込んだ黒いスイッチの周囲で、細かな緑色のインジケーターが、生き物の脈拍のような速度で激しく点滅している。「この部屋の空気には、あなたが最も嫌う成分……人間の悪意や強欲を結晶化させた、濃縮瘴気フィルターが作動している。有栖川の奈落に溜まっていた古
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