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元カレの宿敵の腕で幸せになります!
元カレの宿敵の腕で幸せになります!
Author: クレヨンまるこ

第1話

Author: クレヨンまるこ
「あなたと結婚するわ」

区役所の前。閉庁時間を過ぎ、もはや人の出入りのないガラスの自動ドアを見つめながら、花江咲夜(はなえ さくや)はスマートフォンを取り出し、ある番号へ電話をかけた。

今日は、森崎晴南(もりさき せな)と入籍する約束の日だった。

それなのに、彼女は朝九時から午後五時半まで待ち続け、手元には十数枚もの整理券が溜まっていた。

結局、晴南が姿を現すことはなかった。

入籍を言い出したのは晴南の方なのに、すっぽかしたのも彼だった。

これで、咲夜が彼に約束を破られたのは三度目になる。

咲夜はもう使い物にならない整理券をゴミ箱に捨て、背を向けると、晴南の宿敵である荻野千暁(おぎの ちあき)に電話をかけた。

初めて区役所で待ちぼうけを食らった時、千暁からプロポーズされたことを、彼女は覚えている。

その時は断った。二度目も同じだった。

そして今朝、千暁からまたプロポーズのメッセージが届いていた。

今回は、咲夜はそれに応じることにした。

つい先ほど、彼女はインスタグラムの投稿を目にしていた。

晴南の「忘れられない女」、白羽洸(しらはね ほのか)のものだ。

写真の中では、晴南が椅子に腰掛け、リンゴの皮を剥いている。その画像には、こう添えられていた。

【私が必要な時は、彼はいつもそばにいてくれる。これがいわゆる「特別扱い」。彼がくれる自信の源】

咲夜は自嘲気味に口角を上げ、迷わず「いいね」を押し、コメントを残した。

【お似合いね。末永くお幸せに!】

不思議と、心は穏やかだった。

以前の彼女なら、すぐにスクリーンショットを撮って晴南を問い詰め、激しい口論になっていただろう。

そして最後は、晴南がドアを叩きつけて出ていく――それがいつもの結末だった。

けれど今、咲夜には怒る気力さえ湧かなかった。

森崎晴南という男は、もう、いらない。

電話の向こうから聞こえてきた声が、咲夜の思考を引き戻した。

「……出張中だ。一週間後に戻る。その時もまだ気が変わっていなければ、九時に区役所の前で待っている」

千暁の言葉が耳に残り、咲夜はようやく理解した。

なぜ、過去二回も区役所の前で待ち構えてプロポーズしてきた男が、今日はメッセージ一通だけだったのかを。

一週間、か。

千暁の真意が分からないわけではない。

彼は、咲夜が晴南との関係を整理し、後悔しないための猶予をくれたのだ。

咲夜は静かに答えた。

「待ってるわ」

電話を切ると、咲夜は車を走らせて自宅へ戻った。

彼女が住んでいたのは都心の高級分譲マンションの一室。

かつて、そのことを知った晴南は、隣接する空き部屋を購入し、管理組合の特別許可を得た上で、両室を結ぶ内部扉を取り付けてリフォームした。

これにより、二人は同じ住居にいながら、互いのプライベートな空間を確保する形となった。晴南が購入した隣室の名義は、咲夜にされていた。

広々とした室内を見渡すと、至る所に晴南との思い出が残っている。

ツーショット写真、お揃いの品々。インテリアの配置さえも、晴南の好みに合わせたものだった。

かつては幸せの象徴だったそれらが、今の咲夜には皮肉にしか映らない。

わずか数時間で、咲夜は自分と晴南に関わる荷物をすべてまとめ、物置に放り込んだ。明日には処分するつもりだ。

がらんとした部屋を見渡し、咲夜は不動産仲介業者に電話をかけた。売却の依頼である。

一度手放すと決めた以上、晴南にまつわるものは何一つ残しておく必要はない。

「ええ、価格はいくらでも構いません。とにかく早く手放したいんです」

仲介業者の戸惑うような確認に対し、咲夜はきっぱりと言い切った。

「何の話だ?」

背後から突然聞き慣れた声がして、咲夜の表情が固まった。

電話を切ると、丸一日姿を消していた晴南が、そこに立っていた。

咲夜はさりげなく答える。

「友達が家を売りたいって言うから、手伝ってるだけよ」

言い終わる前に、彼女は晴南の背後にいる洸の姿に気づき、一瞬で顔を曇らせた。

晴南は咲夜の言葉を気にする様子もなく、淡々と言った。

「洸の鬱が再発した。一人にしておくのは心配だから、数日うちに泊めることにした。ゲストルームの片付けをしてやってくれ」

晴南の言葉に合わせるように、洸は不安げに彼の腕にすがりついた。そして怯えたような視線を咲夜に向ける。

「晴南さん、迷惑ならいいのよ。花江さん、あまり歓迎してなさそうだし……」

洸はその一言で、まだ何も言っていない咲夜を悪者に仕立て上げ、悲しげな表情を浮かべた。

それを見た晴南は、即座に不機嫌な顔になる。

「咲夜、わがままにも程があるぞ。洸の具合が悪いと知っていながら、あんなコメントをSNSに書き込むなんて」

「その上、泊めることさえ拒むのか?いつからそんなに話の通じない女になったんだ。心の狭い女は嫌いだぞ」

畳みかけるように、晴南は断定した。

「忘れるな。この家には俺の権利もある。誰を住まわせるかは俺が決めることだ。言っておくが、これは通知であって、お前の意見を聞いているわけじゃない」

咲夜は最初から最後まで一言も発さず、理不尽な非難を浴びせられた。あまりの滑稽さに、笑いさえこみ上げてくる。

「……好きにすれば」

晴南は、この家の名義が自分にあることを忘れているのだろう。

だが、彼がどうしても洸を住まわせたいというなら、あえて反対する気にもならなかった。

咲夜は冷めた視線を収め、そのまま階段を上がっていった。

洸がいる限り、晴南の視線が自分に向くことは決してない。戻ってきても、約束をすっぽかした理由すら説明せず、ただ洸を囲い込むことしか考えていないのだから。

おそらく彼は、今日が入籍日だったことすら忘れている。

咲夜はもう、何の期待もしていなかった。

寝室に戻ってシャワーを浴びた後、隣の部屋から話し声が聞こえてきた。晴南が自分の寝室を洸に譲ったのだと察したが、感情が波立つことはなかった。

たとえ二人が同じ部屋で過ごそうとも、今の咲夜なら平然と受け入れられる。

晴南への執着を捨ててしまえば、以前は許せなかったことの多くが、どうでもいいことに変わっていた。

本当に、関心がなくなったのだ。

そうして咲夜は心を落ち着かせ、すぐに目を閉じた。

うとうとし始めた頃、傍らでわずかな気配がした。

続いて、温かな抱擁に包まれる。

咲夜の体は、わずかに強張った。

背後から晴南が彼女をきつく抱きしめ、首筋に顔を埋めて、くぐもった声で囁く。

「すまない、わざと約束を破ったわけじゃないんだ。洸が本当に危ない状態で、俺が行くのが一歩遅れていたら、命に関わっていたかもしれない。

洸には俺しかいない。見捨てるわけにはいかないんだ。入籍のことは、もう少し待ってくれ。洸の具合が良くなったら、必ず行こう。

その時は、盛大な結婚式を挙げてやる。洸がここにいる間は、もう揉めないでくれ。洸を優先させてやってほしいんだ、いいだろう?後で必ず埋め合わせはするから」

また洸のために延期される入籍の話を聞きながら、咲夜の心は凪いでいた。唇には皮肉な笑みが浮かぶ。

彼の言葉はどこまでも洸のことでいっぱいで、こうして下手に出ているのも、自分が洸をいじめるのではないかと危惧しているからに過ぎない。

寝たふりを通すつもりだったが、晴南に抱かれている今の状況が、ただただ吐き気がするほど不快だった。

結局、咲夜は悟られないようそっと腕の中から逃れ、背を向けたまま言った。

「あなたと白羽さんのことは、私が口を挟むことじゃないわ。どうしようと勝手にして。報告なんていらない」

「咲夜……」

晴南の声には不快感が滲んでいた。彼にしてみれば、咲夜の態度は単なる当てつけにしか見えないのだ。

これまでも洸のこととなると、彼女はいつもこうして皮肉な態度を取ってきた。

自分は十分に歩み寄ったつもりなのに、こんな態度を続ける彼女に、いい加減うんざりしていた。

咲夜は彼の怒りを感じ取っていたが、そのまま無視を決め込んだ。

晴南は苛立ちのあまりベッドから起き上がった。険しい表情で彼女を怒鳴りつけようとした、その時。

彼が口を開くより早く、部屋の外から人影が飛び込んできて、背後からしがみつくように晴南を抱きしめた。

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